マンガを取り巻く現況を俯瞰し、マンガと人々がいかにして出会うことができるか。マンガナイト代表・山内康裕さんが連載コラム「マンガは拡張する」全10回の中で描いた構想を、第一線でマンガ界を盛り上げる人々に自らぶつけていく[対話編]。9人目のゲストは、『週刊文春』にてマンガ時評「マンガホニャララ」を連載中のコラムニスト、ブルボン小林さん。手塚治虫文化賞や小学館漫画賞などの選考委員も務めるブルボンさんにとって「マンガを語る」という行為がもたらすこととは何か、そして漫画賞の選考にまつわる裏話などをたっぷりとお伺いしました。
【以下からの続きです】
1/6:「個々のマンガが面白いことはわかってるから、ひとつひとつ褒めていこう、と。」(2015年4月7日公開)
2/6:「『文春載ってる!』って親の電話で知る方が、装置として大きいでしょう。」(2015年4月7日公開)
3/6:「ゲームよりマンガの世界の方が言葉を欲している。」(2015年4月8日公開)
4/6:「手塚治虫文化賞の選考過程で起こったマンガ的ミラクル。」(2015年4月10日公開)
選考委員は傷つく
ブルボン:手塚治虫文化賞は、8人の選考委員が1作品ずつ挙げたものがほぼ必ず最終候補になるんですよ。
だから「今年の一番はコレだ!」って思って出すんですが、それを否定されるわけだから、まあ本当に傷つくんです。だからこそすごく考えて、他の候補作も読み込んで選考会に行くのに「なんか、こういうの挙げたら面白いかなって思ってですねー」みたいに軽く言い放つ委員がいたりするともう!(笑) 腹が立って!(笑)
山内:なんでわかってくれないんだっていう苛立ちと、その熱量で来てない人がいることへの苛立ちがないまぜになるわけですね。
ブルボン:僕の姿勢が重すぎるのかもしれないけど、傷つくんですよ、真面目に。手塚治虫文化賞は大賞のほかに新生賞と短編賞があって。3つの部門に、自分がいいと思ったものを1作品ずつ出す。3年間選考委員をやったら合計9個の球を投げてるわけですけど、僕ね、0勝9敗なんです。自分が一番だと思って推したものを、これまで一度も受賞させたことがない。それは本当に、その場の人たちの審美眼と合わないんだろうとも思うんです。
だから3年目(2014年/第18回)はかなりヤケになってて(笑)。
山内:3度目の正直と思って行きますもんね(笑)。
ブルボン:「どうせ俺が投げる球はダメだからもういいよ。せめてお前らコレ読め!」って感じで、渋谷直角さんの「カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生」(扶桑社)を出したのね。
ところがその年の新生賞は、これがいい線まで行ったんですよ。3対3くらいになったんです。でも結局、その年も僕が推した作品ではなく今日マチ子さんになったんだけど、惜敗だったから余計に悔しくてね。
ある選考委員に「この人、(受賞させたとして)この先あるの?」って言われて。直角さん本人にそう伝えたら――伝えるのもどうかと思うが(笑)――ちゃんと悔しがったから、それは少し救われました。
この間お亡くなりになった河野多惠子さんという作家が、芥川賞の選考委員をやっていた当時を回想するインタビューで「選考で自分が推しているものが通らず、自分では納得がいかないものが受賞となった夜は、タクシーで帰ってきても夜遅くまで寝付かれず、机の上にあったゲラを床に叩きつけた」って仰ってて。本当に、そのくらい腹が立つんだよ!(笑)
ただ、「キングダム」にしろ「3月のライオン」にしろ今日マチ子さんにしろ、そのとき推さなかったものでも「あれは嫌だったな」っていう受賞作は今のところ一つもないですね。議論の都合でときに反対するだけで、みなさん面白いマンガなのは間違いないから。
山内:熱い話ですね(笑)。
ブルボン:でも、そういう現場を見ることができるのは面白いなと思います。
自分の年齢やキャリアに似合わないポジションで選考の現場を見ることができているとも思う。選考結果は思ったようにならなくて悔しいけど、それはいつか、自分のアウトプットになるだろうという予感もしています。
山内:僕は今、選考の現場をマンガにしたものが読みたいです(笑)。
ブルボン:それはいろいろ時効になってからじゃないと(笑)。今もいろいろ喋ってるけど、実はだいたい公表されてることばかりで、もっと語りにくい面白いこともある。
手塚賞は12敗になったら僕はもう降りるので(笑)。僕も僕なりに頑張るけど、山内さんとか、もっといい人もたくさんいるでしょう。そういう人たちに選考委員をやってもらって、暗い顔になってほしい!
山内:!(笑)
※編集部注:2015年3月31日に発表された第19回(2015年)手塚治虫文化賞では、ブルボン小林さんが推した「逢沢りく」(ほしよりこ著、文藝春秋)が大賞を受賞した。これを承けて綴られた『週刊文春』2015年4月9日号掲載の「マンガホニャララ」のサブタイトルは「ほしよりこさん(と俺)、おめでとう」。
「賞」を有効なものにするには
山内:僕はマンガ業界で面白いのは「賞」と「ランキング」とのパワーバランスが絶妙なところだと思っていて。「賞」は、ブルボンさんが仰られたように数人の選者が決めていくもの。一方、「ランキング」はアンケート形式がほとんどなんですね。多くの人が推薦作品を選んで、それを単純に集計していって1位を決めていく。で、あれは1位を獲ると売れるんですよ。
ブルボン:うん、そうですね。宝島社の「このマンガがすごい!」とかですね。
山内:そうです。「このマンガがすごい!」とか、「マンガ大賞」とか、各雑誌のものとか。だいたいは大人数のアンケート投票によって1位が決まっていく。そして、実はそっちの方が一般化されています。ランキングの上位作品は確かに面白いし、「みんなが面白いと言っているなら」ということでさらに売れていくシステムになっています。かたや「賞」は、数人の選考委員の熱い思いがすごく入るから、販売部数とは違うベクトルがありますね。今回の文化庁メディア芸術祭のマンガ部門で大賞を獲った近藤ようこさんの作品(「五色の舟」、津原泰水原作)も、ランキングでは1位にならないでしょう。その両方のバランスが、すごく面白いなと思います。
逆に言うと、ランキングの力が強いから賞の力が今は弱いのかな、と思ってしまいますね。
ブルボン:そうですよね。賞というものを「show」のショーとして捉えて、興行として仕掛ける意識がマンガの賞は希薄ですね。素朴すぎて。何か賞を獲ったって、それで帯がつけ変わることはあるけど、それで売れましたというのは聞いたことがないです。
「このマンガがすごい!」とかは、書店との連携が如実だったからね。
山内:あれは本当に販売に結びつくし、むしろ「このマンガがすごい!」とかで上位にランクインする方が出版社の人は喜びますよね。
ブルボン:そうですよね、そうそうそう。だから賞を有効なものにするのは、一朝一夕ではできない。すごく難しいですね。でも実は多分に興行的なものであるはずなんですよ。
芥川賞がなんで有名なのかといえば、打ち出し方とか、直木賞とペアにしたとか、年2回やったとか。手がけた菊池寛の戦略が全てハマった。初期の頃、太宰治が欲しがったとか、ゴシップ的な逸話にも事欠かない。「あの太宰も欲しくて獲れなかった賞」だということでブランド力が飛躍的に高まって、格を作った。でもそれって、漫然とやってたらそうはならないですよね。
だからです、手塚治虫文化賞の大賞を「泣いて喜んだ」ってことを作者があとがきで公言しているんだから、賞を続ける側は逸話として、何かクロニクルとして大事なことだと思わないと。
[6/6「マンガ評は『マンガのような評』であるべきだ!」に続きます](2015年4月13日公開)
構成:石田童子
(2015年2月24日、レインボーバード合同会社にて)
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