INTERVIEW

〈ゆとり世代〉の編集者

〈ゆとり世代〉の編集者
第4回 川田洋平 3/5(『TO』編集長/1988年生まれ)

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これからの編集者」のスピンオフ企画として始まった、1980年代後半以降に生まれた〈ゆとり世代〉の若手編集者へのインタビューシリーズ。
第4回目のゲストは、東京23区それぞれを1号ずつ特集していくシティカルチャーガイド『TO』編集長の川田 洋平(かわだ・ようへい)さん。2013年の2月に創刊号として足立区特集号、10月に目黒区特集号を発行し、東京のローカルな部分にスポットを当てる独自の編集と、インディペンデントな雑誌としては異例のクオリティが話題になっています。その制作の裏側をじっくり伺ってきました。

[以下からの続きです]
第4回 川田洋平(『TO』編集長/1988年生まれ)1/5
第4回 川田洋平(『TO』編集長/1988年生まれ)2/5

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『TO 目黒区特集号』より

『TO 目黒区特集号』より

「編集」という仕事で自分がどこまでいけるのか

――ファッション系のWebの編集部に入られたときは、「もともと紙の雑誌の編集部でバイトしていたから、次はWebかな」って思ったんですよね。

川田:僕は確かに大学生時代に編集プロダクションでバイトしていましたが、先ほどもお話したように、雑誌については何も理解していませんでした。卒業後に入社した会社では、本当に様々なことを自由にやらせてもらいましたね。
ウェブメディアってやはり「情報量勝負」な部分は多かれ少なかれあるので、常に自分で何かネタを探してきて、サイトにアップして、探してきて、アップして、ということを繰り返しやることが鍛錬になってました。入ったばっかりでそんなことをやらされるもんだから、毎日楽しかったですよ。やることすべて新しい経験だったんで。仕事としてやっている感じはあまりしなかったです。自分がやりたい企画はガンガンやらせてほしいと言ってましたし、会いたい人には取材とかこつけて会いに行ってましたね。そういった意味では、そこで得られた経験は本当に大きかったですよ。普通、編集部に入って最初の頃なんて何をやっていいかもわからないと思うんですよね。だけど、やらなきゃしょうがない環境だったし、そういう雰囲気のある編集部と相性がよかったというのもあるのかもしれません。

――「ここにずっといられたら」みたいなことは当時思ったりしなかったんですか。

川田:不満はあまりなかったのですが、「ずっとここにいて、これを続けていてどうなるんだろう」という疑問もありました。編集者としてこれから仕事をしていく、って前提を考えたときに「俺このままでいいのかな」みたいな、若さゆえの、謎の自問自答みたいなのが始まってしまった。それが、会社に入って1年くらい。「その媒体ありきの自分」になってしまうことがつまらないなと急に感じてしまって、自分で何かやろうと思ったんでしょうね、多分。そこからは色々早かったですね。

――『TO』で紙に戻ったっていうのは、何かしらの意識の変化があったんですか。

川田:毎日毎日、Webで情報を更新して、それらがバーッと流れていってしまうのが、自分の性分的に好きじゃないんですね。それまでの仕事で、Webの良いところも悪いところも知っていたし、紙で何かつくった経験がなかったということもあって、自分で立ち上げる媒体は紙でやってみよう、と思っただけです。ただ一つ言えるのは、「紙至上主義」みたいなことではないし、紙かWebかを考えることにあまり興味はないです。

――読者の反応の速さとか、リツイートされてその数が分かる、といったような部分には、そんなに面白みは感じられていませんでしたか。

川田:「この記事が1000リツイートされた」という経験は、それはそれで面白いとは思ってました。ただやはりそれは、記事単体としてであって、その媒体として大きな成果を上げたっていう感覚がどうしても薄い。Webの編集をやっていた当時は、「自分一人が面白い記事を上げていればいいや」とか、「他の人が何をやろうがあまり関係ない」みたいに思ってた部分もあったので、良くも悪くも、個人プレー感というのが強くなっちゃって。PV数を獲得するために記事を作ってるわけではないし、そういう割り切り方ができればよかったんですが、違和感はずっとありましたね。

――コンテンツをつくったその先に何があるのか、みたいなことを考えて、『TO』は紙で作ることにしたんですか。

川田:それはあるかもしれません。長く残っていくものにしたかったし、一つにパッケージすると考えたら、紙の方がいいんじゃないかなとは思いました。もし僕が『TO』でウェブメディアをやるのであれば、徹底してニュースサイトにするでしょうね。
情報の鮮度と量と質で勝負すると思います。
会社を辞めた時点では、僕はそういうことがやりたいわけじゃなかったし、自分が今、編集者としてどこまでできるのかな、ということの方が気になってましたから。今もRPGゲームをやっている感覚に近いです。レベルアップすれば、どんどん強くなって強い敵と戦えるようになるし、そうするとゲームも面白くなっていくはずです。パーティも増えるかもしれない。

Photo by Katsumi Omori

Photo by Katsumi Omori

作ったもので評価されたいし、そうあるべきだと思ってます

――紙の雑誌をこれまで作ったことがなくて、『TO 足立区特集号』をいきなり作って、あのクオリティのものを完成させられるのって、普通にすごいと思うんです(笑)。

川田:一冊の雑誌を作るのにどういう人が必要かということは、ググればすぐに分かるので、誰でもやろうと思えばできるんじゃないですか。デザインも、写真も、イラストも、すべて誰かに頼まないとできない。編集者って基本的に単体では何も作り出せない人ですから。それに、このインタビュー連載の第3回で小田明志さんが雑誌作りをDJに喩えていましたが、僕もそれとほぼ同じ考え方なんですよ。テクニック的にはすごく下手クソなのに、なぜかすごく記憶に残る選曲をしているDJがいたり、一方で、流麗なミックスをするんだけど、ベタでありきたりな選曲だと退屈してしまう。雑誌の「クオリティ」というのがあるとすれば、テクニカルな部分以上に、そういう様々な諸要素をいかに感覚的に、だけど論理的に表現できているかどうか、という部分が大きいと思ってます
1号目なんて今見ると、すごく下手な感じが伝わってくる。作ってからまだ1年も経ってないのに、です。僕の中ではすでに10月に出たこの目黒区特集号も過去のもの。あまりこういうことを言うのは良くないかもしれませんが、僕の気持ちとしては、早く次の区で作りたいというのが本音です。

――完成した直後から、すでにそういう自己評価の更新が始まっている感じですか。

川田:そうですね。なんなら、作っている途中から。だから「早く次を作ろう」ってなるんですよね。

――自分のつくるものを「パッケージとして成立させたい」と先ほどもおっしゃっていましたが、『TO』の読者に対して、「すみずみまで読んでほしい」みたいな思いはあるんですか。

川田:いやいや、別に「こう読んでくれ」なんて思いは全然ないです。前も少し話しましたが、基本的に作り手側の事情を読者に押し付けるのはナンセンスだと思ってます。「若いのに」とか「初めて作ったのに」とか「お金がないのに」とか「これだけ書いたからすみずみまで読んでくれ」とか、結果としてこうやって取材を受けて色々と話してますけど、それを自ら積極的に発信したいとは思わない。作ったもので評価されたいし、そうあるべきだと思ってます

――本屋に並んでいる紙の雑誌には、「別に読まれなくてもいいんだけど、入っていないと雑誌の構成要素として足りないから入れている」「あることに意味がある」というような、言葉は悪いですけど「捨てページ」というような性格を持ったページが、少なからずあると思うんです。たとえば、巻末の方の読者プレゼントのページとか、タイアップの記事とかもそうですけど。紙で作ると、基本的に4の倍数のページ数にしなきゃいけないから、何かで帳尻を合わせないといけなかったり。すみずみまで読んでほしいかどうかと訊いたのは、台割を組むときの惰性というか、既存の雑誌に対しての疑問はなかったのかなと思って。

川田:それは惰性っていうよりも、雑誌の「コード」として存在してるわけですよね。特集があって、連載があって、読者プレゼントがあって、というのは、それが雑誌として判別できるかどうかの非常に重要な要素だと思うんです。だからそれを作り手側の惰性と言ってしまうのは少し違う。仮に「とりあえず間が持たないから入れてる」というページがあったとしても、それを見てどうこう思わないですよ。読者からしたら、ただの1ページにすぎない。もしかすると、「惰性で作った」と感じるページを面白いと言って読む読者もいるかもしれませんから。
今後、『TO』に読者プレゼントページが増える可能性だってありますしね。

――「『TO』ではこれはやらない」と先に決めていることはなんですか。

川田:そういったことは基本的にないです。ものづくりのやり方として、あまり健康的ではない気がします。悩みがあるとすれば「続くのかな」っていうことくらいです。以前、大森(克己)さんがイベントで「なんで写真を撮っているんですか?」という質問に対して「撮らなきゃしょうがないですからね」と答えていて、それはすごく印象に残っているんです。作らなきゃ先に進めないし、僕も「しょうがなく」やってる部分が大きいなあと思いましたね。

4/5へ続きます(2013/12/17更新)

聞き手:後藤知佳(numabooks)
1987年生まれ。ゆとり第一世代。東京都多摩地域出身。
出版社勤務などを経て、現在「DOTPLACE」編集者。

編集協力:川辺玲央、秋山史織、梅澤亮介、寺田周子、松井祐輔
[2013年11月21日 IID世田谷ものづくり学校にて]


PROFILEプロフィール (50音順)

川田洋平

1988年生まれ。埼玉県出身。シティカルチャーガイド『TO』編集長。大学を卒業後、ファッション系ウェブマガジンの編集に携わる。2013年2月、『TOmagazine 足立区特集号』発売を機に独立。フリーの編集としても、雑誌の企画や執筆、カタログの編集などを手掛ける。2013年10月に『TO 目黒区特集号』を刊行し、続く3号目の「中野区特集号」は2014年春に発売予定。 https://www.facebook.com/TOmagazine.tokyo