近年「LOST&FOUND PROJECT」などの活動に尽力していた写真家・高橋宗正さんが、5年ぶりに作った自身の写真集『石をつむ』。自らのレーベル「VERO」をグラフィックデザイナーの塚原敬史さんとともに立ち上げ、自費出版したこの本をきっかけに、写真集を作ることの意味、そしてどのように売っていくかという現実的な作業に直面したVEROのお二人は、赤々舎代表の姫野希美さん、マッチアンドカンパニー主宰の町口覚さんという写真集出版の先人たちに、改めてその道のりについて徹底的に尋ね、掘り下げていきました。
写真集制作の具体的な工程から、日本と海外での写真集の受け取られ方の違い、そして写真集という存在にこだわるのか。デザイナー・編集者・写真家、異なるそれぞれの立場からの熱い本音が語られます。
※本記事は、2015年8月1日にIMA Concept Storeで開催されたトークイベント「写真集が生まれるところ」を採録・再構成したものです。
※「写真集」をめぐる対話 第1回 高橋宗正×内沼晋太郎「写真家と非写真家のあいだ」はこちら。
[前編]
デザイナーや編集者、印刷製本、いろんな人が関わっていい写真集になる
高橋宗正(以下、高橋):みなさん、お集まりいただきありがとうございます。今日は赤々舎の姫野希美さん、マッチアンドカンパニーの町口覚さん、トリムデザインの塚原敬史くんをお呼びしました。
実はこのイベントを企画したのには理由があるんです。先日僕は塚原くんにデザインをお願いして『石をつむ』(VERO、2015年)という写真集を出したんですが、これは自費出版。自分で制作費を出して作ったものなんです。僕たちがそこまでして自分で本を作りたかったのは、姫野さんや町口さんの影響が大きかったんです。僕は「写真家」という立場で姫野さんや町口さんの仕事を間近で見ていたんですが、だんだん「大変そうだけど、自分たちでやるのも楽しいんじゃないか」と思えてきて。そこで僕と同世代のデザイナー塚原くんに声をかけて、できた写真集が『石をつむ』なんです。
写真集では写真家の名前が前に出やすいんですが、本を作るときは写真家だけじゃなくて、デザイナーや編集者、印刷や製本をする人、いろんな人が関わって一冊の本ができているんですね。写真家だけじゃなくていろんな人が関わって、それがうまく組み合わさったときにいい本ができる。それを自分の本を出してから学びました。だから今日は、出版社の姫野さん、デザイナーであり自分でも出版をされている町口さん、僕の本も作ってくれたデザイナーの塚原くんと「写真集が生まれるところ」を語り合っていこう、という企画です。
姫野さんとは赤々舎で『スカイフッシュ』(2010年)と『津波、写真、それから』(2014年)という2冊の写真集を作りました。『スカイフッシュ』のデザイナーも塚原くんです。姫野さんとは一緒に写真集を作ったけど、町口さんと繋がったのは塚原くんがきっかけです。塚原くんは最初、町口さんのところで働いていたんだよね。
塚原敬史(トリムデザイン/以下、塚原):僕が大学を卒業したとき、最初に働かせてもらって。
町口覚(マッチアンドカンパニー主宰/以下、町口):いつごろだっけ?
塚原:13年前ですね。
高橋:塚原くん、デザインの経験がまったくなくて、最初は先輩の後ろでずっと仕事を見ていたんだよね。
塚原:先輩デザイナーのMacの画面をずっと見ていたんです(笑)。
町口:なんで俺、そんな人を入れたんだろう(笑)。
塚原:僕は当時「デザイナー」という職務が何なのかもよくわかっていなかったんですけど、町口さんが手がけていた写真集や佐内正史さんの作品とかを見ていて、「写真集はカッコイイ」と思っていて。それで好きな写真集を作っている人を調べたら町口さんの名前が出てきて、しかもデザイナーを募集していると。それで「僕、何もできないんですけど……」って言いつつも会いに行って(笑)。
町口:そういえばそうだった。採っちゃったんだよなぁ(笑)。
高橋:(笑)。でもそれがあったから塚原くんの今があるんだよね。
塚原:そう。それで『スカイフッシュ』。この本は僕が独立して最初にデザインした本で、できたときに高橋くんと一緒に町口さんへ報告に行ったんですよ。
高橋:僕はそこで初めて町口さんと会って。そのときはそれだけだったんですけど、そのあと赤々舎も出展していたパリフォト(※毎年パリで開催されるヨーロッパ最大の国際写真フェア)に行ったんです。そこで写真集の企画展示があって、そのセレクターの1人が町口さんだったんですよね。
町口:パリフォトが1997年からだから、それ以降に出版された写真集を15冊セレクトしてほしい、っていう依頼だったんだよね。
高橋:それ以降、僕も何度かパリフォトに行って町口さんのブースを見たんですけど、町口さんのところには毎年本を買いに来るファンがいるんですよ。
町口:バギーに子どもを乗せたお母さんとかも来るんだよね。それでバギーの子どもにも写真集を見せていたりするんだよ。そういうのを見ると嬉しいよね。
高橋:パリフォトって華やかな発表の場だけじゃなくて、本を売る場でもあるから、売上っていう評価もあるじゃないですか。そこで当時出展していた僕らの『スカイフッシュ』は、がんばって作ったんだけど、そこでは動きづらい本だったんですよ。それを見て、「どういう本がお客さんに、ある種の『強さ』をもってアピールするのか?」って考えたんです。とにかく本をちゃんと作って説明するのは当然だけど、デザインや紙や本のサイズとか、一つ一つがお客さんに対して説得力を持つし、そういう本の方が結果的にお客さんも動く、買いたくなる。そう実感したんです。
それって、町口さんと姫野さんのお二人がやっているような仕事だと思うんです。だから『石をつむ』が完成して、いま写真集の話をするんだったら、本当に考えて、向き合って、手間も暇もかけて写真集を作り続けているお二人と話したい。そうしたら、写真集の楽しみ方、見方がもっと見えてくるんじゃないかと思って、今日はお願いしたんです。
作品そのものが「自我」や「自己表現」で終わるんだったらつまらない
高橋:実は今回、写真家を作るプロセスについて簡単に話したいと思っているんです。だからまずは具体的に「写真集はどうやって生まれてくるのか」という話をしたいと思います。写真集はどういう手順で作られるか、紙/印刷/デザイン、一つ一つの段階を知ることで写真集を見るときのポイントが具体的に見えてくるんじゃないかと思っています。
僕は「写真家」と呼ばれる立場なんですが、他に出版社と編集者、デザイナーが関わって本が生まれます。でもそもそも最初に作品(写真)がないと本作りはスタートしないと思うんですが、お三方はどういうときに「本を作りたい」と思いますか。
塚原:僕はまだ実際に写真集を作ったのは数冊なんです。デザイナーの仕事は依頼が最初にあって、自分でリスクを負ってまで作ろう、というところは入っていないと思うんです。それでも、最初に写真だけを見て「作ろう」という気はなかなか起きない、というか。会話など、ある程度時間をかけて写真家自身が見えてきたところで「作りたい」と思えてきます。
高橋:人間的に、ということ?
塚原:どうやって本というものに落とし込むか……ということを探っている、というか。デザイナーは、印刷方法やかかるコストを写真家よりも知っているから、現実的な提案で写真家を助けることができます。それを具体的に提示するのに、その人への興味があると、どんどん自分から手助けしたいと思えるようになる。写真集づくりにはそういう部分があると思います。
高橋:姫野さんはどうですか。
姫野希美(赤々舎代表/以下、姫野):例えば作品を見たとき、「あなたはこういう写真でこういうことがやりたいんですね」って、いくらか言葉にできると思ったら私はやらないですね。位置付けや分析ができないもの、とでも言うのかな。ワケがわからないんだけど、あえて自分をそこに投げ入れてみたい、というか。そこへの恐れがありつつ、共振する部分と、深く関わりたい・交わりたいという欲望がすごくあって。あと、あまり「自我」とか「自己表現」ということに興味がないんですね。それよりも、いかに深く人間や社会と関われるか、という部分に重心がある人と一緒にやりたいという気持ちがある。自分を握りしめるような表現に対して、むしろ反発があるの。写真がそこに留まるとしたら、「写真がなぜ存在しているか」という意味がすごく窮屈になると思っていて。
高橋:うーん、どうやって噛み砕いたらいいのか考えているんですが……。作品そのものだけじゃなくて、その人の人生も含めて、ということですか。
姫野:そうじゃなくて、作品そのものが「自我」や「自己表現」で終わるんだったらつまらないな、と。
作品、つまり写真そのものがそういう力を持つべきだと思っていて。写真自体がいかに社会と深く関われるか、いかに他人と深く関われるか、というものであってほしいし、私はそこに興味がある。写真の先にその活動があるのではなくて、写真そのものがそうあってほしいと考えています。
高橋:町口さんは?
町口:俺はもうハッキリしてる。さっきも言ったけど、本を作るのが好きだから。写真はもちろんだけど、写真集が好き。俺の場合は完全に二つに分けてるね。
まず、「依頼される」という場合があるじゃない。例えば出版社の人に頼まれる。一方で、「自分で作る」場合がある。前者は非常に明確だよね。写真集のデザインを依頼されるっていうのはコミュニケーションだから。写真家や編集者、それをどう理解して、いい意味で裏切るか。要するに提案だよね。自分のレーベルを立ち上げるまではそういう仕事ばかりしていたんだよね。こういう紙と製本で、印刷もこの方法で……って丁寧に造本仕様書も書いてコストも考えて出版社に提案する。でも最後の部数や価格は出版社の判断になる。
それが2000年代に入ってから、「再考してください」と言われる割合がすごく増えた。例えば「この紙は高価すぎる」とか、「ハードカバーは予算に合わない」、「印刷に5色は使えない」とかね。俺はいつもこれがベストだと思って提案しているから、いくら戻されようと、その予算枠でベストを尽くしていた。それを繰り返しやっているつもりだったんだけど、戻されることがあまりにも続いたんだよね。もちろん戻されるというのは誰が悪いとかじゃなくて、ちゃんと売りたいからそういう戻しが来る、というのもわかってた。でも、こういう本を作りたいという素直な気持ちを形にしたいなと思って、自分のレーベルを立ち上げたんだよね。
[中編「とにかく本を作りたい。その本作りの中で一番面白いのが写真集なんだよ。」に続きます]
構成:松井祐輔
(2015年8月1日、IMA Concept Storeにて)
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