COLUMN

佐賀一郎
ノイエ・グラーフィクとその時代《グラフィックデザインの新潮流1958–1965》

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1958年9月、スイスから国際デザイン誌『ノイエ・グラーフィク』が創刊された(昨年、復刻版がスイスのラルス・ミューラー・パブリッシャーズより刊行)。第2次世界大戦の終戦から10年あまりが経過し、世界が進むべき未来を見定めようとしていた時代に登場したこの伝説的雑誌は、デザインの将来像を示すことで、1965年までの7年間・17号というごく短い発行期間にもかかわらず、日本を含め、世界的な影響力を持った。多摩美術大学アートテークで開催されている本展覧会[竹尾ポスターコレクション・ベストセレクション10]「ノイエ・グラーフィクとその時代《グラフィックデザインの新潮流1958–1965》」は、ノイエ・グラーフィク誌の編集制作に携わった4人のデザイナー─リヒャルト・パウル・ローゼ(1902–88)、ヨゼフ・ミューラー=ブロックマン(1914–98)、ハンス・ノイブルク(1904–83)、カルロ・ヴィヴァレリ(1919–86)の仕事を基軸に、その周辺のデザイナーの作品をあわせて竹尾ポスターコレクションから選定し、構成したものである。多摩美術大学は、株式会社竹尾が保有する竹尾ポスターコレクションの寄託を受け、1998年に株式会社竹尾との共同研究チームを結成し、調査研究を重ねてきた。筆者は、共同研究チームに所属しており、本展覧会はその研究成果展となる。ここでは共同研究の現代表者の立場から、この展覧会で掲出しているポスター群そして『ノイエ・グラーフィク』の《現代的意義》を考えるためのイントロダクションとして、その特徴と歴史的位置づけを簡単に紹介しておきたい。なお、本テキストは会場で配布しているリーフレットの内容を本ウェブサイト掲載用にリライトしたものである。

理念としての構成的グラフィック

 ノイエ・グラーフィク創刊当時の4人の年齢は39–56歳にわたり、すでにそれぞれ独立したデザイナーとして重要な仕事をものにしていた。彼らに共通していたのは、チューリッヒを拠点に活動していたという地理的要素のほか、客観性や合理性、機能性をデザイナー個人の主観や感情に優先する構成的デザインを指向していた点にあり、何よりも重要なことは、彼らの「新しい」デザインが、社会の行く末を導くという、一種公共的・啓蒙的な理念を共有していた点にあった。それこそが彼らを結びつけ、雑誌の創刊に向かわせたのである。
 彼らが共有した理念は、ノイエ・グラーフィク創刊号の冒頭に掲げられた連名の「イントロダクション」で端的に示されている。「このアートの新しさは、そのほとんど数学的な明晰さにある」。「現代のデザイナーは、もはや産業に仕える存在ではない。広告のドラフトマンでもないし、あるいはポスター・アーティストでもない。現代のデザイナーは、一個の独立した存在として計画し、創造する。その人格全体をもって情報を伝達する」。彼らにとって、構成的デザインはデザイナーの独立性と不可分の関係にあった。それはデザイナーとデザインの社会性、倫理性を裏付ける価値観でもあった。当然のことながら、この雑誌が掲げた目標は、公共的色彩を多分に帯びていた。「この雑誌はすぐれた才能を紹介するものではない。訓練の場でもない。この雑誌は今日のデザインの動向を伝える場として、またモダン・グラフィックおよび応用芸術について議論する国際的な場を提供することを企図して創刊された」。
 ノイエ・グラーフィクの誌面と記事内容は、4人のデザイナーが共有した「新しい」グラフィックデザインとその理念を伝える媒体として機能し、戦後のデザインが進むべき方向を指し示すという歴史的役割を果たした。彼らはデザインの社会的価値を信じる点で情熱的だったが、その価値を客観性や機能性に結びつけようとしていた点で、理知的であり冷静だった。

客観性の重視

 ノイエ・グラーフィクの創刊当時は、終戦から間もなく顕在化した東西の対立構造が、はやくも新たな衝突を予見させる時代だった。こうした状況にあって、戦間期にバウハウスやロシア構成主義をはじめとするアヴァンギャルド芸術やモダンデザインが掲げた楽観的な理想主義は、過去のものとなりつつあった。戦争の破壊と恐怖が、人びとに世界平和と人類の共存の重要性をかつてないほど強く知らしめた時代にあって、戦前のモダンデザインはあまりに楽観的だった。当時必要とされたのは、誰もが共有可能な中立の価値観─すなわち客観性や合理性に裏付けられた、感情ではなく事実に訴えるデザインだったのである。
 戦前のアヴァンギャルド芸術、そして彼らに先行して活躍していた戦前からのスイスのグラフィックデザイナーたち─本展覧会では、チューリッヒで活躍し、またチューリッヒ造形学校で後進の教育にあたったエルンスト・ケラー(1891–1968)、テオ・バルマー(1902–65)、ヴァルター・ケッヒ(1901–71)のポスターを掲示している─の正当な後継者を自認していたノイエ・グラーフィクが示した「新しさ」は、客観性と合理性を極限にまで押し進めたデザインであり、当時の社会状況に対するまたとない回答として受け止められた。
 抑制の効いたタイポグラフィに特徴づけられる表現様式は、スイスという永世中立国と結びつけて捉えられることで、「国際タイポグラフィック様式」あるいは「スイス派」「スイスタイポグラフィ」と呼称され、今日のデザインの理論的基盤として発展した。
 なお、スイス派を語る上で欠かせないのは、エミール・ルーダー(1914–70)、アルミン・ホフマン(b. 1920)、そしてロベルト・ビューヒラー(1914–2005)らをはじめとする優れたデザイナー、教師陣を擁するバーゼル工芸学校とその周辺である。この時代、バーゼルもまた、チューリッヒのデザイナーたちと並んでスイス派の存在を世界に知らしめる役割を果たした。

ポスターデザインに見る「新しさ」

 本展覧会で掲示したポスター群、とりわけ第二次大戦後のローゼ、ミューラー=ブロックマン、ヴィヴァレリ、ノイブルク、そしてバーゼルのデザイナーたちのポスターを見る時、まず驚かされるのはその新しさではないか。抑制が効いていればいるほど、新しさと詩情が増すかのようである。まるで私たちが結局迎えることのなかった未来がそこに存在しているかのようにさえ見える。
 それらポスターの表現スタイルには、使用する書体の種類やサイズの抑制、抽象形態や幾何学形態による色面の利用、そして画面に与えられる緊張感など、ある種の共通性が感じられる。だが、それによってデザイナーの個性がそがれているという印象はまったくない。
 このことは、構成的グラフィックにおける客観性や合理性の追求が、個性と併存可能であることを教えてくれる。
 本展覧会で掲示した作品のうち、もっともボリュームを割いたヨゼフ・ミューラー=ブロックマンのポスター群は、構成的グラフィックのひとつの到達点を示すものである。1950年代にはじまり、およそ四半世紀にわたって制作されつづけた一群のコンサートポスターは、幾何学形態を用いたものから、純粋にタイポグラフィックな構成によるものまで、非常に幅広い表現で展開されている。それらのポスターが示す一貫した画面の構成力、明晰さ、力強さ、クオリティは比類ないものである。
 1940年代、すでにイラストレーターとして名声を博していたミューラー=ブロックマンは、50年代に構成的グラフィックを志し、キャリアを大きく方向転換した経験を持つ。30代半ばで行ったこの転換は、グラフィックデザイナーの社会的責任という職業上の倫理観と公共意識に基づいた、強い決意のもとで行われた。ノイエ・グラーフィクの創刊を思いたったのもミューラー=ブロックマンである。名作の誉れ高いこれらのポスター群の背後に横たわる決意は、画面にあらわれた表現と同じかそれ以上に重要である。理念に支えられて生まれた表現ということで言えば、ノイエ・グラーフィクとその周辺のデザイナーの作品も同様である。

構成的グラフィックの現代的価値

 構成的グラフィックの冷静な表現は、とかくテクノロジー主導の現代社会によく適合するように見える。だが、構成的グラフィックの背後の理念が現代に適合するかどうかは、詳しく検討する必要があるだろう。私たちは50–60年代ほどに客観性や合理性を必要としているだろうか? そうでないとしたら、私たちが今、本当に必要としているものは何だろうか? この素朴な問いに答えるところから、私たちのデザインははじまるに違いない。

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(多摩美術大学アートテークにて撮影)

[ノイエ・グラーフィクとその時代《グラフィックデザインの新潮流1958–1965》 了]

竹尾ポスターコレクション・ベストセレクション10
「ノイエ・グラーフィクとその時代 グラフィックデザインの新潮流1958–1965」
会場:多摩美術大学八王子キャンパス アートテーク 1Fギャラリー
会期:2016年6月3日(金)–6月24日(金)
開館時間:10:00–17:30
休館日:日曜日
主催:多摩美術大学
共催:株式会社竹尾
企画:竹尾ポスターコレクション共同研究会
協力:ラルス・ミューラー・パブリッシャーズ


PROFILEプロフィール (50音順)

佐賀一郎(さが・いちろう)

デザイン史家、グラフィックデザイナー。多摩美術大学グラフィックデザイン学科准教授(美術博士)。近代以降のビジュアルデザインとタイポグラフィに力点を置いたデザイン史を俯瞰的に研究。モダンタイポグラフィ/モダンデザインとはなにか? その現代的な意義・意味はなにか? なにが普遍的で、なにがそうでないのか? そこに時代を超えて通用する原理・原則はあるのか? そもそもデザインとは一体なにか? 広い意味での造形芸術の文化的・社会的・個人的価値とは? こうした美学的な問いを探究。共著『活字印刷の文化史』(勉誠出版、2009年)、訳・解説書『ウィム・クロウエル:見果てぬ未来のデザイン』(ビー・エヌ・エヌ新社、2012年)、監訳・解題『遊びある真剣、真剣な遊び、私の人生 解題:美学としてのグリッドシステム』(ビー・エヌ・エヌ新社、2018年)など。