COLUMN

田内万里夫 SUB-RIGHTS

田内万里夫 SUB-RIGHTS
06: The Joy Luck Club

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海外の本を自国で刊行する翻訳出版には、契約を成立させるための業務を担う「版権エージェント」という職種がある。このテキストは、一般社会ではあまり聞き慣れない職種「版権エージェント」の仕事、またそこから見聞きすることになった知られざる翻訳出版小史を伝える自伝的小説になっていく予定だ。連載タイトルの「SUB-RIGHTS」とは、著作権の二次的使用を意味する用語である。日本と海外の架け橋となったスコットランド人の版権エージェント、師であったウィリアム・ミラーへ追悼の念を込めて書き綴っていく。
※この物語は、概ね事実を元にしていますが「フィクション」です。登場する個人名・団体名の一部は架空名、もしくはプライバシー保護の観点から仮名にしています。
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「それでさ、フィーロンさん。僕たちそのまま三輪さんに連れられて、ランダム・ハウスのパーティーがあるっていう大きなホテルまでタクシーで駆けつけたわけ」
 はじめてのアメリカ出張から帰国し、さっそく翌日に出社する。夕方6時を待ち構えていたかのように、フィーロンさんからいつものカフェバーに誘われる。ハウスボトルのキャンティが大きな丸いワイングラスに注がれる。約1ヶ月ぶりとなる再会を祝して乾杯をするとすぐに、シカゴのブックフェアやその前のニューヨークについての報告を求められる。報告というか、この場に限っていえば求められるのは酒の肴としての土産話かもしれない。シカゴといえば高速道路を歩かされた話が真っ先に思い浮かんだ。それからバスケットボールのプレイオフで、マイケル・ジョーダンのシカゴ・ブルズがペイサーズを退けた夜に居合わせたおかげで、騎馬警官が繰り出すような大騒ぎも目撃した。本? 確かに本の話は山ほど聞かされた。膨大な数の本の相手を自分がしているのだということは理解できた。でも版権エージェントという仕事やその役割すらろくに分からないまま送り出された出張だったので、ひとつ珍しい経験をしてきたという程度の自覚しかない。はじめての仕事に就いて3ヶ月目なんて、そんなもんでしょ、フィーロンさん?
 時差ボケのせいで重かった頭が、2杯目のワインを飲み終える頃にはすっきりと切り替わり、むしろ高揚してくる。頭のなかではマンハッタンの高層ビルの窓という窓がギラギラと西日を反射し、クラクションや雑踏の騒音が反響している。どこへ行ってもミーティング、人、人、人、そして本に次ぐ本の話でもう死ぬかと思うほどうんざりした記憶が蘇る。何百冊? もしかしてそれ以上? 内容なんて記憶できるわけがない。なにか印象に残ったことを掘り起こそうとすれば思い浮かぶのは人の顔や声だ。
「……そのパーティーでシンディっていう中国系アメリカ人の女の子と知り合ったんだ。ちょうど同い年くらいの」
 煙草をふかしてワイングラスを持ち上げるフィーロンさんのワイシャツの胸ポケットには今夜も青いインク染みができている。

 シンディはサンディエゴにある文芸エージェントの翻訳権の担当者としてブックフェアに参加していた。彼女のボスは発音と綴りの難しいオランダ系の名字の、目元の化粧のばっちりとした、髪の短い日焼けした初老の女性で、健康的に張った肩が赤と黒の派手な衣装のなかで尖っていた。睨んでいるのか笑っているのか判断しがたい神経質な眉間に迫力があった。一目見て素人と分かる僕のような小僧の相手をそんな彼女が真面目にするわけもなく、アシスタント役のシンディにその場を任せて、彼女はどこかもっと重要な場所に行ってしまった。トイレだったのかもしれない。
 ブックフェアというのはつまり本の見本市で、当然のことながら様々な出版社が競うように本を並べて展示するのだが、一般参加者の来場が少ない平日のフェア会場はもっぱら業界内の商談の場で、読書家のためのお祭りのようなものを思い描いていた僕の想像は外れた。版権ビジネスについていえば、場合によっては2年も先の出版予定の、まだ一文字も書かれていない本の権利が売り買いされていることに驚かされた。そのような商談をするための専用スペースとして「エージェント・センター」もしくは「ライツ・センター」と呼ばれる区切られた一角が、展示会場とは別に設けられていた。一角といっても数百に及ぶミーティング・テーブルがひしめき合うようにして並んでおり、そこに集まる大勢の人々のあいだを、これから本になって出版される予定の企画が飛び交っている。
 集英社の編集長の落合さんの通訳として加わったミーティングの相手もそのシンディだった。落合さんは大型のノンフィクション、例えばこの世界を大局的に捉えた国際政治や経済の本、それから世界的に大きなインパクトを与えた人物や歴史的な出来事についての新しい話題作などを中心に探しているとのことだった。一方では文庫用のミステリーやスリラーといったエンターテイメント系の小説を持ち帰る役目も背負っているようで、本の知識が実に幅広かった。まるで日活映画の悪役のような強面で、たるんだ頬の酒焼けした顔に光る両目は鋭かったが白目は黄色く、案の定その数年後、肝臓を患っていることが発覚した。もうじき日本でも出版する予定のサミュエル・P・ハンチントンという政治学者の書いた『文明の衝突』がとにかく重要な本で、例えば君たちがこうして携わっている仕事の本質にも通じるところがないとはいえないから勉強のためにもぜひ読んでみなさいと低く響く声で推められ、思わず「はい」と即答した。はいと答えたものの、その本を実際に読んだのは何年も後のことだ。はたしてこの本に語られている国際情勢に対する予見は、20年後の今になってみればほぼ的中していて、国際社会の力学が論理的に示された名著であったことが改めて証明された。予見された世界が人間のどうしようもない宿命を示したものであったとしても、それを言い当てる知性が存在してた確かな証が本というメディアによって遺されるということが、それだけで面白い。

 シンディの勤めているのは、規模こそ大きくはないものの優れた著者を抱えていると評判のエージェンシーだった。僕が大学生になったばかりの5年前、せっせと映画を見はじめた頃に話題になった『ジョイ・ラック・クラブ』の原作小説を書いたエイミ・タンも、そのエージェンシーの所属作家だ。清王朝の滅亡から共産党国家への大きな変革、そして満州事変、日中戦争から第二次世界大戦へと目まぐるしく移り変わる20世紀前半の動乱の中国から逃れアメリカへと移住し、異世界で生き抜くことを宿命付けられた女性たちの物語だ。希望の国、新天地アメリカで彼女たちが味わう困難や苦悩、そして英語を話すアメリカ人として産み育てた子供たちとのあいだに展開する愛憎や誤解が、移民第2世代となった娘の視点から語られる。外部との隔絶ある移民であるがゆえに一段と濃縮される運命にある親子間の葛藤、直面せざるを得ない自らのルーツやアイデンティティに対するジレンマを真正面から描いた移民文学の傑作だ。
 当事者にしか語り得ないリアリズムから異郷の情緒が溢れてくるが、それと同時にセンチメンタルでポップな書きぶりからは、これがまさに僕たちの時代につながりのある話だと気付かされる。親子の関係における心理描写が絶妙で、読み進めながら随所で胸を刺された。誰もがこのような物語の当事者であり、実にパーソナルな個々の課題を抱えて生きており、一筋縄ではいかない人生を歩んでいるのだと、そのことに励まされもした。新天地への適応の難しさと向き合わざるを得なかった移民第一世代の女性たちの多くが異世界で苦しみ、結果として心を病んだということらしい。エイミ・タン自身の母親がそのような女性の一人であり、第二世代であるエイミ自身も異文化の激しく衝突する前線で引き裂かれるような思春期を過ごすことになる。鬱を患った末にリハビリの一環として書き綴ったものがこの小説のもとになったという話だ。「ジョイ・ラック・クラブ」とは、その平易ではない日常を乗り越えてゆくために母親世代が互助会のようにして集っていた会合の呼び名だ。

「エイミがうちの作家だから、それもあって私も雇われたのかも知れない」と笑うシンディは、開放的な雰囲気をまとった中国系移民の第三世代だった。ニューヨークでもこのブックフェア会場でも、アメリカの出版界にアジア系の人間はほとんどおらず、さらにいえば白人ではない人の姿を見かけることがほぼ皆無で、それが僕には不思議だった。街には様々な肌の色の人々が行き交っているというのに……。文明の衝突が繰り返された結果、国際的な出版の表舞台に立つのはコケージャンと決まってしまったのだろうか?
 目の前ではシンディがミーティング用のテーブルに広げた資料をめくりながら、日本の編集者に向けてプレゼンテーションをはじめていた。
「……この悲しく恐ろしい小説の主な舞台はカナダ中央部のウィニペグっていう街。それからその北にどこまでも広がるプレイリー地帯の大自然。内陸の湿地帯で、冬はアラスカよりも寒くなる。なんとマイナス40度の世界」
 これからはじまる物語の背景が紹介されてゆく。カナダ中央部のマニトバ州の面積はフランスの国土に匹敵するが人口はわずか120万人ほど。その半分が州都ウィニペグに暮らしている。残りの広大な土地はほぼ手付かずの森林だ。州都の北にはウィニペグ湖という巨大な湖がある(この湖だけでイスラエルの面積に匹敵するらしいわ!)。その湖の周囲には小さな町や村落がぽつん、ぽつんと点在している。そんな物静かな集落のはずれで、人知れず起きた殺人の話だという。都会の高校の女教師が、教え子である男子生徒の父親と恋仲になる。ふたりは街を逃れ北上し、湖畔の森に見つけた無人の小屋に身を潜める。しかし彼等の存在はいずれ近隣の村人たちの知るところとなる(なにしろ変化なんてないところなのよ。変わったことがあればすぐに気付かれちゃうわけ!)。居場所を突き止めた男子生徒がポンコツだが頑丈な古いトヨタでやってくる――「トヨータ」と彼女が強調するのは、目の前にいるのが日本人の編集者だからだろう。口論がエスカレートし、男子生徒は小屋にあった薪割り用の手斧で父親の頭を割ってしまう。遺体を埋めるために森の奥深く、凍り付いた地面にスコップを何度も突き立て穴を掘る(しつこい描写なの。哲学的なシーンともいえるかしら?)。そして今度は男子生徒と女教師との倒錯した日々がはじまる。新たな悲劇の予感。
「物静かでじわじわと鳥肌が立つような、暗くて寂しくて恐ろしい筆致なの。都市生活の閉塞感、現代社会に潜む非人間性と病巣と孤独、対極にある自然の大きさと、それ故の厳しさ。本来、人間が対峙しているのはその大きさと厳しさよね。……人を狂わす愛欲、人生なんて諦めてしまったかのような都会の大人たちの鈍さと、今まさに人生が開かれようとしている思春期の危うさ……」シンディが水を口に含む。余韻を溜めているのかと思ったら、話を片付けようとしていただけだった。
「とにかく、凍った地面を掘るのって大変なのよ。私たちの人生だってそんな感じでしょ? むき出しの男女の本能の描写もなかなかなすごいの。まあ最後はメデダシメデタシというわけには、勿論いかないんだけどね!」
 自分の探している本ではないようだと切り出せないでいる編集長の視線と、どこまでも早口で喋り続けるシンディの様子とを、ピンポンのラリーのように見比べているうちに笑いが込み上げてくる。かれこれ2週間以上も朝から晩までこんな現場を続けている。この世は作り話だらけで、僕たちは作り話を売り買いしている。真剣そのものといったシンディの表情はなかなかチャーミングで、飽和状態の僕の頭のネジが外れる。彼女が真剣さを演じるのなら僕はそれを茶化さなければ、この場のバランスが保たれないような気がする。戸惑い気味の編集長の強面だって、もしかしたらなにかの自己演出かもしれない。実際のところ、ビジネスミーティングに挑む人々の多くがどこか芝居じみた物言いや表情を使い分けながら自分という役を演じているように見える。
「凍てつく大自然のなかで親父を斧で惨殺。その愛人と今度は自分が抱き合って暮らす。しかもそれが自分の高校の先生? 最高だね! いや、最低かも。でもドラマってそうあるべきだよね。エディプス神話かっていう悲劇なんだろうけど、やり過ぎじゃないの? もしかして著者の実体験……!」
 思うことを口に出して言えるのは幸せなことだ。幸せな世の中なら人の口をついで出るのは戯言だらけに違いない。そういえばソフォクレスってやっぱり巻毛でトーガをまとっていたのかな。
「やり過ぎなくらいのドラマを人は求めているのよ! これはシリアスなバイオレンスなの! あとちょっとエロス! その後に残る悲しく虚しい静寂。わかる?」
 シリアスなバイオレンスって一体なんだよ? ちょっとエロスって? でも、「バイオレンス」や「エロス」という語に編集長は、ピクッと反応する。もしかしたら読者が求めているものがそこにあるのかもしれない? 疲労のせいで抑制が効かなくなっているか、それともシンディの豊かな表情と勢いの良い声につられたのだろうか、笑いが止まらなくなる。彼女のぱっつんとした二の腕がまぶしく愛おしい。いやきっと疲労のせいだろう。私の仕事の邪魔しないでくれる? とふくれる彼女の笑顔が眩しい。ひと月近く旅しているので、そろそろつらい。
 話が途切れてほっとしたのか、同席の編集長が仕方なさそうに苦笑いしたことで、シンディもついでに吹き出す。もしかしたら本当に面白い小説だったのかもしれないが、彼女の売り込みはうやむやになり失敗に終わる。でも結果としてミーティングは力の抜けた和やかなムードに転じ、別れ際、強面の編集長は彼女のリストから必ず1本タイトルを買うことを約束してくれた。後日、その約束は実際に果たされることになる。

 あの高速道路を歩かされた夜、大手出版社ランダムハウス主催の華やかで賑やかにごったがえすパーティー会場で所在無さげにうろうろする僕の姿を見つけたシンディが、手にしたシャンパングラスを注意深く持ち上げながら、人混みのなかを縫うようにして近づいてきた。
「あなたのせいで結局あれから1日中、あの本のプレゼンテーションがうまくいかなかったじゃない。どうしてくれんのよ? まあまあ好きな作品だったのに、なんかおかしな話に思えてきちゃって、そうなるともうダメよね……」と、わざとらしく溜息をつく。
 作家が情熱と時間とを費やしてものした一遍の小説の世界を捻じ曲げてしまったのかもしれず、そのせいで貴重な機会を奪ってしまったのかもしれないと反省するが、思い掛けないシンディとの再会に気持ちが踊り、そんな罪悪感もすぐに忘れる。胸元が開いたやや短めの丈のカジュアルな黒いワンピースを身に着けた彼女は、手にしたシャンパン・フルートを空にするとタイミングよく現れたウェイターのトレイにそのグラスを返し、おなじトレイからワイングラスをふたつ受け取り、ひとつをこちらに差し出す。僕も慌ててグラスのシャンパンを飲み干し、泡にむせながら空いたグラスをウェイターのトレイに返す。揺れて倒れそうになるグラスをウェイターが落ち着いてコントロールする。OOPS!?
「……ところで、これから郊外の古いボウリング場で独立系の小さな出版社が集まって開くパーティーがあるの。私は行こうと思うんだけど、一緒に行こうよ。絶対に楽しいから!」
_彼女に誘われ、次の瞬間にはホテルの車寄せでタクシーに乗り込んでいる。ボウリング場の住所の書かれたインビテーション・カードを、シンディが運転手に手渡す。遠ざかるシカゴの摩天楼を背後にタクシーは暗い郊外を目指し、ドライブウェイを加速する。
「ファイヤー・サイド・ボウルっていう、ちょっと有名なところなの。実は私もはじめて。古すぎてレーンの半分は壊れてるんだって! きっと70年代の遺跡ね」と、シンディが楽しそうに笑う。「今はライブハウスとしての営業がメインで、私の地元のバンドもツアーで回ったりするのよ。絶対に行ってみたかった場所なの! 壊れてないレーンでボウリングもできるわよ」ガラガラガッシャーン。「今夜もライブがあって、それでサンディエゴのバンドも出るのよ。ロケット・フロム・ザ・クリプトっていうグループで、今夜のパーティーの主催者のひとつでもある地元のインディペンデントな出版社の事務所の隣のドアが、そのロケッツの事務所なわけ。その出版社をやってるゲイリーも紹介するわね!」ストライク。
「ロケット・フロム・ザ・クリプト! 知ってるよ! 『CIRCA:NOW』っていうアルバム、あれ名作だよね。《Sturdy Wrists》は名曲だし、エンディングの《Glazed》の《I’m the Walrus》へのオマージュとかもう最高!」
 浮かれて酔った僕たちはタクシーの後部座席でぴったりと密着している。若さってぴちぴちしていて素晴らしい。

  ……そうして辿り着いた肩肘張らない独立系版元の集まる深夜のパーティーは楽しく刺激的で、そこで出会ったアメリカの出版人たちがいかにいきいきとして個性的で魅力的で面白かったかをフィーロンさんにざっくりと伝える。商売じゃない、ただの普通の、本当のパーティーだった。「おまえの留守中、等身大のパネルを作って空っぽの席に置いておこうと秘書のマサコに頼んだら怒られてしまったよ!」と冗談を飛ばすフィーロンさんは上機嫌でグラスを次々と空にする。
「人との出会いが、そのまま本との出会いに繋がるんだから、とにかく世界中で気の合う仲間を作ればいい。きっと面白い未来が待っているぞ。もちろん、素晴らしい本がその先にいくつも現れる。でもなによりも人との出会いだよ。本だって、それを書いた人との出会いといえるな。私はゲイで、元を正せば共産主義者で社会主義者で人道主義者で、おまけに貧しいスコットランド人だ。子供の頃には悲惨な戦争も経験した。そして流れ着いたこの日本においては異邦人でもある。ややこしい人生を送る理由には事欠かない人間さ。でもいつだってどこだって人と、そして本との出会いが私を助けてくれたよ」とフィーロンさんが笑う。毎度の口上だ。そしてまたグラスが空になる。
「こうして幸せにしていられるのはそんな出会いに恵まれてきたおかげだ。生きていると、どうしたって困難でやっかいな物事に、1万回も2万回も遭遇するわけだ。不条理もある。哀しいかなそれがこの現実だ……」フィーロンさんが遠い目をして思い出話をするのは、そろそろ酔いが回っている証拠だ。そうなったら僕はただ耳を傾けていればいいので気が楽だ。
「トラブルも多かったし、何度も冷や汗をかいたよ。知ってるか? 冷や汗って本当に脇の下からツーっと流れ落ちるんだ。ああ、うまくいくことばかりじゃなかった。でもその場その場でとにかくどうにかなってきた。しのいできた。ややこしさに行き当たるたびに、頭を悩ませて、冷や汗の流れ落ちるのをシャツのなかに感じて……。どう考えたって自分ひとりの頭で考えつくことなんて知れたものだし、できることだって限られている。運良く身近な人間が相談に乗って助けてくれることもあるけど、いざとなったら他人は冷たいぞ? ちなみに真の友人は他人ではない……。うん、とにかくそんなときに本を開けば、過去におなじように思い悩み、頭を地面に打ち付けた人々の言葉が蘇り、響いてくる。とっくのとうに死んだ人の言葉だ。ありがたいと思わないか? 理詰めで解決を試みる頭の良い人もいれば、笑い飛ばそうとする豪快な人もいる。現実をどう理解して生きればいいのか、その叡智をそっと分け与えてくれる賢く控えめな人もいる。一緒に泣いてくれる心優しい詩人もいる。架空の物語を生み出して楽しませてくれる人達がいる。自分だけが困難を抱えているのではないと、壁に突き当り山や谷に行き当たるたびに再確認してこられたのは、そんな個性豊かな人々の書いた本があったからだよ。もちろん、素晴らしいのは本に限らない。人だ。人がそれを書くのだから」
 フィーロンさんは、あの西麻布の交差点のマンションで馬場さんという日本人のパートナーと暮らしている。ふたりはゲイのカップルだ。彼等はロンドンで知り合って、そして日本にやってきた。子供はいない。この3月に僕がフィーロンさんのもとで働きはじめてからまだやっと4ヶ月だが、入社後すぐから毎晩のように飲み歩いているうちに、親とも学校の教師とも折り合いの悪かった僕にとって、フィーロンさんはまるで保護者のような不思議な存在になりつつあった。パートナーの馬場さんという人は青山の骨董通りから一本入った通りにある高級美容室でトップを張る美容師なのだそうだ。会社のなかではゲイのフィーロンさんが僕を連れ回す特別な理由がなにかあるにちがないと囁く人もいるのだと、先輩エージェントの鈴木さんが茶化すように言っていた。でもそんなことはどうでもいい。毎晩のように酒を飲みながら知らない話を聞かせてくれる、そして僕のくだらない話にも耳を傾けてくれる、そんな相手がどこにいるっていうんだ。
「それでシカゴではほかになにがあった? ニューヨークは?」

 シカゴでの4日間は結局毎晩シンディと一緒だった。彼女の仲間たち、つまり同世代を中心としたアメリカの出版関係者にも次々と紹介されて知り合った。まるで彼女のジョイ・ラック・クラブだった。西海岸のサンディエゴの街からやってきたシンディは、過密で混沌としたニューヨークを中心とするアメリカ出版界に気持ちよく吹き込む海風のような存在だ。社交的で驚くほど顔が広く、いつも笑っている。彼女を介して出会ったなかには、例えばその5年後にダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』の翻訳権を手に世界的な大ヒットをノリノリで操ることとなるエージェントのチャーリーという男もいた。後日『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』でピューリッツァーを受賞するジュノ・ディアスや、『 CivilWarLand in Bad Decline』でデビューした後『短くて恐ろしいフィルの時代』などを発表してゆくジョージ・ソーンダース、ほかにもウォルター・モズレーやアレクサンダー・ヘモンやなどその後の時代を彩ってゆく実力派たち、ついでにいうと2000年代に入って間もなく大ベストセラーとなったが後にフィクション/ノンフィクション疑惑で大騒動を巻き起こした『こなごなに壊れて』のジェイムズ・フレイなどを手がけ、名編集者として名を馳せてゆくことになるジミーとも、シンディの輪を通じて知り合った。他にも面白くて気のいい奴等がわんさかいた。
「そうかそうか。あっちの出版業界に同世代の仲間ができたのなら素晴らしい。でも毎晩マリオがなんの断りもなく消えてしまったとシュウゾウが険しい顔をしていたぞ。おまけにおまえ、経理の渡嘉敷からも文句が出たけど、領収書もレシートも持ってこなかったっていうじゃないか。仮払金はどうしたんだ?」 
 シュウゾウというのは、副社長の三輪さんの名だ。そういえば連れて行かれたパーティー会場の混雑のなかで三輪さんの姿を見つけられないまま、シンディに脇腹をつつかれて僕はその場をあとにして、以降は連夜そんな具合だった。出張のあいだじゅうひっきりなしに仕事の話ばかりする三輪さんから、実をいえば逃げ出したかったというのもある。あの18万円については仕事の経費として預かったものだとはまったく知らずにフィラデルフィアで友人たちと使い切ってしまったと素直に白状した。だって「仮払金」なんて聞いたこともない言葉だし、領収書を持って帰れだなんて誰も事前に教えてくれなかったよ、フィーロンさん!
「そうか。じゃあ今回は仕方ないか……。楽しむ役に立ったのなら、まあそれで良かったと考えるべきかもしれないな。そういうことにしておこう。とにかくこの先、仕事のために使った金はかならず用途を記録し、領収書をもらいなさい。経費として精算しないとならないんだから。ちなみに金額の記載されていないものは、役所だって認めてくれないぞ。明日にでも埋め合わせの領収書を掻き集めなきゃいけないな」
 はい、これから気を付けまーす。

 2日目のパーティーで、もうひとつ面白い出会いがあった。日本の最大手であるタトル・モリ・エイジェンシーの社長のジム・モリとパーティー会場で居合わせて挨拶をした。「ジム・モリがどうした」、「ジムがこうした」と、この出張のあいだあちこちでその名を耳にしていた人だ。本名は森ジュンというらしいが、アメリカでは「ジュン」ではなく「ジム」という名で通っていた。
「OH! YOU ARE THE LITTLE BOY!!」
 稲妻のような大声がまだ僕の耳にこびりついている。ウィスキーのグラスを持った左手首には重そうなロレックスが光っていた。大柄ではないが丸々として貫禄があり、黒光りしていた。海賊映画のクライマックスで飛んでくる重く巨大な砲弾みたいだった。ダブルのスーツにゴールドの眼鏡に高級腕時計という出で立ちはまるで香港映画に出てくる組織のボスだった。そんなジムモリの横にはやはりこんがりと日焼けした青年が、切れ長の目と白い歯とを同時にキラリと光らせ、スマートな装いで付き添っていた。
「HE’S MY SON, KENNY!」
 ジム・モリはまた雷鳴のような声を響かせて、息子を前へと促した。日本で大学を出たのちアメリカの名門スタンフォード大学に留学し、そのままこちらの業界最大手であるウィリアム・モリス・エージェンシーの作家部門でインターンをしているのだそうだ。ウィリアム・モリス社はハリウッド俳優や映画監督、人気ミュージシャンや有名スポーツ選手などを数多く抱えるアメリカ屈指の大手タレント・エージェンシーだと三輪さんの解説が入る。「ほらあの、えーと誰やっけ、男前のアクターがおるやんか。ふんふん、あそうそうトム・クルーズやん。あれの主演した『ザ・エージェント』っていう映画、もしかしたらあの舞台になっていたの、ウィリアム・モリス・エージェンシーだったんとちゃうかな。どうやろ。フン。ちがったかも。まあええわ。とにかくそんな会社よ」
 ケニー・モリはインターンを終えたら帰国して、父親の会社を手伝うことになっているそうだ。
「ハ、ハイ……、ケニー」僕はおそるおそる右手を差し出す。
「ハイ! ナイストゥーミーチュー。アイム・ケニー。ケニー・モリ」
 その夜もまたシンディの「ジョイ・ラック・クラブ」がはじまり、ケニー・モリも合流した。次の晩もケニーを誘い出して同じ流れになって、おかげで彼とも仲良くなった。日本を離れてまもなく4週間……、ニューヨークでの仕事がはじまってから3週間が経とうとしている。連日、夕方以降は深夜過ぎまで飲み続け、人と出会っては喋り続けた。朝が来ればやはりまた人々と顔を合わせて、今度はひたすら本の話だ。
「そろそろ疲れて死にそう……」と、思わず独り言が漏れる。
「え!? 日本語? 喋れるの!?」とケニー・モリも初めて日本語を発し、驚いた顔をする。「名前が“マリオ”っていうから、てっきりこっちの日系人かと思って、ずっと英語で喋ってたよ! HAHAHA!」
 あのド迫力の父親に英語で紹介されたときから、英語でしか話さない不思議な親子だと僕は思っていた。この数日間の英会話はなんだったのだろうと、お互いに少し呆れる。
「なんだぁ。マリオ君、改めて日本語でよろしくね」
「ケニー君、こちらこそよろしく」
「そっか、じゃあそのうち東京でも飲みに行こう! 秋のフランクフルト・ブックフェアが終わったら僕も日本に帰る予定なんだ。こうやって出会ったのも縁だし、一緒に日本の翻訳出版を盛り上げていこうよ」
「ははは、そうだね。俺はなにも分からないし、多分なにもできないけどね……」

 ――そうしてケニー・モリとも知り合ったのだとフィーロンさんに伝える。
「それは良かった」と、フィーロンさんがちょっと驚いた顔をする。「私が日本にやってきて自分のエージェンシーを興したばかりの頃、あの父親から“そんな会社はすぐに潰してやる”と脅かされものさ。今となっては思い出だな」と、彼は酔った目で20年前の情景を思い浮かべて笑っている。グラスのワインを飲み干し、注ぎ足そうとした瓶が空になっているのに気がつくと手を挙げて、またもう1本、おなじボトルを注文しようとする。僕はそろそろ限界で、中身を逆噴射させようと痙攣する胃袋と横隔膜をなだめ切れず、注文を片手で遮りトイレに駆け込み嘔吐する。
 白い便器を標的として、その中央に逆流物を放出しようと精一杯狙いを定めたつもりだが、当然のようにうまくいかない。トイレットペーパーが無くなるまで引きちぎり目に見える限りの汚れを拭き取るが、内蔵が波打ち手元がおぼつかない。明日はもう病欠ということにして誰とも一言も口をきかずに心静かに過ごそうと、朦朧とする意識の焦点をどうにか合わせて決意を固める。今夜のジョイ・ラック・クラブは終了だ。チーン。店を出てフィーロンさんに背中をさすられながらタクシーを拾う。スニーカーとジーンズの裾を汚す点々としたワイン色の飛沫が目に入り、気分が落ち込む。胃酸の味に涙が滲む。……とはいえここはもう飛行機に乗る必要もなく、勝手知ったる東京だ。タクシーの後部座席に倒れ込む。どのように目的地を告げたのだろうか。車の振動をやり過ごしているうちに意識を失ったようだ。シンディと戯れる楽しい夢を見ていた。ガチャガチャという鍵の音で意識を取り戻せば、もう翌日の陽光に照らされた古畳のうえだった。ドアの隙間からガールフレンドの真紀が心配そうにこちらの様子を伺っている。本の散乱した小さなワンルームのアパートに、小田急線の音がする。はじめての長い出張がやっと終わった。
 それから僕の仕事の日々、つまり本と酒と人々にまみれた日々がどうやら本格的にはじまった。

To be continued…


PROFILEプロフィール (50音順)

田内万里夫(たうち・まりお)

1973年生まれ。埼玉県出身。版権エージェント(現在はアルバイト)。マリオ曼陀羅の名義で画家としても活動、国内外で作品発表をおこなう。主な展示として『LOVE POP! キース・ヘリング展 アートはみんなのもの』壁画プロジェクト【キースの願った平和の実現を願って】(伊丹市立美術館・2012年)などがある。著作に『心を揺さぶる曼陀羅ぬりえ』(猿江商會)。本書はイギリス、台湾、イタリアでも刊行。訳書に『なぜ働くのか』(朝日出版社/TED BOOKS)。


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