「戯曲にはふたつの価値があると思います。ひとつは読み物としての価値。そしてもうひとつは新しい演劇を生み出すという価値。過去の戯曲が未来の演劇のかてになる。その機会は多い方がいい。そんな考えから戯曲を公開してみることにしました。自由に読んでください。」――柴幸男さんが主宰する劇団「ままごと」が昨年より始めた「戯曲公開プロジェクト」のページの冒頭にはこうあります。演劇界の芥川賞とも称される岸田國士戯曲賞を2010年に『わが星』で受賞した柴幸男さんが今、自らの戯曲を無料公開する理由とは? 多くの人にとって馴染みの薄い「戯曲」という文学の1ジャンルの受容のされ方は今後どうなっていくのか? DOTPLACE編集長の内沼晋太郎が聞き手となり、出版・本(ホン)という視点からこのプロジェクトについて伺いました。
【以下からの続きです】
1/10「待っているだけじゃ誰も上演してくれないんです。」
2/10「『わが星』が岸田國士戯曲賞をもらって、戯曲について考える責任があると思うようになりました。」
3/10「戯曲をどう解きほぐすかが問われる『演出家の時代』。」
4/10「一人の人間が全部考えて書くということは、どこか無理があるんですよ。」
5/10「自分が意図した以外のものを『あり』にしたいから。」
6/10「みんなが小説を読めるみたいに、戯曲を読む能力があったらいい。」
7/10「演劇はストーリーを描くのに向いていないメディアだと思っていて、」
8/10「『戯曲の通りやれば上演が成立する』という思い込みから脱却しないといけない。」
戯曲をまとめて公開する面白さ
——例えば、友達の劇作家にも戯曲の公開を呼びかけたりはするんですか。
柴:いいえ、してないです。プラットフォームを作れたらいいなとは思いましたけど、公開自体が挑戦でもありましたので。とりあえず自分の戯曲だけウェブ上で読めるようにして反応を見てみようと。でも、最近ではYouTubeに作品を全編公開している劇団もありますから、誰かが戯曲や作品公開のプラットフォームを作ってまとめたら面白いことが起こるのではないかと思います。
——面白いですよね。余裕があれば自分たちでプラットフォームを作ろうとすることはありますか。
柴:もし自分が今、地方都市に住んでいて演劇活動をしているんだったら、その土地の演劇仲間と一緒に戯曲を公開するサイトを作ることはやったかもしれないです。今この土地ではこんな演劇をしているんだということを別の街の人たちにも知ってほしいので、まとめて戯曲を公開するのは面白いと思います。面白い作家がいると思ってもらえたら、批評家とか多地域の作家と交流が生まれる可能性もありますよね。
——もしプラットフォームができたら、そこで公開したいですか?
柴:どういうところかによります。上演許可の話をする場合は、僕らと直接交渉をしてほしいとも思ったりするので。ただ、誰かがアーカイブ化するなら、それは価値のあることだと思います。この時代の話し言葉や文化の一端を描き出したものが、後々すごく貴重な資料になると思うので。
戯曲は紙を通して使われる
——話は変わるんですが、電子書籍の話で、「Tonara」というインタラクティブな楽譜のアプリがあって、例えばiPadで楽譜を見ながら弾くと、どこを弾いているかが分かって、自動でページをめくってくれるんです。
柴:便利ですね。
——デジタルの恩恵だと思うんですが、戯曲に置き換えて考えると、稽古場に大きい画面があって、音声を認識して勝手に台本めくってくれて、みたいなものがあったら、それは便利ですか?
柴:便利じゃないと思います。それは、僕が公開戯曲をKindle形式にしなかった理由でもあるんです。戯曲は、現場で使う場合はたぶん紙じゃないとまだまだ役に立たないです。それは、折るとか書き込むとかなぞるとか消すという作業が非常に重要だからです。手と紙のインターフェイスを超えない限り、電子的にはまどろっこしくて使えないと思います。
ただ、戯曲の読み方としてすごく面白いなと思ったのは『わが星』を2011年に再演した時に作ってもらったウェブサイトで、戯曲の文字が画面上に出てて、マウスをスクロールしていくと、芝居の音声が流れるんですね。つまり、文字を見ながら芝居の音声を聞くことができる仕掛けをFlashで作ってもらったんです。そういうものは戯曲の読み方が分からない人の役に立つと思います。
——それは、いずれどこかでまたやりますか。
柴:たぶん、今度リニューアルするサイトでもやると思います。
[10/10「戯曲は演劇性を記録したり、転送できたり、再生できる唯一の手段なので。」 へ続きます]
聞き手:内沼晋太郎(numabooks) / 構成:長池千秋 / 編集協力:鈴木恵理、細貝太伊朗
(2014年11月3日、RAILSIDEにて)
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