第15回「もしレオナルド・ダ・ヴィンチが本屋さんだったら」
究極の「世界の果ての本屋さん」は、
過去や未来に存在する「どこでもない妄想書店」なのかもしれません。
例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチ。
彼の家には、どんな本が並んでいたのでしょうか?
そして、どこで本を買っていたのか……。
本棚を見てみたいなあ……と思っていたら、なんと本人が、丁寧に蔵書を記録していました。
これを見れば当時の本屋さんの様子が、かなり再現できるはず。
医学書やラテン語の辞典に混じって、イソップ寓話集、錬金術、霊魂不滅論、誘惑論、美食論、手相論、健康保持論、夢占いといった不思議な本がたくさんあります。
今回は、レオナルド・ダ・ヴィンチの本棚から推測した「記憶の果ての本屋さん」
について書いてみたいと思います。
ドイツの金属加工職人ヨハネス・グーテンベルクが、活版印刷を発明したのは、1445年頃。
印刷技術もまだまだ未熟だった当時、本はかなり高価だったそうです。
今で言うと、1冊の値段は数十万円から数百万位。
レオナルドのように100冊以上持っていたのは、相当な財産だったはず。
116冊記録されている「マドリッド手稿」、「アトランティコ手稿」、「トリヴルツィオ手稿」にも蔵書メモがあります。
個人的に、気になる本から紹介していきます。
『イソップ寓話集』
「アリとキリギリス」や「北風と太陽」や「ウサギとカメ」などで知られるイソップ物語。今でも子供にも親しまれている寓話集は、紀元前に編纂された『イソップ集成』が、不完全な形で残ったもの。
オリジナルの散文を翻訳し、さらに新しい寓話を付け加え刊行されたそうです。
これは、限りなくオリジナルに近い「イソップ寓話」と言えます。
『手相論』
著者は不明。どんなものでも興味を持ったレオナルドは、人相論や手相も研究したらしい。『手相論』は、インド式の手相学がベースになっています。
『ダニエルの夢占い』
夢占いの本。当時のベストセラーだったらしい。
当時、夢は何かメッセージを運んでくるものだという考え方があったそうです。国王の見る夢は、国の命運を左右するものとして重要視されたとか。
レオナルドは、いったいどんな夢を見ていたのでしょうか?
『ドナート(ラテン語の教科書)』
4世紀頃に活躍した古代ローマの文法学者であるアエリウス・ドナトゥスの本だと思われます。8つの品詞に関する文章は、教科書として人気があったのだとか。
現代に置き換えると『7つの動詞で自分を動かす』(実業之日本社、2013年)みたいなものでしょうか。
『ラピダリオ(宝石に関する本)』
12世紀フランスの司教マルボデウスが書いた
「石」の持つ医学的効用について論じた「宝石の書」らしい。
現代の本だと『楽しい鉱物図鑑』(草思社、1992年)とかパワーストーンの解説本みたいな感じですかね。
『プリーニオ(博物誌)』
大プリニウスの『博物誌』のこと。全37巻。
地理学、天文学、動植物や鉱物などあらゆる知識に関して書かれています。怪獣、巨人、狼人間などの非科学的な内容も多く含まれているのが、おもしろいところ。15世紀に活版印刷で刊行されて以来、ヨーロッパの知識人たちに愛読された大ベストセラーです。現代で言えば荒俣宏さんの本みたいな感じですかね。
『記憶術』
記憶術とは、大量の情報を速くに、そして長く記憶するための技術。
古代ギリシアの記憶術は、中世ヨーロッパに受け継がれ、修道士や神学者などが聖書などの書物を記憶するために用いられたのだとか。
当時は紙が貴重で、印刷技術も未発達であったため、卓越した記憶力を養うことは、教養人の必要条件だったそうです。
『人相学』
顔つきがその人の性格をあらわすと考える「顔相学」は、昔からあったものの
レオナルドはその考えをよりいっそう発展させ、顔の各パーツの比例から、足の指の一本一本の長さにいたるまで性格をあてはめて、描き出したのだとか。
『聖書』
自分の蔵書リストに「聖書」と書いてあるのがおもしろい。
聖書も一冊の本と同じように扱っていたあたりが、なんともレオナルドらしい気がします。ちなみに『最後の晩餐』は、彼のパトロン、スフォルツァ公の要望で描いた絵画。 キリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の日に描かれている最後の晩餐の情景を描いています。
『霊魂不滅論』
フィチーノの『プラトン神学』と思われます。
ソクラテスやプラトンは、輪廻説を信じており、霊魂が不滅であると考えていたのだとか。
こうやって読書家、レオナルドの本を分析していけば、
当時の本棚が見えてくるようですね。
一番興味深いと思ったのは、
『私の語彙集』。
なんと蔵書の中にレオナルド本人の語彙集が入っているのです。
本の中に、どのようなことが書かれているのか調べてみました。
『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』(杉浦明平訳、岩波書店、1954年)によると、
「太陽の下に隠るるものなし」
「われわれのあらゆる認識は感覚にはじまる」
「孤独であることは救われることである」
「同じ眼で眺めても、或る時は大きく、或る時は小さい」
「簡潔さは究極の洗練である」
「あらゆる自然の営みは、最も短い道を通る」
ちなみに、これはすべてレオナルドのオリジナルというわけではなく、ギリシャやローマ時代の古典やことわざなどが混ざっているようです。しかし、これらの言葉がレオナルドの創作活動に大きな影響を与えている訳で、本人の蔵書の中でも非常に重要な一冊だと言えます。
こうやって並べてみると、当時の本屋さんは、かなりバラエティに富んだ品揃えだったような気がしますね。
それと、気になる事がひとつ。
レオナルドの膨大なメモのほとんどは、「鏡文字」で書かれています。
左右が反転していて鏡に映さなければ、誰も読むことのできない仕掛けになっているのです。どうしてわざわざこんな面倒な文字を綴ったのでしょうか?
これまで、さまざまな推測や解釈がなされてきました。
本当かどうかはわかりませんが、自分の研究成果をきちんと発表するために、
「そのまま印刷用の版をおこせる鏡文字を書いた」という説もあるのだとか。
確かに当時、ドイツで発明された印刷技術がヨーロッパ中で流行し始め、
レオナルドは、優れた印刷機を考案し、設計図も書いています。
もしこれが、凸版印刷のための反転した文字だとしたら……。
最後は、肉体を「人間印刷機」にしようとしていたということか。
もしかするとレオナルド自身が「歩く本屋さん」になろうとしていたのかもしれません。
[世界の果ての本屋さん:第15回 了]
(次回は「日本最北端の本屋さん」です。)
【参考文献】
杉浦明平訳『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』(岩波書店、1954年)
チャールズ・ニコル著、越川倫明/松浦弘明/阿部毅/深田麻里亜/巖谷睦月/田代有甚訳『レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯 飛翔する精神の軌跡』(白水社、2009年)
ジョルジョ・ヴァザーリ著、田中英道/森雅彦訳『芸術家列伝3 レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ』(白水社、2011年)
前橋重二著『レオナルド・ダ・ヴィンチ 人体解剖図を読み解く』(新潮社、2013年)
COMMENTSこの記事に対するコメント