第7回 ニニフニ(後編):読むことを強いる、かたち
※前編からの続きです
山崎(以下、山):2冊で1冊というこの形にした理由のひとつは、「扱いにくくしたかったから」です。
野口(以下、野):それはどうして?
山:情報ってどのようにアクセスするかで姿勢が……文字通り体の傾きが変わる。ハードカバーの文芸書、ソフトカバー(並製本)、新書や文庫でも違うし、文字組みによっても変わりますよね。ディスプレイやスマートフォンでもそう。もちろんそれがデザインと呼ばれているわけですが。『メランコフ』はネット上での無料配布なので、MySpaceやSoundCloudみたいなものだから、良くも悪くも非常に気軽に読まれてしまう。twitterを見ながらサラッと読むこともできる。『ニニフニ』は、例えればLPなんです。レコードに針を落として集中して聞くみたいなイメージ。大きくて扱いにくい。片手で操作できない。「iPhone置いて、机の上をきれいにして開け」という。『ニニフニ』はターンテーブルなんですよ。
野:ほんと、これスペース作らないと開けないんですよね。
山:いま雑誌を作るにあたって、読者をいかに不自由にするかは考えました。どのような姿勢で読ませるようにデザインするか。いまみんなの空いてる時間は、スマートフォンに取られてしまっていると思うんです。こっち(雑誌)はピーピー鳴けないんで向こうから来てもらうしかない。まず来させるくらい魅力的なたたずまいをもって、そしていざ来たならば不自由な場所に閉じ込めるような設計ですね。いまフィジカルメディアを作るなら、その立ち位置とアクセスのされ方を考えて、内容と装いを統一しなければいけないのではないかと思います。「物語」というキーワードが一方では主流かと思いますが。
野:ものすごく根本的な質問に戻ってしまうけど、こういう媒体を作ってるのはなぜですか?
山:好きな人に会いに行けるのと、作るのが楽しいのと……。これがなかったら町田康さんには会えないですからね。家に行ってお話を伺えましたから。
野:あれ家なんだ!
山:山本精一さんも京都まで会いに行きましたし。もちろん家に行きたいのが理由ではなくて、ホームでくつろいで話してもらう、という目的ですが。
野:私、実はインタビュー記事あんまり得意じゃないんですよ。技術系の文章から入ったせいかもしれないけど。話したことを文章にまとめるのに抵抗とかなかったですか?
山:抵抗は、ないですね。
野:そうか……ちょっと羨ましい(自分は文章にするときに構えすぎてるのかも。)
山:紹介したり事実を知りたいっていうのなら調べたことを地の文で書いた方がいいとも思うし、僕はそういうのはあまり好みじゃなくて。「この人の曲ってこういうふうにいいからもっと聞いて」っていうのはあまりやったことがないですね。例えば音楽を「紹介」するんだったら熱烈なブログを書いてYoutubeにリンクをはった方が、短中期的にはその音楽に新しく触れる人は多いでしょうし。ニニフニ創刊号のDISCガイドは、またアプローチが違いますけど。インタビューというか、トークセッションがしたいんですね。音もならないし動きもしない印刷物にできることがあるとしたら、言葉をそのままたれ流す以上に弾ませること……それを誌面に定着させて、想像力と合流することじゃないでしょうか。
野:真野恵里菜ちゃんを『ニニフニ』の表紙にしたのは?
山:(元)アイドルを表紙にするっていうのには明確なコンセプトがありました。たぶん90年代前半くらいまでは「カルチャーアイドル」と呼んでもいいような、メジャーとマイナーを無理なく自由に行ったり来たりできる人たちがいたと思うんです。例えばYMOとか、オザケン(小沢健二)とか。ではいまはどうなっているかと考えると、いわゆる普通のアイドルがそういう感じになっているんじゃないかと。意外に小さいところにも出入りしてるし、メジャーな顔も持ってオリコンの一桁に入っているような、その感じは雑誌が元気だった頃の「カルチャーアイドル」の振る舞いに近いのかなと思っていて。表紙だけ見て買って、いろいろ知る入口になるような、まぜっかえす機能が雑誌には少なからずあるので。中でも真野ちゃんにしたのは、アイドルを卒業したてであるという「スタート感」が創刊号にふさわしいというのも理由です。Amazonの「この商品を買った人は…」のところにハロプロの商品が多いので、どれだけ混ざったかはわかりませんが……。
野:うーん、すごく面白いけど(本当はここに書ききれないくらい話したので)まとめる自信がなくなってきた……!
山:編集長、デザイナー、営業マンが一緒になっているのでややこしいかもしれないですね。ただのライターとしても喋っているし、全体のページネーションやプランニングをする自分もいて、設計するアートディレクターや実作業をするするデザイナーの自分もいる。役割を切り替えながら作っています。
ただ、こんな気軽にできるのに、企画から編集・デザインまで一人でまるごと雑誌を作る人が少ないのは不思議ですけどね。InDesign使えば触り始めて一カ月で(とりあえず)できるんですから。
野:印刷所とのやりとりは難しくはなかったですか?
山:普通……印刷を発注するのが初めてだったので、何が普通なのかわかんないですけど。営業の人も紙とか自分なんかよりもちろん詳しくて、結局本文用紙は印刷所の人が薦めてくれたものに決めました。インターネットで発注する方が難しいでしょ。事前チェックも一切ないし。
野:いまの人はネットで注文するとか、人と接さない方が簡単だと思ってるんじゃないかなと。
山:簡単の意味が違うだけじゃないですか。人と接さなくて済むという意味では、そっちの方がeasy wayではありますよね。
野:先に作りたいもののイメージがあって、それを形にしたいと思ったら人に聞いた方が簡単ってことですね。それはそうだな……みんなやってみたらいいのに(笑)最後に、商業誌であれ個人の作ったものであれ、これから出てきたら読んでみたい雑誌ってどんなものですか?
山:モノとして登場するからには、格好よくて美しくてセクシーなもの。内容についてよりも、すぐに頭に浮かぶのはそういうイメージですかね。
◎連載の終わりに
7回の連載に渡って、3つの雑誌的なものを取り上げてきた。技術、文化、デザインやかたち。それぞれターゲットも目的も違なるが、トライアンドエラーを聞いていくうちに、こうした媒体が「なかったはずのもの」であることをふしぎと実感してくる。
元々、新聞や図書のようにコンテンツに明確な役割があるものと違い、雑誌は時代を見る視点や切り口、カテゴリーやジャンルの形成によって、人々のコミュニケーションの狭間をゆらゆらと漂っているブイ(浮標)のようなものだ。あそこにも誰かの浮かべた目印があるな、と思うと、少しにやにやしてしまう。
私にとってはその小さな出会いが、情報空間を漂いながら目印を浮かべるような、ささやかであてどない作業を続ける動力になっているのかもしれない。
[小さな雑誌の編集者(あるいは在庫タワーの管理人)たち 了]
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