COLUMN

越前敏弥 出版翻訳あれこれ、これから

越前敏弥 出版翻訳あれこれ、これから
第10回 出版翻訳者の心がけるべき8か条(後編)

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※本連載のバックナンバーはこちら

第10回 出版翻訳者の心がけるべき8か条(後編)

 

 第9回の前編につづき、今回も出版翻訳者として自分が心がけていることを箇条書きで記していく。これまで書いたこととの重複もあるが、最終回の総まとめということでお許しいただきたい。

 

5 「売れない、売れない」とあまり言わない。

 このことは第1回にも似た内容のことを書いたので、詳細についてはそちらを読んでもらいたいが、「売れない、売れない」と言われているものを買いたくなるような物好きはほとんどいない。仮に同情で買ってくれる人がいたとしても、一度か二度きりのことであり、長つづきすることは稀だ。海外の作品をもっと読んでもらいたければ、その魅力をひたすら紹介し、多くの人が「読まなきゃ損」と感じるようにするしかない。

 そのためには、何がどうおもしろいのかを短い時間、少ない字数で説明する訓練が必要だろう。ビブリオバトルなどの形でそれを鍛えていくのも一興だが、もともと興味のない人が話を聞いてくれるのはせいぜい1分なので、わたしはときどき生徒たちに1分から2分でプレゼンテーションをしてもらう場を作っている。昨年末に20人近くの翻訳者が集まって話した「はじめての海外文学スペシャル」のまとめレポートも、動画と要約文の両方が参考になると思う。

 前回書いた「謙虚になりすぎない」と通じる部分もあるが、少なくとも一般の読者の人たちの前では、つねに前向きでありたい。そのほうが仕事をしていて楽しいし、よい結果が得られやすくもなる。

 

6 読者・作者・編集者など、相手の立場で考える。

 翻訳者として、あまりに不当な扱いをされたと感じたときなど、主張すべきことは主張すべきなのは当然だが、出版という大きな世界のなかで物を考えて総合的に判断しなくてはいけない場合も多い。たとえば、印税を通常よりさげるという打診が出版社からあった場合、その根拠に関する説明がじゅうぶんかどうかをしっかり見きわめる必要がある。 わたし自身について言えば、それが曖昧だったときは、〇パーセント以下では引き受けられないとはっきり答えることにしているが(それで印税率があがったこともあるし、物別れで仕事を引き受けなかったこともある)、収益とコストに関する具体的な数値とともに、その印税率では版元に赤字が出る根拠を明確に示されたときには、仮に通常のレートより低くても引き受ける(ただし、「今回だけの例外にしてくれ」とかならず言い添えて)。特に、相手が長く付き合ってきたパートナー、長く付き合いたいパートナーなら当然のことだと思う。

 読者や作者の立場に立つのは、おもに訳文作りの際に必要な姿勢だが、本を売っていく際にも、海外の作家と日本の読者の橋渡しをする要の立場にある人間として、何をすべきかをつねに考えていたい。最近はSNSなどで読者とも作者とも直接コンタクトをとりやすくなっていて、これには功罪両面がありうると思うが、そこにある程度の時間を効率よく向けることは、いまの時代には避けられまい。

 編集者との関係に話をもどすと、編集者がいちばんきらいなタイプの翻訳者は、言うまでもなく「締め切りを守らない人」だ。そのつぎはおそらく「表記の統一ができない人」だろう。もちろん、「誤訳の多い人」や「文章の下手な人」もだめだが、訳稿そのものがいつ届くかわからない人がいちばん不安を与えるのはまちがいない。

 では、編集者が好きなタイプの翻訳者はどういう人だろう。上記とは反対の、締め切りを守って、表記の乱れがなく、誤訳が少なくて文章がうまい、という以外の条件があるとしたら、「いっしょに本を作っていくパートナーとして楽しい人」ではないかとわたしは思っている。楽しいというのは、何度も飲みに行ったり、趣味が一致したりということだけでなく、相手の仕事のしかたをよく知って、ときには不得意な部分をさりげなくカバーする、ということでもじゅうぶんで、ゲラへのちょっとした書きこみや気づかいのメールなどでも工夫できる。要は相手に快適な仕事をさせてあげるということだ。そのためにも、編集者の立場に立って物を考えると、結局のところ、自分も仕事がしやすくなる。

 

7 翻訳書の読者を増やすために、自分なりにできることをする。

 これについては4回6回7回にもわたって実例入りで書いてきたので、具体的な話はあえて繰り返さないが、要は、翻訳者が翻訳だけしていればよいのどかで幸福な時代は終わったということだ。これから翻訳者として仕事をはじめよう、という多くの人たちのなかで、どうやったら自分がデビューできるかだけを考えている人に、わたしは興味がないし、付き合いたいと思わない。そもそも、それだけを考えている人にとっては、いまの出版翻訳業界はなんの楽しみもない世界だろう。海外の作品をひとりでも多くの人に読んでもらうにはどうしたらいいか、自分に何ができるかを考えていった先に仕事はあるものだし、そのことが翻訳技術の向上にもつながっていくはずだ。

 わたしがこれまで紹介してきた全国読書会や読書探偵作文コンクール、《BOOKMARK》や「はじめての海外文学フェア」などは、出版翻訳業界やコアな読者の一部をたしかに熱くしているものの、まだまだ世間一般に広まっているとは言えず、本格的に事を起こすには少なくとももうひと桁多くの人数にまで波及する必要があるだろう。いまはまだ、いわば「コップのなかの嵐」だと思う。それでも、コップのなかで何やらにぎやかになっていることは、少しずつ外の人にも気づかれているし、結局のところ、それがいつの日かコップの外へあふれ出して周囲を熱くしていくまで、同じことを繰り返すしかないはずだ。紙なのか電子なのかという問題はあるにせよ、海外の作品が今後も必要であることに変わりはない。

 

8 翻訳の仕事をする目的を明確にする

 前回の1番に書いたこと(翻訳にはスキルが必要であることを伝える)とも通底するが、翻訳の仕事を快適に進めていくには、翻訳とはどういう仕事であるのかを周囲によく知ってもらうしかない。そのためには、自分が翻訳の仕事をする目的を明確に言語化して、尋ねられたときにそれを簡潔に答えられるようにしておく必要があるだろう。

 わたしの場合は、「海外の作品は、読む人の視野を確実に広めるから、つねにそれを紹介する担い手でありたい」と答えることにしている。文芸翻訳者の最も重要な仕事は、多様性を紹介し、多様なものを受け入れやすくすることだと思っている。そういうものを知って、視野が広まれば広まるほど、つまらない差別意識は生じにくくなるからだ。フィクションであれノンフィクションであれ、それについては変わるまい。そして、そういう仕事を毎日つづけていけることをありがたく感じている。

 みなさんには、それぞれ自分の答があるだろう。ぜひそれを周囲に伝えていってもらいたい。

 

 連載「出版翻訳あれこれ、これから」はこれで完結する。まとまりがなかったり、同じことを繰り返したりということもあったと思うが、どうかご容赦いただきたい。学習者のかたや読者のかたをはじめ、出版翻訳業界の現状に興味がある人たちにとって、もし少しでも何かのヒントを提供できたならうれしく思う。こういう内容のことを10回にもわたって自由に書く場を与えてくださったDOTPLACEのみなさんにお礼を申しあげる。

【完】

 

【今後のお薦めイベント(正式には未告知のものも含む。変更の可能性あり)】
・3月18日(土)15:30~17:30
翻訳ミステリー仙台読書会
 課題書:『検死審問』(パーシヴァル・ワイルド著、越前敏弥訳、創元推理文庫)
 会場:青葉区中央市民センター
 越前も参加。
 
・4月1日(土)10:00~11:30
翻訳の世界への招待――『翻訳百景』こぼれ話
 単独トーク:越前敏弥
 会場:NHK文化センター青山教室
 一般向け特別講演。語学の知識はほとんど不要で、どなたでも参加できます。
 
・4月8日(土) 12:30~14:00
翻訳百景 英語と日本語のはざまで
 単独トーク:越前敏弥
 会場:朝日カルチャーセンター横浜教室
 一般向け定期講演(横浜では初)。語学の知識が少し必要ですが、どなたでも参加できます。
 
・4月21日(金) 19:00~20:30
『世界文学大図鑑』(三省堂)刊行記念トーク(仮)
 対談:越前敏弥&『世界文学大図鑑』担当編集者
 会場:紀伊國屋書店グランフロント大阪店
 古今東西の名作をわかりやすい図解入りで紹介した大図鑑(翻訳書、4月15日刊行予定)について、あれこれ話します。
 
・4月22日(土)午後
第8回翻訳ミステリー大賞授賞式&コンベンション
 出演:翻訳者・書評家・編集者など多数
 会場:大田区産業プラザPiO
 翻訳ミステリー大賞・翻訳ミステリー読者賞の授賞式のほか、楽しいイベントがいくつも。越前は当日大阪で出講中のため不参加。
 
・5月20日(土)15:30~17:30
翻訳ミステリー福岡読書会
 課題書:『生か、死か』(マイケル・ロボサム著、越前敏弥訳、早川ポケットミステリ)
 会場は未定。越前も参加。
 
・5月21日(土)13:30~16:30
講演&ワークショップ(タイトル未定)
 講師:越前敏弥
 会場:北九州市立八幡図書館
 第1部は一般向け特別講演。語学の知識はほとんど不要で、どなたでも参加できます。(4月1日の青山とほぼ同内容)
 第2部は文芸翻訳の初心者向けワークショップ。語学の知識が少し必要ですが、予習は不要。
 
・6月3日(土) 15:30~17:00
翻訳百景 英語と日本語のはざまで
 単独トーク:越前敏弥
 会場:朝日カルチャーセンター新宿教室
 一般向け定期講演。語学の知識が少し必要ですが、どなたでも参加できます。(4月8日の横浜とほぼ同内容)
 
読書探偵作文コンクール
 今年も7月から募集開始。文集の刊行・授賞式&刊行記念イベントの開催・中高生部門の復活がほぼ決定。
 4月からクラウドファンディングを開始し、夏ごろ刊行する予定の文集へのご支援をどうぞよろしくお願いします。
 
・はじめての海外文学フェア&トークイベント
 年内の開催を検討中。


PROFILEプロフィール (50音順)

越前敏弥(えちぜん・としや)

文芸翻訳者。1961年生まれ。東京大学文学部国文科卒。訳書『インフェルノ』『ダ・ヴィンチ・コード』『Xの悲劇』『ニック・メイソンの第二の人生』(以上KADOKAWA)、『生か、死か』『解錠師』『災厄の町』(以上早川書房)、『夜の真義を』(文藝春秋)など多数。著書『翻訳百景』(KADOKAWA)『越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文』(ディスカヴァー)など。朝日カルチャーセンター新宿教室、中之島教室で翻訳講座を担当。公式ブログ「翻訳百景」。 http://techizen.cocolog-nifty.com/


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出版社:KADOKAWA
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