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越前敏弥 出版翻訳あれこれ、これから

越前敏弥 出版翻訳あれこれ、これから
第1回:翻訳小説のおもしろさを伝えるために

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第1回:翻訳小説のおもしろさを伝えるために

 今年の2月に『翻訳百景』(角川新書)という本を出した。著書としては4冊目だが、これまでの3冊(『越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文』、『越前敏弥の日本人なら必ず悪訳する英文』、『越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文・リベンジ編』、すべてディスカヴァー携書)がどれも学習者向けの問題演習を中心とするものだったのに対し、今回の『翻訳百景』はこれまでに同名のブログに書いた記事や、各種のイベント・講演などで話したことなどを土台とし、それに大幅に加筆して再構成したものである。

 『翻訳百景』では、『ダ・ヴィンチ・コード』や『インフェルノ』など、ダン・ブラウンのラングドン・シリーズをはじめ、さまざまな海外フィクション作品の翻訳にこれまでどんなふうに取り組んできたかについて、具体例を多く交えて紹介しながら、文芸翻訳の仕事のアウトラインを示したつもりだ。

 ゲラ(原稿を校正用に活字組みしたもの)や調べ物のメモの実例を載せたり、タイトルの決め方や共同作業の進め方をくわしく紹介したり、これまでにない構成の本となったため、出版関係者や翻訳学習者、翻訳書の愛読者のみなさんからはかなりの高評価をいただいたが、実はこの本をいちばん読んでもらいたいのは、「本はまずまず好きだけれど翻訳書はあまり読まないという人たち」である。そういう人たちの目にふれるように、手に届くようにするにはどうしたらよいかを近ごろはずっと考えている。

 わたしが翻訳の仕事をはじめた20世紀末からわずか15年余りのあいだで、翻訳小説の一冊あたりの発行部数はおそらく半分以下になった。ほかにさまざまな娯楽があったり、ネットの利用が普及したりで、出版界全体にとってきびしい時代だということもあるが、小説であれ映画であれ演劇であれ音楽であれ、海外の文化全体にあまり興味を持たない人たちが増えたことのほうがより大きな要因だろう。

 国産でおもしろいものがじゅうぶんにあるから、わざわざ海外のものまで手を出す必要がないと考える若い層が多くなったのかもしれないが、いま日本の第一線にいる作り手たちは、ほぼ例外なく、若いころに海外の作品から多くのものを吸収したことが土台になって今日があるわけで、仮にいま日本のエンタテインメントがおもしろくても、海外から学ぶこと、海外の作品からアイディアを取り入れることをやめてしまったら、あと数十年で文化全体が先細りになるのは目に見えている。大げさに言えば、この国の基盤そのものがもろくなってしまうのではないかとさえ危惧している。

 とはいえ、説教じみたことを繰り言のように言っても人は動かない。また、本が売れない、翻訳者が売れないと大声で嘆いたところで、売れないとされるものを同情して買ってくれるのは、よほど奇特な人か、せいぜい家族とごく親しい友人ぐらいのものだ(それだって危うい)。では、どうすればいいのかというと、これはもう、ひたすら愚直におもしろさを伝えていくことしかないと腹をくくっている。

 たとえば、ピーマンでもニンジンでもセロリでもなんでもいいが、野菜がきらいな小さな子供がいて、その子にピーマンを食べさせるにはどうしたらいいかを考えたとき、「ピーマンにはこんなに栄養があるのよ、とっても体にいいのよ」などと説いても、実感のない子供は食べるはずがない。「食べないと大きくなれないぞ」などと脅せば、目をつぶってしぶしぶ少し口に入れるかもしれないが、それが恐怖感を植えつけて、大人になってもきらいなままになってしまうのが落ちだ。

 もし子供を動かせる可能性が唯一あるとすれば、まわりの大人が心底おいしそうな顔をしてその子の目の前でピーマンを食べることだろう。「ああおいしい、こんなにおいしいもの、全部食べちゃおうかな、早くしないとなくなっちゃうよ」などと言えば、すぐには無理でも、いずれ何割かの子供は興味を示すにちがいない。北風より太陽。翻訳書にしても文化全般にしても、同じことだと思う。だから、おもしろさを伝えるためにどうすればいいかを考えていくしかない。

 たとえば、試みのひとつとして、翻訳ミステリー大賞シンジケートが後援する全国翻訳ミステリー読書会がある。2011年に福岡と大阪でスタートしたあと、各地に住む翻訳者や書評家、さらには一般の愛好家が世話人となってそこかしこで立ちあがり、現時点では全国20か所余りで開催されている。

 読書会などをやっても、1か所についてせいぜい10人か20人の参加者が集まるだけで、たいした影響力がないと思われるかもしれないが、そんなことはない。どこかの読書会の開催がサイトで告知されると、別の地域の読書会の世話人や常連参加者までもが楽しげに課題書や作者のことをツイッターなどのSNSに書いて、どんどんひろがっていき、それを見かけた人が、なんだか得体の知れないおもしろそうなことをやっているから一度のぞいてみよう、という感じになって、少しずつ参加者が増えてきた。ネットの時代になっても、実際に顔を合わせて本のことを語り合うというシンプルで原始的な催しが好まれるというのが興味深い。

 この連載では、文芸翻訳の仕事はどんなものか、いま翻訳出版の世界で何が問題になっているのかをなるべく具体的に示しながら、一方で、翻訳書の読者を増やしていくためにわたしや周囲の人たちがどんな取り組みをしているのかも紹介していきたい。

 『翻訳百景』でもずいぶん説明したが、書ききれなかったことも少なからずあり、最新情報も含めてそれらをここで補っていくつもりだ。どういう順序になるかわからないが、いまのところ以下のような話題には言及しようと考えている。

・翻訳出版の世界の現状
・出版翻訳の仕事とはどんなものか
・翻訳の仕事をはじめるには
・翻訳書の魅力
・読者を増やしていくための取り組み
・翻訳出版の未来

 また、この記事は毎月15日に掲載されるので、わたしが主催もしくは参加するトークイベントや特別読書会などのうち、日の近いものをいくつか紹介していきたい。翻訳出版の世界の現況を知ってもらうにはそれが最適だと思うからだ。5月下旬には、以下のふたつの催しがある。

・5月21日(土)
 第17回翻訳百景ミニイベント「ファンタジーを徹底的に語ろう!」

 http://techizen.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/bookmark17-83b0.html
 ゲスト: 金原瑞人&酒寄進一&三辺律子
 司会進行:越前敏弥
・5月28日(土)
 翻訳ミステリー気仙沼特別読書会

 http://d.hatena.ne.jp/honyakumystery/20160327/1459044654
 課題書『パズル・パレス』(ダン・ブラウン著、越前敏弥&熊谷千寿訳)
 訳者ふたりともが参加

 次回はまず、翻訳書が出版されるまでの大きな流れについて書いてみる予定である。

[第1回:翻訳小説のおもしろさを伝えるために 了]

▶「第2回:翻訳書が出るまで」はこちら


PROFILEプロフィール (50音順)

越前敏弥(えちぜん・としや)

文芸翻訳者。1961年生まれ。東京大学文学部国文科卒。訳書『インフェルノ』『ダ・ヴィンチ・コード』『Xの悲劇』『ニック・メイソンの第二の人生』(以上KADOKAWA)、『生か、死か』『解錠師』『災厄の町』(以上早川書房)、『夜の真義を』(文藝春秋)など多数。著書『翻訳百景』(KADOKAWA)『越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文』(ディスカヴァー)など。朝日カルチャーセンター新宿教室、中之島教室で翻訳講座を担当。公式ブログ「翻訳百景」。 http://techizen.cocolog-nifty.com/


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