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冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス

冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス
第6回 カナダの教育出版事情

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第6回 カナダの教育出版事情

Photo by MC Quinn[CC BY]

Photo by MC Quinn[CC BY]

▼カナダの教育出版が受けた「壊滅的な被害」

 12月ということで、今年1年をとおして気になっていたニュースを取りあげたいと思います。
 カナダの教育出版に関する問題です。
 というと、あまり関係なさそうな話題だな、と思われるかもしれません。
 しかし、世界の出版界最大のイヴェントというべきフランクフルト・ブックフェアにおいても、ディスカッションのテーマとして取りあげられ、これはカナダにかぎったことではないとの訴えが注目をあびました。

(フランクフルト・ブックフェア2017:カナダにおける著作権の損害が拡散する懸念)

 また、日本でも大きな転機をむかえようとしている問題でもあります。
 出版界以外にも影響する事柄でもあるので、すこしおつきあいください。

 カナダでは、学校で著作物を利用する際は、以前はライセンス料を支払っていました。これは、世界の多くの国々で採用されている方法といえます(日本の事情は、のちほどご説明します)。
 ところが、2012年の法改正(より正確には、著作権現代化法の施行)により、授業においては著作物を無料で使えるようにしたのです。これは、幼稚園から高校までと、大学等それ以上もふくむ教育課程に適用されています。
 授業で使う著作物に金がかからなくなったわけですから、そのぶんの経費は浮きますし、資料を自由に好きなだけ選べることにもなり、教育機関にとっては歓迎すべき変化だったでしょう。
 ですが、これは出版界にとっては、悪夢の出来事でした。教育出版が「壊滅的な被害」を受けたというのです。

 教育現場で使われる著作物は、やはり出版物が多いわけですが、これまではコピーをされても、それを補うべくライセンス料が入ってきて、出版社も著作権者も一定の恩恵を受けていました。
 しかし、これがすべて無料となったため、たとえば、ある本が授業で必要であれば、ただでコピーが可能になってしまいました。そうなると、学校現場では、わざわざ本を買わずに、複写して配ればすむことになります。
 出版社側が、いくら教育目的のサーヴィスを用意したとしても、無料でコピーできる便利さにくらべれば、対抗することは不可能です。
 これによってカナダの出版界がこうむった損失は、年間5000万カナダドル(44億円相当)にのぼるといいます。

 出版社では、教育現場で利用するために、さまざまな出版物を用意しています。テキストに使えるものもあれば、授業の参考書、副読本から、読書学習用の文芸作品まで、多種多様です。こうした本が、合法的にコピーですませられるようになってしまったのです。とくに中小の出版社では、収益が8割も減ったという報告もあります。
 カナダ国内でそのような状況になっても、この国はさらなる大国・アメリカと接していますから、そちらの本を輸入するという手があります。現在では、大手出版社は世界的に系列化が進んでいますから、より大きなアメリカ法人が出している本をカナダに持ちこんで売ることで、国内での落ちこみをカヴァーしようとするわけです。
 最近、カナダの教育出版大手ネルソンがアメリカのホートン・ミフリン・ハーフコートと流通について提携しましたが、これもそのような流れのなかで捉えることもできそうです。

▼自国の文化と教育出版の関係性

 これで生き残りがはかられるならよいのではないか、という考えもあるかもしれませんが、長期的には深刻な問題をはらんでいます。
 従来使われてきた、カナダ製の出版物には、当然ながらカナダ人の作品が多く使われていました。それを利用した際のライセンス料も、カナダ人にまわっていたわけです。
 ところが、アメリカの本を使うとなると、それはおもにアメリカの著作権者をうるおす結果になり、カナダ人の著作者の収入は激減します。
 さらにいえば、アメリカ人の作品が増えるぶん、カナダ人の文章や美術作品に触れる機会が失われていくことになります。
 これは、自国文化を守ることを考えた場合、大きなマイナスです。しかも、教育という次代を担う人間を育てる場ですから、ことは重大です。

 こういった事態に対し、法的措置も取られはじめています。
 著作権団体が大学での著作物の利用を訴えた裁判では、現在の措置が不公平だとする判断がくだっています。

(カナダにおける著作権と複製問題で、連邦法廷が出版社の主張を認める)

 またケベック州では、著作物の複製権を扱う団体が、やはり大学を相手取って訴訟を起こしています。
 ケベックでは、著者や画家たちに支払われてきたロイヤリティが、2012年の改正以降、半減したといいます。そのため、州内のみならず、カナダの他の地域、あるいは世界中の著者が不利益をこうむっているとして、彼らのかわりに裁判を起こした格好になっています。

(カナダの著作権問題、ケベックの複製権団体がクラス・アクション)

▼日本の状況

 さて、では肝心の日本ではどうかというと、じつは著作権法(第35条)によって、授業の過程において使用するのであれば、著作権が制限されることになっています。つまり、授業で必要な場合は、権利者の許諾がなくても無料でできるということです。ただし、「著作権者の利益を不当に害することとなる場合は、この限りでない」という条件がついていますが。
 そこに、いま、新たな要素が加わろうとしています。
 現在の規定は、あくまで授業のために教室で使うことに限定されています。このなかには、同時に中継する場合もふくまれています。たとえば、別な学校で行なわれている授業を、おなじ時間にインターネットで中継してこちらの教室で受ける、といった状況ですね。
 教育界からは、この条件をさらに拡大するよう要望があがっていました。たとえば、ネット配信で学生が好きなときに授業映像を見て学ぶ場合なども、これにふくめてほしいということです。
 これに対し、文化庁の審議会の結論は、時間をたがえて配信する場合は扱いは異なるべきだとして、補償金を使って著作権者に還元する制度を提唱したのです。
 これは大転換です。なにしろ、補償金制度という、具体的な解決策が示されていますからね。
 ちょっと聞くと、明るいニュースのように思えますが、では、いったいどのように補償金を設定するのか、どう集めるのか、額はどれくらいなのか、そして集めた補償金をどのように権利者に分配するのか等々、実現には数多くの問題が横たわっています。なにしろ、授業で使われる著作物は、出版物だけでなく、音楽もあれば映像もありますし、かかわる著作権者の数は想像できません。
 おそらく、近いうちに著作権法が改正されて、新たな制度が動きだすものと思われますが、これらの難問をいったいどのように解いていくのか、気の遠くなるような作業が待っています。
 ただ、カナダのような例がある以上、この制度を大事に育てていかなければならないでしょう。出版界の側にも、著作物が利用しやすいような状況を整備することがうまくできていなかったという過去への反省もあるはずです。多くの人が納得できる制度設計をいかに作り、運用していけるのか、わたしたちの知恵が試されているように思います。

[斜めから見た海外出版トピックス:第6回 了]


PROFILEプロフィール (50音順)

冨田健太郎(とみた・けんたろう)

初の就職先は、翻訳出版で知られる出版社。その後、事情でしばらくまったくべつの仕事(湘南のラブホテルとか、黄金町や日の出町のストリップ劇場とか相手の営業職)をしたあと、編集者としてB級エンターテインメント翻訳文庫を中心に仕事をし、その後に法務担当を経て、電子出版や海外への翻訳権の輸出業務。編集を担当したなかでいちばん知られている本は、スペンサー・ジョンソン『チーズはどこへ消えた?』(門田美鈴訳)、評価されながら議論になった本は、ジム・トンプスン『ポップ1280』(三川基好訳)。https://twitter.com/TomitaKentaro