マンガを取り巻く現況を俯瞰し、マンガと人々がいかにして出会うことができるか。マンガナイト代表・山内康裕さんが連載コラム「マンガは拡張する」全10回の中で描いた構想を、第一線でマンガ界を盛り上げる人々に自らぶつけていく[対話編]。9人目のゲストは、『週刊文春』にてマンガ時評「マンガホニャララ」を連載中のコラムニスト、ブルボン小林さん。手塚治虫文化賞や小学館漫画賞などの選考委員も務めるブルボンさんにとって「マンガを語る」という行為がもたらすこととは何か、そして漫画賞の選考にまつわる裏話などをたっぷりとお伺いしました。
【以下からの続きです】
1/10:「個々のマンガが面白いことはわかってるから、ひとつひとつ褒めていこう、と。」(2015年4月7日公開)
2/10:「『文春載ってる!』って親の電話で知る方が、装置として大きいでしょう。」(2015年4月7日公開)
マンガ評よりも先にゲーム評の仕事があった
ブルボン:シーンへの熱狂という話をすると、僕はマンガよりもテレビゲームです。
山内:ああ、世代的に。
ブルボン:固有の、例えばマリオが好きだったとかいうことじゃなくてね。全体的な熱とか、ライバルの会社がこういうことやったとか、ファミコンではこうだったけどゲームセンターではこうだったみたいな。自分が選んだ場所で見てきたシーンがなんだか愛しいし、当時は金銭的、時間的な理由で見られなかった部分が必ずあって、そこを大人になってから見るのも楽しい。それは完全にシーンを愛してるってことですよね。
山内:ブルボンさんの年代だと、ゲームって本当に黎明期のスタートからですよね。
ブルボン:そうです。スペースインベーダーが1978〜79年かなあ。サラリーマンが喫茶店に行って。
山内:テーブルで、ピコピコと(笑)。そうやってずっと見ているから、やっぱりシーンとしても、新しくできたものがどういう風になっていくのか、過程を見ていく楽しさがあったんでしょうね。
ブルボン:たぶん、あったんでしょうね。温泉に行くとあるパックマンとかね(笑)。
山内:はい。懐かしいです(笑)。
ブルボン:原体験としてはマンガ以上に大きいんですよ。マンガは超ドラえもんブームだったから、その大きいブームの途中に自分たちが放り込まれてる感じがありましたね。
僕のコラムニストとしての仕事はマンガ評よりもむしろゲーム評の仕事の方が先行していったんですよ。
ゲーム評とマンガ評の違い
ブルボン:2005年から『週刊ファミ通』(エンターブレイン)で連載をするようになりました。ファミ通は、日本だけでなく世界のゲームメディアの中でも恐らくナンバーワンだといえるくらい情報の集まる場所でした。そこで連載をするのはゲームのコラムニストだったら到達点のひとつかもしれない。でも、そこで放った言葉が多くのゲーム作家を励ましたり、それこそ「親が喜んでくれて!」とか……そういう風に広がったかっていうと、そうでもなかった。
ゲームの世界はマンガ以上に、なんとか賞とか、伝統ある雑誌で語られたとか、そういうことへの喜びがいらなかったんですよね。ゲームはマンガと単価が違う大きなビジネスになってたし、エンドユーザーの言葉がたとえばネット上にもすごく身近にあるから、紙の雑誌で誰かが「褒めてくれた」ことの価値なんか薄くて、クールに「ああサンキュー」みたいな(笑)。もちろん、すごく感謝してメールくださったクリエイターもいましたが、その後ゲームについて語る仕事がひっきりなしに続いたかっていうと、そうはならなかった。自分が愛したシーンが、必ずしもそれを望んでいなかったとも言えますね。
でも自分のマンガへの愛はゲームに比べたら少し薄いはずなのに、言葉はまだ有効で。求めている人がいて、マンガ評は2冊も本にしてもらえて文庫にもなって(『マンガホニャララ』、『マンガホニャララ ロワイヤル』。ともに文藝春秋より刊行)、マンガ家や編集者にも読まれている。言葉を欲しているんです、その世界は。ブログやTwitterレベルでの言葉もみんな大事にしているんだろうけど、それとは別の言葉もまだ必要とされているんだって気がしますよね。
山内:僕は、業界の熟成度もあると思います。マンガしにろゲームにしろ、(コンテンツやその作り手が)「作品」「作家」と呼ばれるようになるタイミングがあるんじゃないかと。ゲームに関しては今なら「ゲーム作家」「ゲーム作品」と呼ばれると思うんですけど、たぶん15年くらい前まではゲーム作る人を「作家」とは呼んでいなかったし、「作品」とも呼んでいなかった。
「作家」「作品」と呼ばれるようになると、こういう「評」というものを求める人が増えてくる。そのタイミングがマンガの方が早かっただけじゃないかな、と思うんですよ。今、ゲームも隆盛期に移行しつつあるので、もう数年後にはゲームの語り部を世の中が求めるようになってくるのかなっていう感じがすごくしています。
ブルボン:そうですね。なんだかんだで、ゲームの歴史ってまだ40年もないですからね。映画の歴史でいうとまだヌーヴェル・ヴァーグさえ来てない頃だから。
山内:そもそも、楽しいものを難しく語るなっていう風潮があって。それが文化になり、作品になり、作家になっていくと、「語っていいもの」になっていく。
ブルボン:確かに、子どもの頃に夢中で遊んでいた頃は、誰もゲームの作者なんてたいして気にしていなかったからね。外国のゲームファンはそうでもないらしいですけど。「ドンキーコング」を作った任天堂の宮本茂はヨーロッパではすごく人気が高くて、ポール・マッカートニーにサインをねだられたっていう逸話もある。
権威だの賞だのっていうことは、良さも悪さも含めて否応なく“歴史”に入ってきてしまう。だから、ゲームはまだそれがないからこその良さがあるかもしれないですね。
山内:ゲームをアーカイブとして残していくっていう考え方はたぶん10数年前にはあまりなくて、まだ消費するだけの楽しいもの、という感覚だった。文化として伸ばしていくには、周辺を固めていくという作業が必要だから。
ブルボン:そうですね。ネット時代になって「ああ、あのゲームは作った人は◯◯って人なんだ」と、今になって名前を知ることがあって。そうすると「スーファミ時代にすごくヘンなゲームを作ってた人が、今はスマホでこんなのやってる」みたいな情報が出てきたりする。「知る」ということも遅れて始まってますよね。そうなると、自分がすごく好きだったゲームを、作った本人が「何にも思い入れがない」みたいなことを言っているのを知ってショックを受けたりとか(笑)。特にファミコン時代は、工場のオッサンみたいなムードの人が「社長が作れっていうからさー」なんて言ってて(笑)。
山内:実際、好きだからというよりも会社員だから作っていたっていう人も多かったでしょうね。
ブルボン:うんうん、その通りですね。作り手も「作品」みたいに仰々しく思ってなかった。
マンガの語り部が増えてほしい
ブルボン:山内さんとはやり方は違うけども、もっとマンガを語る人が単純に増えて欲しいとは思っています。マンガの数が多いんだから人も増えてほしいですね。
山内:今、本当にマンガって作品数が多いですよね。アニメと比べても相当あるし。
ブルボン:そうそう、だからね、語る人が活躍できる場があってほしいですね。
ファミ通に連載していたとき、「もう攻略法だけじゃダメだ」と、読み物ページを増やそうという雰囲気はあったと思うんだけども、ネット周りで冴えたことを言う人なんかを連れてくるような役割の人がいなかった。マンガ評ももしかしたらそうかもしれなくて。いきなり僕が小学館漫画賞や手塚治虫文化賞の選考委員なのは、ブログなどで面白いことを言っている人を掬い上げる人がいないということでもあると思うんです。
山内:そうですね。そういう場も少ないです。
ブルボン:(掬い上げる人も場も)両方がないから。
山内:玉石混交になっている状態のなかで、自分が面白いと思うものにアクセスにしくいっていうことがあると思います。
ブルボン:気がつけば、小学館漫画賞については僕は2008年から委員をやっているから。次の世代の人が入らないと、新陳代謝が悪いことになると思うんですよね。
山内:やっぱり、マンガを読んでいる中心の人たちは20代であるべきですもんね。
ブルボン:そうそうそう。とにかく常に若い人を熱狂させていた方がいいと思うんですよ。音楽や、ゲームや、マンガやアニメってものは。
山内:そもそも、そういうものですもんね。若者がカルチャーを作っていくっていう意味では。
ブルボン:うん。マンガって子どもが読むものであるべきだし、子どもが読むものを大人も読みたい、みたいな(笑)。それは幼稚なものだっていう意味じゃなくてね。
山内:子どもたちから発信されるものだってことですよね。
ブルボン:だから尖っているべきだし、いちばんイキのいい才能がそこに球を投げるべきだと思います。ロックのようにね。CDが売れないとはいえ、音楽は今でもティーンエイジめがけて投げてヒットしていると思う。
マンガはちょっとすぐには見えないですね。だから、さっきは違う意見を言ったようだけども、山内さんが連載(「マンガは拡張する」)で語っていることは、大きい考えとしては賛成なんですよ。そうあるべきですよね。
[4/6「手塚賞の選考過程で起こったマンガ的ミラクル。」に続きます](2015年4月10日公開)
構成:石田童子
(2015年2月24日、レインボーバード合同会社にて)
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