高山なおみさんの人気シリーズ最新刊『帰ってきた 日々ごはん(3)』(アノニマ・スタジオ)が発売になりました。装画を手がけたマメイケダさんは、DOTPLACEでもご紹介した、注目のイラストレーター。大阪・心斎橋アセンスで開催された出版記念トークイベントは、二人の結びつきが叶えた、ありのままの気持ちが伝わる、あたたかなひとときでした。
高山さんが神戸に引っ越して1年半。作家として本づくりに打ち込み、ひとりになって気づいたこと、見えてきたこと。ひとり暮らしのこと、絵本のこと、人生のこと……。なごやかな笑いに包まれたり、胸がじーんとしたり、このとき、この場だけの濃密な時間を、みなさんにもおすそわけします。
二人の出会い
高山なおみ(以下、高山):まず、出会いのきっかけからお話ししましょうか。マメイケダさんを知ったのは、ネットを見ていたとき、誠光社のホームページで。おいしそうな絵を描いていらっしゃる人がいるなって。
マメイケダ(以下、マメ):偶然、見たんですか?
高山:ちょっと恥ずかしいんだけど……、私、高山なおみっていうハッシュタグのついたインスタグラムを見るのを楽しみにしていて(場内笑)。いろんな方たちが、私のレシピを見てごはんをつくってくださっているのがうれしくて。それを見ていたら、偶然。てっきり男の人だと思っていました。
そしたら、大阪大学大学院の学生さんが雑誌『Arts and Media』で、「対談をしませんか?」って誘ってくださって、そのお相手がマメイケダさんだったんです。「食べものを書く/描く」をテーマにした対談で、マメさんならやります!って。
マメ:今年(2017年)の1月くらいでしたよね。
高山:もうずいぶん前のような気がするね。
マメ:その対談ではじめてお会いしてしゃべって。
高山:絵も描いてもらったね。
マメ:高山さんが金柑を持って来てくださって、描きましたね。
高山:マメさんは食べたものをノートに描いているんです。今日も「ごはんノート」って持って来ている? (マメさんのノートを開きながら)これ、クレヨンで描いてらっしゃるんですけど、すごい質感なんです! おいしそうな絵を描く人はたくさんいるし、同じようにクレヨンを使う人もいるけれど、こんな絵は見たことがなかった。
マメ:誠光社は京都の書店で、本の出版もしているんです。店主の堀部篤史さんが、私のこのノートを見て、本にしようと言ってくれて。できたのが、初めてのイラスト集『味がある。』です。高山さんはきっとそれを見てくださったのだと思います。
高山:この厚みのある絵を見たとき、なんかヘンな人っていうか……(場内笑)、私もそうだけれど、同じような「しつこさ」を感じたんです。お米のひと粒、ひと粒びっしり、ふりかけた胡椒のつぶつぶまで描いてある。こういうことを真剣に、当たり前にやっていて、本気。そういうところに惹かれたんだと思います。
高山さんの「言葉」に惹かれる
高山:初めての対談のとき、マメさんから、子どもの頃、特殊学級に通ってたって聞きました。
マメ:滑舌が悪くて、今もうまくしゃべれていないのですけど。高山さんと同じく、子どもの頃は「ことばの教室」に通っていました。初めてお会いして、対談してみて、私は料理の絵を描いていますが、高山さんの料理に興味がいくというより、どちらかといえば、言葉。言葉に惹かれました。あとすごく親近感が湧きました。私は言葉にコンプレックスがあって。高山さんの絵本『どもるどだっく』(ブロンズ新社)は「どもる」から来ているんです。自分の小さかった頃のコンプレックスを書いているって、すごいなって思いました。
高山:『日々ごはん』の装画や挿絵は、毎回、違う方にお願いしています。スイセイ[※]がアートディレクターをしていて、「どういう人がいい?」って聞かれるんです。それで、マメちゃんを推薦しました。
※編集部注:高山なおみさんの夫。発明家・工作家。
マメ:スイセイさんは、私をご存知なかったので、まずネットで検索されて。食べものの絵が出てきたと思うのですが、調べる中で、表紙になった、海の絵が出てきたそうです。
高山:スイセイがマメちゃんの描いた海の絵にとても惹かれて。「なんか分からんけど、切ない」って言っていました。ただ明るいだけの海じゃない、「永遠」とか、「切なさ」がある。どうしてもこれを使いたいって。
マメ:海の絵は、もともと別の仕事で描いたものなんです。そのときは、自由に描いてよかったので、私の見た海を描いたんです。
高山:今日はその絵もあるの?
マメ:いや、個展ですでに売っちゃっていて……。
高山:えー、じゃあもうないの!?
マメ:お話がある前にもう売れていたんです。原画の持ち主は大阪にいて、たまに会うので、伝えました。
高山:そんなことで、急速にマメちゃんとは仲良くなりました。さっき大阪で待ち合わせしたときもそうだったんだけど、マメちゃんは人をじっと見るなって思うんです。私もよくおもしろそうな人がいるとじっと見るんだけど、マメちゃんもやっぱり見ていた。
マメ:私はそんなことないと思うんですけど……。(場内笑)
さっき大阪で待ち合わせたときもそうだったんですけど、高山さんは、人が通り過ぎるようなものでも、じーっと見ていますよね。大丸百貨店の工事中の白い壁に大阪の歴史が書いてあるのも、じーっと見て。
高山:あれ、おもしろかったよね。マメちゃんも一緒じゃない? そういうの、よく見るでしょ?
マメ:いや、私はそんなでもないですよ。(場内笑)
高山:そっか。
自分の「しつこさ」と付き合うには、ひとりになるしかない
高山:『日々ごはん』なので、ちょっと日常の話をしましょうか。
神戸に引っ越してきたのには、いろいろ理由があるんですけれど、ひとりになってみたかったんだと思うんです。『帰ってきた 日々ごはん(3)』のあとがきにも書いているけれど、実はこの頃ってスイセイとケンカばっかりしているんです。『帰ってきた 日々ごはん』を読まれた方から「よくそんなにあったことを何でも書けますね」って言われることがあるんですけど、書いていないことの方がもちろん多いんです。あけすけに書いているようで、あけすけじゃあないんです。本当にあったことだけ書いていますが、夫婦ゲンカの内容とか、理由とかは日記に書いてもしょうがないし。読んでくれる人の本だと思ってもいたから。
別々に暮らそうかっていう話は、実はもう10年くらい前から出ていたんです。この次の次に出る『日々ごはん』くらいから、ケンカのことも書いているかな。スイセイが海の絵を使いたかったのも、いろいろあった時期の日記だからじゃないかなと思います。
マメ:この海の絵は一見、穏やかだけど、いろいろあった時期だから、あっているんじゃないかって、スイセイさんが。
高山:そう言っていましたか。「どうしても」っていう感じでしたね。見る人によって違うでしょう、海って。穏やかにも、荒々しくも見えるから。
マメ:「日々ごはん」に出てくる、「山の家」ができたのはいつ頃ですか?
高山:6、7年くらい前になるかな。東京の吉祥寺の家と、山梨にある山の家を行ったり来たり。山の家ができて、「家はかすがい」というのか、自然に囲まれていると、穏やかになって、山の家にいるときだけはケンカがおさまりました。ずっと一緒にいると、垢みたいなものがたまってくるんです。それでも一緒にいるっていうのは、ちょっとこう、努力がいることですよね。家族をつくる、家族をつづけるというのは、私には努力がいる。うちの父はそういうことちゃんとしようとしていた。年末にみんなで揃って大掃除をするとか、餅つきして、お正月の支度をするとか。私はそういうのができないみたい。マメちゃんは?
マメ:私は家族と一緒にいるのは苦ではないです。大の仲良しということもないけど、ふつうです。
高山:実家にはよく帰る? マメちゃんはいま大阪に住んでいて……。
マメ:実家は島根です。イラストの仕事を始めたくて大阪に来て、4年になります。初めは大阪がいやで頻繁に帰っていました。でも、暮らしていくうち知り合いが増えてきて、絵のこともわかってもらえて、楽しくなってきました。今は忙しくなって、あんまり帰っていませんね。年1回くらい。
高山:さっき「しつこい」っていう話をしたけど。マメちゃんの「しつこさ」みたいなもの、じっと見たり、食べものを描いたり、そういう。みんなそれぞれにあると思うけど、私にはどうしようもない「しつこさ」があって、それと付き合おうと思うと、ひとりになるしかないなって。まわりにとっては迷惑、いや、迷惑ではないのかもしれないけど。人のやりたいことをおさえちゃうんじゃないかなとか。スイセイを我慢させていたのかなとか。最近、わかってきたんです。「ひとり」について考えていたとき、書きとめたものがあるので、ちょっと読みますね。
- 私は自分の立ち位置を確かめる。
これでいいのかな、これで大丈夫かな。
毎日毎日、飽きもせずに
毎日毎日、新しい不安がやってきて
新しい気持ちでまた確かめる。
二人でいたときはそういうことを
何かに潜らせ、何かで覆い、まぎらわせることができたけど
一人で暮らすというのは
そういうことを確かめるということのような気がする。
一人で生きていく
一人で死んでいく支度。
ひとりでいる時間があると
だれかといるときの時間が尊い。光る。
景色を一緒に並んで見る。
電車に乗る。
……という走り書きなんですけれど、ひとりになってそういうことを感じました。たぶん、それをしにきたんだろうなって。それをしないと死ねないんだろうなって。あと、30年、40年しか生きられないと思うと……。
マメ:40年生きたら……。
高山:98歳……。じゃあ、あと30年くらいなのかな。私が58歳で、マメちゃんは25歳。私との年の差は娘くらいあるんだよね。
いつまでも子どもみたいだけど、自分のどうしようもなさにちゃんと向き合わなければ、死ねないなって思って、来たのだと思います。その中に文章の本づくりがあり、絵本ももちろんあります。神戸には、一回、料理家を辞めたつもりで来たんです。「かつて料理家だった、高山さん」みたいな感じでもいいかなって。
[後編「本は一回一回、自分を出し切らないと作れないんです。」に続きます]
取材・文:宮下亜紀/写真:後藤知佳(NUMABOOKS)
(2017年9月15日 大阪・心斎橋アセンスにて)
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