「戯曲にはふたつの価値があると思います。ひとつは読み物としての価値。そしてもうひとつは新しい演劇を生み出すという価値。過去の戯曲が未来の演劇のかてになる。その機会は多い方がいい。そんな考えから戯曲を公開してみることにしました。自由に読んでください。」――柴幸男さんが主宰する劇団「ままごと」が昨年より始めた「戯曲公開プロジェクト」のページの冒頭にはこうあります。演劇界の芥川賞とも称される岸田國士戯曲賞を2010年に『わが星』で受賞した柴幸男さんが今、自らの戯曲を無料公開する理由とは? 多くの人にとって馴染みの薄い「戯曲」という文学の1ジャンルの受容のされ方は今後どうなっていくのか? DOTPLACE編集長の内沼晋太郎が聞き手となり、出版・本(ホン)という視点からこのプロジェクトについて伺いました。
【以下からの続きです】
1/10「待っているだけじゃ誰も上演してくれないんです。」
戯曲とは何なのか
——「戯曲」でキーワード検索すると、実は、この「戯曲公開プロジェクト」そのものが上位に出てくるんですけど。
柴:あ、本当ですか。
——Wikipediaの次の次ぐらいに出てきて、結構すごいなと思ったんですけど。そもそも戯曲とは何なのかを、柴さん自身かなり考えていらっしゃって、前述のインタビューから引用すると「紙の中に劇性を埋め込む」や「優れた戯曲というのは、ある種の演劇の自動再生能力を持っている」といったことをおっしゃってますね。
柴:はい。
——さらに、「演劇的な能力や意識がまったくない、高校生や町のおじちゃん、おばちゃんたちでも、ちょっと読んでみたり、演じてみたりした時に、『違う空気が生まれたよね』とか『ちょっとフィクションが始まったよね』ということがわかる。それが戯曲だと思うんです。」とおっしゃっていたのがとても面白いなと思ったんですが、そう考えるようになったのは、戯曲を書いているうちにでしょうか?
柴:『わが星』が岸田國士戯曲賞をもらって、戯曲賞をもらうということの意味合いを強く考えるようになりました。審査員の方々は基本的に上演を観ていなかったので、戯曲だけでどう評価されたんだろうと。岸田國士戯曲賞は僕の中で目標というか夢の一つでした。権威ある賞でもありますのでその戯曲賞をもらったからには、戯曲ってどういうものなんだろう?戯曲にどういう価値があるんだろう?ということを考える責任があるかなと思うようになりました。もし戯曲賞をもらってなかったら考えなかったと思いますけど、戯曲の権威の側にいるんだとしたら、価値を説明したり、価値を広げたり、継続されることができないかなと個人的に考えるようになったんです。かつて僕が劇作家に対してかっこいいと憧れてた部分、すごいと感じていた部分が何なのかを、もう一回自覚的に考え始めたというのがあります。
戯曲は文学であり設計図
——戯曲は、演劇をやるためのテキストではないんですか?
柴:もともとはそうだったと思います。演劇をつくるための設計図です。しかし別に演劇を作らなくても、文学の一つとしても成立するものだとも思います。昔の哲学の本とかも対話形式になっていたりするので、表記形式の一つとも言えるかもしれません。
——柴さんが劇団「ままごと」の演出をされる時に書くものと、最終的に戯曲として出版するものは、違いますか?
柴:違いますね。そこが「作・演出家」という日本の現代演劇の、特に小劇場の特徴なんです。自分で書いて自分で演出するという、僕もその方法で演劇を作ることが多いです。具体的に言うと、役者とスタッフと自分にさえ伝わっていれば、あとは稽古場でいろいろ説明しながら作っていくことができるんです。でも、そればっかりやってると、最小限の要素だけ書けば済むので、だんだんメモに近くなって戯曲の要素が少なくなってくるとは思います。
一応、『わが星』でも、初めて読む人がイメージできるような説明を書き加えてはいるんですが、稽古場に向けて自分が書いたものと、後で本にしますと言われて手を加えたものとは、違います。もっと言えば、他の人が演出するという前提があって書いた台本が、本来の戯曲に近いんじゃないかと思うようになってきました。
口でしか説明できないようなことを書ききる能力
——それ単体も一つの文学作品になるということなんでしょうか?
柴:文学作品になるかならないかは、たぶん外の目線の問題なんで、意味不明で実際には上演できないような戯曲でも文学として成立することはあると思います。ただ、演劇における有効な戯曲というのを考えると、やっぱり第三者が上演することを念頭に置いて書かれていることが大事なのかなと思っています。
——柴さんは、どちらかというと後者ですか。
柴:いいえ、今までは前者だったんですよ、極端なくらい。でも、劇作家という職業としては、第三者が上演できる戯曲を書かないといけない、いけないというよりもそういう戯曲を書きたいという気持ちになったんです。だから、口でしか説明できないようなことを、ちゃんと書ききる能力が必要だと考えるようになりました。前は、僕自身がいわゆる戯曲に対してカウンターな存在だったと思うんですが、古典的な戯曲の形式でも成立するものにしたいな、と考えるようになったんだと思います。
——なるほど。
[3/10「戯曲をどう解きほぐすかが問われる『演出家の時代』。」 へ続きます](2014年1月20日更新予定)
聞き手:内沼晋太郎(numabooks) / 構成:長池千秋 / 編集協力:鈴木恵理、細貝太伊朗
(2014年11月3日、RAILSIDEにて)
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