COLUMN

冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス

冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス
第7回 アメリカでもっとも有名な古本屋

冨田さん連載バナー_2

第7回 アメリカでもっとも有名な古本屋

Photosource: wikipedia

Photosource: wikipedia

▼フレッド・バスと〈ストランド〉書店

 年明け早々、ニューヨークの書店〈ストランド〉の経営者だったフレッド・バスの訃報が届きました。

(名書店〈ストランド〉を育てたフレッド・バス、89歳で死去)

 彼の父ベンはリトアニアからの移民で、布地屋で働いていましたが、本好きが高じて、1927年に8番ストリートに書店を開業。フレッドは、その翌年に生まれています。
 店はあまりふるわなかったようで、29年にベンは4番アヴェニューに進出します。〈ストランド〉の誕生です。
 ユニオン・スクエアからアスター・プレイスまでのこの界隈は古書店街で、当時は「Book Row」(「本屋通り」といった感じでしょうか)と呼ばれていました。東京でいえば、「古本屋をやるなら、やはり神保町で」みたいな意気だったのかもしれません。
 資金は、貯めていた300ドルに、借り入れた300ドルを足して、600ドル。現在の価値に換算して8400ドルだそうですが、当初は葉巻ケースをレジがわりに使い、ベンは店のバックヤードで寝泊まりしたといいます。
 しかし、時あたかも大恐慌時代。古書店業もうまくいかず、フレッドともうひとりの娘は施設に預けられた時期もあったとか。
 そのフレッドは13歳のときから父の手伝いをはじめ、学校が終わると店に向かい、棚を整理したり買いつけに出たり。大学までこうした生活をつづけた彼は、陸軍に入ってニューヨークを離れた時期をのぞいては、古書店ひと筋の人生を歩むことになります。

▼古書店経営の極意

 父ベンの古書の買い入れに同行していたフレッドは、「はじめのうち、父はどうかしてるのではないかと思ったものだ」と回想しています。店には在庫が山ほどあるのに、ベンはひたすら仕入れていたからです。
 そうやって古書を買いつづけていくうちに、フレッドは学びます。「持っていない本を売ることはできない。だからこそ、在庫を持つのだ」、と。
 〈ストランド〉のキャッチフレーズ「8 Miles of Books」は、本の背をならべるとそれだけの長さになるという意味だそうで、つまりは売っている量の豊富さを指しているのですね。
 ちなみに、このフレーズは現在、「18 Miles of Books」に伸びていますが、じっさいに計算すると、23マイルになるとのこと。37キロメートル本がならぶということですから、想像するとすごいです。
 もうひとつ、〈ストランド〉有名なキャッチコピーが「Lost in the Stacks」。「書棚のなかで迷う」といったニュアンスでしょうが、これも同じことをいっていますね。

 さて、フレッドは1956年に父から店を引き継ぎますが、その頃には「Book Row」はすっかり様変わりしていました。

▼「本屋通り」の盛衰

 4番アヴェニューの「Book Row」界隈に書店ができたのは19世紀末。
 最盛期には48の書店が軒をならべ、フランスから亡命していた時期のアンドレ・ブルトンや、ジャック・ケルアック、ロバート・フロストといった作家も、ここにあった古書店の常連客だったといいます。

 古書店街の成功について、1920年代にはこういわれていたそうです。「古書店は、どれだけ大量に、完璧な在庫をかかえたとしても、隣りの店の品ぞろえはまったくちがうものになる。だから古書店の客は、あちこち見てあるくのが好きで……より広い区域のほうがよいのだ」。なるほど、神保町に集まる人びとの意識をいいあててもいますね。
 上の言葉の「見てあるく」は「ブラウズ(Browse)」で、まさにインターネットの世界を思い起こさせます。しかし、ネットでは膨大な在庫のなかから検索によって探しているものを一発で見つけられるのに対し、古書店街はまさに「見てあるく」場所であり、意外な出会いに満ち満ちています。
 そう考えると、在庫を増やす〈ストランド〉の戦略もまた正しかったといえそうです。

 ところが、1950年代には「Book Row」の古書店が激減していたのです。

(ニューヨークシティ4番街の今はなき「Book Row」の歴史)

 フレッドはこういいます。「古書店主は、ひじょうに個性の強い、図太くて自己中心的な人間たちだった。わたしの父もふくめてね。だから、若い世代にノウハウを継承できなかったんだ」
 そこに、賃料の高騰が追い打ちをかけます。
 フレッドは、店を継いだ翌年の1957年には、ブロードウェイの現在の場所に店を移転させました。
 1960年代には「Book Row」は完全に消滅し、かつてここにあった古書店でいまも残っているのは〈ストランド〉だけだそうです。
 ただ、書店が消えたこの地に、1996年に〈アラバスター・ブックショップ〉という古書店がオープン。店はいまも存続しているそうです。

▼デジタル時代を生きぬく書店

 ブロードウェイに新たに開店した〈ストランド〉は、その後、発展をつづけます。
 フレッドは、数多くの映画やTVドラマのロケ場所として店を提供し、おかげで大量の本がならぶ〈ストランド〉は、文化的なアイコンにもなっていきます。
 1970年代からフレッドが店員の採用に使ってきたというのが、文学クイズ。有名な本の著者を答えさせるもので、以下でサンプルを楽しむことができます。

(〈ストランド〉の文学クイズ)

 このクイズは、〈ストランド〉で客に対応するために必要な知識を問うものだったわけですが、最近ではネットですぐ調べられるようになってしまった、とフレッドは笑っていたそうです。

 1980年代、フレッドは娘のナンシーを共同経営者にむかえ、〈ストランド〉は新たな展開をはじめます。
 トート・バッグの発売です。

(老舗書店の「トートバッグビジネス」)

 当初は本が2、3冊しか入らない小さなものでしたが、90年代には商品の幅を広げていきます。
 ナンシーによると、フレッドは長いあいだ、「ここは真面目な本を扱っている店なのに」と抵抗していたそうですが、〈ストランド〉のバッグやTシャツは世界的に有名になっていきます。
 2012年には専門のマーケティング・チームを作り、反トランプやフェミニズムなど時事的なテーマも取り入れたラインナップを積極的に投入。現在では店の売り上げの15%を占める分野になっているとのことです。

(〈ストランド〉のTotes&Pouchesのラインナップ)

 いっぽうで、フレッド・バスのやりかたは変わりませんでした。
 2005年には店を大改修して増床、よりブラウズしやすい広い店を実現させました。

 店内では、著者を招いたりして、毎日のようにイヴェントが行なわれ、本好きを引き寄せています。
 また〈ストランド〉のロゴ入り商品をもとめる客も多く、店はいまではニューヨークの観光スポットとしても定着しました。
 本がインターネットで手軽に買える時代でも、家族経営の〈ストランド〉は地に足をつけたビジネスで成功をおさめ、業界のみならずみんなに知られる存在となっているのです。

 書店業にとって激動ともいえる時代を生きぬいたフレッド・バスは、「わたしの夢は大きな店を持つことだったが、それをかなえることができて幸せだよ」という言葉を残しています。
 店の奥にオフィスをかまえることをしなかった彼は、昨年2017年11月に引退するまで、ずっと店に立ちつづけていたそうです。

[斜めから見た海外出版トピックス:第7回 了]


PROFILEプロフィール (50音順)

冨田健太郎(とみた・けんたろう)

初の就職先は、翻訳出版で知られる出版社。その後、事情でしばらくまったくべつの仕事(湘南のラブホテルとか、黄金町や日の出町のストリップ劇場とか相手の営業職)をしたあと、編集者としてB級エンターテインメント翻訳文庫を中心に仕事をし、その後に法務担当を経て、電子出版や海外への翻訳権の輸出業務。編集を担当したなかでいちばん知られている本は、スペンサー・ジョンソン『チーズはどこへ消えた?』(門田美鈴訳)、評価されながら議論になった本は、ジム・トンプスン『ポップ1280』(三川基好訳)。https://twitter.com/TomitaKentaro