第5回 ヒラリー・クリントンの新刊騒動
▼ヒラリー待望の新作
9月中旬、ヒラリー・クリントンの新刊“What Happened”が全米で発売になりました。
彼女はこれまでに、自伝とオバマ政権下での国務長官時代の回想録、それに子供むけの本も出版していますが、今回の著書は2016年の大統領選をふりかえる内容ということで、早くから注目を集めていました。ヒラリーが、サンダーズやトランプに対してどのような気持ちをいだいて戦っていたのかを、みずからの言葉で語るわけですからね。
ところが、じっさいに発売されると、思わぬ騒ぎが起きてしまったのです。
発売日は火曜日だったのですが、翌日水曜の朝には、米アマゾンのこの本のページには、1500をこえる読者レビュウがつきました。
しかし、その多くは内容にはあまり触れず、著者本人に対する絶賛か酷評だったといいます。
関心が高い本ですから、待ちわびていた人が多く、本を入手するやいなや、平日にもかかわらず一気呵成に読んでいっせいにレビュウを書いた……というわけではなさそうです。
では、この書きこみは、いったいどういうことでしょうか。
▼読者レビュウ問題
まあ、だいたい予想はつくかと思いますが、本をじっさいに読んだかどうかはさておき、ヒラリー・クリントンその人に対しての意見をレビュウ欄に書きこんだケースが多かったようです。
じっさいには、「敗者は去れ」とだけ書かれているとか、そんな程度のレビュウがたくさんあり、割合でいうと、星1つが50%、逆に星5つが45%だったそうです。
いうまでもないことですが、本の批評を書くべき場所に、著者個人に対する意見表明を書きこむのは、やはり筋がちがいますよね。
さて、この読者レビュウに対し、出版社が疑念の声をあげました。
「1500人もが、ひと晩でこの本を読み、とても良いか、きわめて悪いか、といった極端な結論を出したとは、とうてい考えられない」という、しごくごもっともな意見です。
そして、これらの読書レビュウがほんとうに本を読んだ人びとの感想が反映されたものであることを望む、と語っています(もちろん、そうではないことをわかったうえでの皮肉でしょう)。
これに対しアマゾンは、こう答えたそうです。
読者レビュウはあくまで本を買おうかどうかの参考にしてもらうために設けたものであり、書きこまれた文章が役に立つかどうかを判断するのは自分たちの仕事ではない、と。
これはこれで、正論にも思えます。
読者レビュウの内容をいちいち運営側がチェックし、可否を判断するとしたら、検閲行為になりかねません。そもそも、掲載している本すべてのレビュウに対応することなど不可能です。いったいどれだけの人手がかかるか、見当もつきません。
▼アマゾン、予想外の対応
しかし、事態はちょっと意外な展開を見せます。
アマゾンが、この本に対するレビュウのうち、900件以上を削除したのです。レビュウの中味を判断するのはわれわれの仕事ではない、とした前言をひるがえすように、大胆な行動に出たわけです。
アマゾンの思いきった対処には、裏づけとなる理由がありました。
レビュウを書きこんだ読者のうち、アマゾンでこの本を買った人は、全体の22%にすぎなかったのです。
もちろん、その22%の人たちにしても、本を所有していることが確かなだけで、読んでいるかどうかはわからないわけですが、ともかく8割弱は、おそらく本を手もとに持たずに批評をしていると思われるのです。
※ただし、アマゾンは、レビュウを削除したかどうかについては、肯定も否定もしていないようです。
アマゾンの秘密主義はこういうところでも徹底されていますが、レビュウ数が900件以上減ったことは客観的な事実として確認されている、ということです。
さて、アマゾンの対処もあってか、いまでは読者レビュウの状況はかなり改善され、評価は高いところで落ち着いています。
考えてみれば、ヒラリーと政治的な立場がちがう人はそもそもこの本を読む割合も低いでしょうから、けっきょく読んでレビュウを書くのは親ヒラリー派が多くなり、高評価になるのも当然といえば当然ですね。
しかし、そうなると、やはりネットはかたよっているではないか、という声も聞こえてきそうです。広大なインターネット世界とはいえ、誰かが発信しなければその情報は存在しえないのであって、そもそも公平さを期待できる場ではないのでしょう。個々人のさまざまな感情がむき出しになりがちなメディアであることを考えれば、アンバランスになるのがあたりまえなのかもしれません。
読書は個人的な行為ですが、他人と共有することも可能で、ネット上ではそういった活動も積極的に行なわれています。今回の一件は、本を語るとはどういうことか、インターネットとどう向きあうべきかを考えなおすきっかけをあたえてくれたのではないでしょうか。
[斜めから見た海外出版トピックス:第5回 了]
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