INTERVIEW

〈ゆとり世代〉の編集者

〈ゆとり世代〉の編集者
第4回 川田洋平 2/5(『TO』編集長/1988年生まれ)

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これからの編集者」のスピンオフ企画として始まった、1980年代後半以降に生まれた〈ゆとり世代〉の若手編集者へのインタビューシリーズ。
第4回目のゲストは、東京23区それぞれを1号ずつ特集していくシティカルチャーガイド『TO』編集長の川田 洋平(かわだ・ようへい)さん。2013年の2月に創刊号として足立区特集号、10月に目黒区特集号を発行し、東京のローカルな部分にスポットを当てる独自の編集と、インディペンデントな雑誌としては異例のクオリティが話題になっています。その制作の裏側をじっくり伺ってきました。

[以下からの続きです]
第4回 川田洋平(『TO』編集長/1988年生まれ)1/5

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『TO』ならではの「虫の眼」

――『TO』は、どのような方針で目次を組んでいるんですか。

川田:その号で特集する区に1ヶ月くらい住みながら、あらゆる方法でリサーチして出したネタを、一冊にまとめたときの全体のバランスを考えながら企画を組んでいきます。

Photo by Katsumi Omori

Photo by Katsumi Omori

――ネタのリサーチはどういう風にやるんですか。

川田:まず実際に自分がそこに住んでみること自体がリサーチ行為ですけど、他にはネットや図書館、古い雑誌など、様々です。あとは、その街に住んでいる人だけが持つ情報をいかにして手に入れるか。飲み屋に通って大将と仲良くなるもよし、不動産屋に行って内見をしながら、彼らだけがもつ土地情報を得るもよし、です。

2号目の目黒区特集の中で『とうよこ沿線』というタウン誌を20年近く編集していた岩田さんという方を取材しているのですが、彼が作ってきたものというのが非常に興味深かった。要は、街を「虫の眼」で見ていくことで、その目線でしか分からないような地域のネタをひたすら拾っていく、という内容のタウン誌なのですが、誌面の中に若かりし日の王貞治さんが床屋で散髪している写真なんかが、普通に掲載されていたりする。それが単体で面白いかどうかは別として、そんな写真を地域の人から拝借して掲載できるのは『とうよこ沿線』だけなんですよ。街のことを知るためには、どれだけその街にコミットできるかがやはり重要で、過去にも、街を「虫の眼」で見てきた作家や編集者はたくさんいましたが、インターネットがデフォルトになった時代で、改めてその行為は非常に大きな意味を持つと感じてます。『TO』が東京を舞台にしたカルチャー誌としてある以上、そのレベルで街を捉えようとしていくことで、『TO』にしかできないことがあると思います。3〜4年前にアメリカで「ハイパーローカル」という考え方が流行したという話を聞きましたが、『TO』も東京に住む人々の生活や行動に何か新しいきっかけを与えられるようなメディアになっていければいいと思っています。

――『TO』は、「都」でもなく、ミクロな「町」でもなく、「区」っていうズーム率のさじ加減が良いのかなと思います。

川田:そうなんです。狭すぎるわけでも、広すぎるわけでもないし、取り扱う大きさ的にちょうどいいんです。これが「東京全体」となると、また少し違うと思いますしね。23区それぞれの区の色があるからやりがいもあるし、「雑誌」としてやるのであれば、この規模がちょうどいいんだと思います。もちろん、スピンオフで23区以外にも挑戦はしてみたいですけどね。

『TO 目黒区特集号』より、『とうよこ沿線』発行人・岩田忠利さんのインタビューページ

『TO 目黒区特集号』より、『とうよこ沿線』発行人・岩田忠利さんのインタビューページ

 

雑誌なら「面白いもの」にまんべんなく触れられる

――川田さんはもともと、WEBの方で編集のお仕事をされていたんですよね。

川田:そうですね、最初は、ファッション系のWEBマガジンの編集をしていました。
もともとは、学生の頃に1年間ほど編集プロダクションでバイトしていた時期があって、それが編集という職に触れた最初のきっかけだったんですけど、ほとんど雑用みたいなものだったから、何も分かってなかったですよ。卒業して、なんとなくWEB系のメディアをやってみようと思って、それで前の会社で2011年の3月から働くことになったんです。入って1週間くらいで震災が起きて、それでまた色々考えることも多かったですけどね。

――もともとファッションが好きだったんですね。

川田:そうですね、ファッションは好きでしたね。ただ、好きだけどそれを一生の仕事にするかどうかはもちろん分からないですから、最初は「なんとなく、その付近の仕事をしてよう」っていう、それくらいの気持ちでした。「絶対に雑誌の仕事がしたい!」っていう気持ちもなかったし、正直、今も別にあまりないんですよ。ただ楽しいからやってる。

――じゃあ、学生時代も雑誌作りとかには興味はなかったんですね。

川田:なかったですね。だから、たまに「私も雑誌作りたいんです!」とか、「こういうもの作っていて!」とか、自分のところに来る学生の人とか結構いるんですけど、そのエネルギーに感心してしまいます。大学の頃なんて、サークルに入ってサッカーしかやっていなかったですからね。それ以外の時も部室で「ウイイレ」ばっかりやってましたし、休日はJリーグ観に行って、夜は海外サッカーを。というか、今でもサッカーが一番好きですね。
ただ、音楽も聴いてたので、めちゃくちゃ遊んでましたし、映画も好きで観ていたし、本や雑誌も人並みには読んでました。お金というお金は全部使ってましたね、そういうものに。それは今もあまり変わらないですけど。漠然と「なんか面白いもの」というのが自分の中にあって、そういうことにまんべんなく触れることができるのって、平たく言うと「雑誌」のようなものなのかな、と。だから、普通に就職して、趣味として自分の好きなことが別にある、というような生活は僕には厳しいと思いますね。

――「憧れの編集者」みたいな存在もまったくいなかったんですか。

川田:ないですね。「ある」って言っても、今までの話の流れを見れば、ウソだとバレます。そもそも編プロでバイトしていた頃は雑用しかしていなかったので、「編集者」という人たちが一体何をしているかもまったく分かってなかったですからね。「この人たちは毎日何をやってんのかな」とか思いながら、お遣いに行ったり、掃除や洗濯、お茶汲みをしたりしていたら、あっという間に1年が過ぎたぐらいで。そのときは「編集者」のことなんて、何一つわからなかったですね。当時は、まさか編集の仕事を続けるとは思ってなかったので、あまり前のめりになることもなく。

――今はどうですか。

川田:今はまあ、「こういうのが編集者なんじゃないかなあ」っていうのは自分の中でならありますけど、大っぴらに「これだ」って言うことはないですね。でも、自分の中のルールというか、そういうものはあります。

3/5へ続きます(2013/12/13更新)
聞き手:後藤知佳(numabooks)
1987年生まれ。ゆとり第一世代。東京都多摩地域出身。
出版社勤務などを経て、現在「DOTPLACE」編集者。

編集協力:川辺玲央、秋山史織、梅澤亮介、寺田周子、松井祐輔
[2013年11月21日 IID世田谷ものづくり学校にて]


PROFILEプロフィール (50音順)

川田洋平

1988年生まれ。埼玉県出身。シティカルチャーガイド『TO』編集長。大学を卒業後、ファッション系ウェブマガジンの編集に携わる。2013年2月、『TOmagazine 足立区特集号』発売を機に独立。フリーの編集としても、雑誌の企画や執筆、カタログの編集などを手掛ける。2013年10月に『TO 目黒区特集号』を刊行し、続く3号目の「中野区特集号」は2014年春に発売予定。 https://www.facebook.com/TOmagazine.tokyo