第16回 気になる目
初めて訪れた街では、必ず書店を探すようにしている。その書店の大きさや揃えている本、各売場の面積の比率などを見ると、その街に住んでいる人たちの嗜好など様々な情報を得ることができるため、書店は街を知るための貴重な情報源になっている。
この日も初めて訪れた街での仕事が終わり、次の予定まで少し時間があったので駅周辺を散策していた。しばらくすると小さな書店を発見できたので、この街の様子を知るために入ってみることにした。
この店舗はかなり奥行きがある建物だったようで、入り口の小ささからはイメージ出来ないほど中は広い。広いからというだけでは無いだろうが、その分品揃えも豊富なように見える。入る前とのギャップに若干興奮した私は、取り敢えず一通り店の中を回ってみようと思い、店内を歩き始めた。
しばらくして一番奥にあるコミック売場を見ていると、何か妙な違和感を感じた。とりあえずさらに進んで角を回っても、まだ違和感を感じる。
「おかしい」
そう思った私はキョロキョロと周囲を見回してみると、所々壁に「万引きするな!」と書かれたシールが貼られていたことに気がついた。シールの中には隈取りされた目だけが大きく描かれている。ということは、私は壁に貼られた「万引き防止シール」の中に描かれた目による視線を視野の端で感じ取ったために、違和感を抱いたということになる。
ここで興味深いのは、私がシールという「描かれた目」からの視線に違和感を感じていたことだ。これはつまり、私が「本物の人の目による視線」と「シールに描かれた目による視線」を区別できなかったことを意味する。
どうやら私たち人間は「目から放たれる視線」というものに特別敏感らしい。それがたとえ、実際の人によるものではなく描かれた物であったとしても、私たちは「視線が向けられている」ことを敏感に感じ取り、「違和感」という形で警戒する。
きっと万引き犯も、「店員や周りの客の視線」と「シールに描かれた目からの視線」を等しく「誰かの視線」と感じてしまっているはずだ。だから、万引きという犯罪を抑止する効果を目的として作られたこのシールも、実際にそれなりの成果を上げているのだろう。
人間に限らず何か自分以外の生物から自分に視線が送られているというのは、敵意にせよ好意にせよ何らかの意志が自分に向けられている(つまり、「狙われている」)と私たちは解釈する。そしてこれは普段の生活の中ではかなりの異常事態だ。
私たちは、例えば自らの安全を確保するため、例えば貴重な繁殖の機会を逃さないために、「視線」を感じたら何か特別な注意を喚起するようなセンサーを持っているのではないだろうか。
そう考えていくと、よくネガティブな意味で「人の目を気にする」という言葉が使われるが、そもそも私たちは日々、誰かの視線に敏感なセンサーを兼ね備えて生きているわけだから、「人の目を気にする」というのは私たちの本能が引き起こしている当たり前の行動であるとも言える。
一方、普段「見る側」としても生きている私たちは、目の前の相手全てに対して、いつも敵意や好意を抱いているわけではない。実際には何かに注目して見る以上に、ただぼんやりと様子を眺めているということが多いはずだ。そもそも視線自体、厳密には一箇所に留まってはおらず常に細かく動いている。
しかし、私たちは一旦「見られる側」になると、相手が視線を動かす途中でたまたま目が合ってしまっただけの状況を、勝手に「自分に対して相手が何か特別な意志を抱いているのではないか」と読み取ってしまうことがある。そしてその誤解は往々にして、敵意もしくは好意といった何らかの感情を芽生えさせる。
こういった誤解によって生まれた感情がきっかけで起こる諍いは多い。
私たち自身は常に「見る側」であり「見られる側」でもある。自分が両方の立場になることは充分に分かっているのにも関わらず、私たちはこのような視線が生み出す誤解から逃れることはできない。
何か気配を感じて「察する」ことは生存競争を勝ち抜くための重要な能力であると思うが、誤解の可能性を考慮に入れて理性で感情を抑えることもまた、社会の中で生きていくための重要な能力だということを、忘れてはいけない。
[まなざし:第16回 了]
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