第5回「本とリアルタイム」(前編)
前回は、「横のレコメンデーション」(本が人々によって媒介されていくことで、クチコミが広がっていくあり方)と「縦のレコメンデーション」(本自体がそもそももつソーシャル性、すなわち、テクストとはそもそもがネットワーク的に構成されており、本は常に既に他の本にリンクされた存在であること)について書きました。本がクチコミにのって広がっていくのと同時に、読んだ人が他の本も読みたくなっていく、そんな縦横のレコメンドの連鎖が作れると、出版文化はより発展するのではないかと思います。
これを本における「空間的な広がり」(人と人を介して、ないしは本が本を介してリンクがつながっていくイメージ)だとした場合、今回は、視点を変えて、「本と時間の関係」について考えてみたいと思います。
本を編集し、出版していくプロセスにおいて「いつ出版するのか」ということは非常に重要なポイントになると思います。内容以上に、あるいは、その内容だからこそ、いつ出版するかは大切です。あらゆる本は、出版される時、「何故今なのか?」ということが、問われることになると思います。
長らく愛されてきた古典でさえ、それが出版された当時は、「何故今なのか?」が問われたでしょう。また、過去の本が、今改めて読まれているのだとしても、「何故、今、それが再読されるべきなのか?」といったことは、非常にクリティカル(=重要であると同時に、その批評性が問われること)だと言えます。
例えば、岩波文庫の巻末に記載されている「読書子に寄す」にも、「何故、岩波文庫を何故「今」創刊するのか」ということが、繰り返し繰り返し、自らの価値を定義づけるように、自分で自分たちの存在意義を確かめるかのように書かれています。
- (略)かつては民を愚昧ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある不朽の書を少数者の書斎と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。近時大量生産予約出版の流行を見る。その広告宣伝の狂態はしばらくおくも、後代にのこすと誇称する全集がその編集に万全の用意をなしたるか。千古の典籍の翻訳企図に敬虔の態度を欠かざりしか。さらに分売を許さず読者を繋縛して数十冊を強うるがごとき、はたしてその揚言する学芸解放のゆえんなりや。吾人は天下の名士の声に和してこれを推挙するに躊躇するものである。このときにあたって、岩波書店は自己の責務のいよいよ重大なるを思い、従来の方針の徹底を期するため、すでに十数年以前より志して来た計画を慎重審議この際断然実行することにした。(略)
「今や」「近時」「このときにあたって」といった言葉が使われていることが分かります。
つまり、特権階級にのみ独占されている知を「今こそ」民衆に解放し、流行り廃りに左右されるのではなく、永続的に出版し続けることが「今こそ」重要である、ということです。流行語大賞ではないですが、いつ出すの?「今でしょ!」というわけです。
ともかく、あなたがこれから出版しようとしている本が、人文系の分厚い思想書であれ、コミケで披露されるファンブックであれ、「今」との関係をより明確にすることに、相当なセンスが求められているといっても過言ではないと思います。
しかし、現代において、「今」を捉えるということは、そもそも、どういうことを指すのでしょう? というか、「今読まれるべきもの」とは何なのでしょう?
Youtube、ニコニコ動画、TwitterをはじめとするリアルタイムWebが浸透し、多くの人に使われている時代、もはや「みんなにとっての共通の今」は既に消滅していると言えます。
[中編に続きます](3週連続更新)
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