[年末特別鼎談]
「アソシエーション」と「コミュニティ」をつなぐやり方
――『マッドマックス 怒りのデス・ロード』『山田孝之の東京都北区赤羽』から読み解く「まちづくり論」。
本サイトDOTPLACEにて、これまで10回にわたってコラム「アソシエーションデザイン つづく世界のつくり方」を連載してきたまちづくり会社「まちづクリエイティブ」。千葉県松戸市に拠点を置いてまちづくりを実践する中での体感とともに「コミュニティ」と「アソシエーション」という2つの概念を各所で対比させながら「まちづくりの教科書」を目指して執筆された彼らのコラムは、連載開始から現在に至るまで、まちづくり業界の内外から少しずつ注目を集めています。
これまでの連載を振り返りつつ、今年2015年に公開/放映され大きな話題となった映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』とテレビドラマ『山田孝之の東京都北区赤羽』の2作品を、まちづクリエイティブの役員3人が「まちづくり」の視点から徹底的に語ります! 前・中・後編にわたって年末滑り込みで公開する特別放談、お楽しみください。
●連載「アソシエーションデザイン つづく世界のつくり方」本編はこちら。
【以下からの続きです】
前編:「まちづくりやるんだったらイモータン・ジョーぐらいにならないと。」
ビジブルに街を変えること
小田:これも僕がデザイナーの視点でもう1つ浮かんだ共通点なんですが、「ロゴマークをつくる」ということもMAD Cityと『北区赤羽』と『マッドマックス』で共通しているところなんです。
寺井:共通してますね。
小田:『北区赤羽』も山田孝之が自分で、しかもわかりやすい「赤羽」のマーク[★7]をつくるでしょ。
★7│「赤羽」のマーク:『北区赤羽』第3話「山田孝之、赤羽で暮らす。」より。「赤い羽根」を模したエンブレムを山田孝之が自らデザインし、商店街の文具店に依頼してその刺繍の入ったオリジナルTシャツを作るエピソードがある
寺井:あれはMAD City的なんだよね、発想が。そもそもブーツのブランド名のもじりだし……。
小田:そうですね。赤羽という地名が入っていて、モチーフ(羽根)と色(赤)が入っているという(笑)。『マッドマックス』でも、登場人物が操る車のハンドルにスカルの模様が入っていたり、「V8エンジン」という信仰対象をつくっている。それと同様に、MAD Cityもエンブレムをつくるところから始まった、という側面がありますよね。
以前西本さんが「ビジブルに街を変えていくっていうことの大事さ」の話をしていて、いくつか事例を話してくれたでしょ。アメリカの……
西本:「スプラウト・ファンド(The Sprout Fund)」のこと?
小田:それだ! その話をしてください。
西本:アメリカのピッツバーグにあるNPOなんですが、「スプラウト」っていうのは「もやし」とか「萌芽」とかそういう意味で。そのNPOは、ピッツバーグ市にアソシエーションをもやしのようにたくさん育成させ、街をビジブルに変えていくための活動に対して、企業や市民から集めたお金で、少額助成を行っています。たとえば、自転車置場や公園みたいなものをアーティストが企画し、つくったりすることで、街をビジブルに変えていくことがすごく重要だ、なぜならば、明らかに街が良くなっていく姿が見えると、住民はとても勇気づけられるし、誇りを持てるようになる、と。
小田:それがちゃんと実践された場所に、必ずスプラウト・ファンドのもやしのイラストのロゴマークが貼られている、みたいな話もあったよね。
西本:うん。
寺井:アーティストたちに助成を出すことと表裏一体の条件として、スプラウト・ファンドのロゴマークやビジュアルが街に出続けるっていうことを最初からデザインしている。
――「変わったよ」っていう場所にロゴマークが残っているというのは、見え方としてはたとえばグラフィティみたいな感じでしょうか。
小田:そうそう。タグ付けというか。
西本:またアメリカなのですが、「カブーム(KaBOOM!)」っていうNPOがあって、「カブーム」って日本語にすると「ドッカーン」とかそういう意味なんだけど、空き地などのデッドスペースが麻薬の密売所とかにならないように工夫して、全米で1,500くらい安全で安心な公園を地元と一緒につくっていた。もちろんカブームもロゴをつくっていて、公園の入り口には「これはカブームと地域のみんなの協力でできた公園です」ってわかるようにしている。
小田:ちなみに『北区赤羽』でも、山田孝之が「赤羽に住む人たちはすごく自由で、アメリカ人を見ているような感覚になるんですね。いろんな文化があって、それが共存できる」という発言をしています(第1話「山田孝之、芝居が止まる。」)。山田孝之は赤羽に来て最初に商店街の振興組合みたいなところに行くじゃないですか。一応きちんと事前にアポも取っていて。はじめに原作者の清野とおるさんのところに会いに行くんじゃなくて、まず自治会の事務所に行くっていうのはまちづくり的にもおもしろいよね。なんでそういう構成にしたんだろうということについては、すごく興味深い。観る側としても逆に、先に作者のところに行ったらまた違った見え方になるというか、一番に自治会の事務所に行くっていうことが「街に挨拶する」みたいな、そういうニュアンスがあるような気がしています。
西本:(ドラマでは)清野さんのアングル以外で街を捉え直そうと思ったんだろうね。マンガを読んでマンガ通りに見てみようと思ってたら、そういうプロセスは踏まないから。
寺井:逆に、「だから『北区赤羽』はまちづくりの話、コミュニティのドラマだ」っていうのはまさにその通りで、地域とか地域コミュニティみたいなものが強いんだっていう前提をすごく持ってる映像だなって。
小田:『マッドマックス』での、最初に主人公がコミュニティに取り込まれる描写を見ても、コミュニティ全体の説明から入ってる。あの話の本筋は逃走劇だから、それって実は、話の本筋的には関係ないんですよね。でも最初にああやってコミュニティとかシステムを見せることによって、なぜか映画全体の強度が上がっているっていうのは、そこに単純な逃走劇だけではない、戦いにスケール感を意味付けするような構成になってるんじゃないかなって思います。何なら最初の30分くらいカットして、カーチェイスをいきなり始めたらいいじゃんっていう。でも、最初にああいう世界観があって、という背景の説明があるからこそ、その後のアクションシーンに意味が出てくる。
『マッドマックス』予告編
「アソシエーション」が発生するのは、「コミュニティ」を打倒するためではなく耕すため
寺井:僕が『マッドマックス』でちょっと変な気持ちになるのは、感情的にはイモータン・ジョーにかなり共感するところがあるからなんです。それは小田くんがそう言ったからっていうだけじゃなくて(笑)。あの世界ってむちゃくちゃよくできてるんですよね。だからある種の社会システムというかガバナンスとして、ああいうものが「必要悪」でした、っていう話として描かれていて、イモータン・ジョーも“悪役オブ悪役”ではない。むしろ勇猛果敢な戦国大名みたいなところがある。先陣切ってマックスたちを追いかけていくし、嫁が逃げたら、単に子どもがほしいだけかもしれないけど、躊躇なくハンドル切って自分からぶっ転んでいくっていう。単なる悪役じゃなくて、男気ある男と言えなくもないなって、リーダーシップ論的な観点ではちょっと感情移入して観れる。
小田:それに関して、Twitterで見たたらればさん(@tarareba722)のツイートに「資源が枯渇した荒廃社会で、水根栽培、資源管理、コミュニティの治安維持、構成員の体調管理、近隣共同体との折衝に加えて、自分探しの若者達に夢を与える 仕事まで面倒見て自治体を大きくしたのに、嫁に逃げられ部下に裏切られ流しの革命家に国をひっくり返されて哀れ極まりない」って書いてあるんですよ(笑)。まあ寺井さんもMAD Cityで、「ある意味で自分探しの若者達に夢を与える、というか支援する仕事」をやろうとしていますもんね(笑)。
寺井:まあそうですね(苦笑)。イモータン・ジョーはコミュニティによってそれをやってるんだけど、僕はアソシエーションですよね。最後にフュリオサが次の統治者として認められて、民衆の前でエレベーターを上がっていくシーンでは「お前はどういう責任感でそのエレベーター乗ったんだよ」みたいなことを思っちゃったりするわけです。フュリオサたちがイモータン・ジョーに成り代わってどこまでやれるんだよ、と。
小田:あれで本質的だなって思ったのは、コミュニティっていうものは常に打倒されてゼロになるわけじゃなくて、常にあるもので、それを耕すためのアソシエーションが発生している、ということ。イモータン・ジョーを打倒したあとにフュリオサがどこか違うユートピアに行くとかだったら、単純にコミュニティの悪の権化みたいなヤツが打倒されて終わりなんだけど、あの砦にまた新しいチームが入るということは、まさしく僕らが常々言っている「コミュニティをアソシエーションで耕す」っていう、耕された瞬間なんですよね。街や村のシステムに不満を持つ若者が、念願叶って村長とか町長を打倒したんだけど、結局その街のシステム自体は生きていて……っていう、よくある物語の典型ではあるんだけど、それを悪いことじゃなくいいこととしてちゃんと描き切っているという意味でも、すごくいい映画だなと思います。つまり、「個人ではどうにもならないもの」がコミュニティであって、結局僕たちもコミュニティを打倒するわけじゃなくて、耕すためにアソシエーションがあると思ってる。
フュリオサにはイモータン・ジョーの後任が務まるのか問題
西本:私は最初全然わかってなかったんだけど、「環境を汚染した有毒物質が原因でその兵士たちが大量に死んでいったので、そこで俺は繁殖計画を立て、血液バンクをつくり、母乳バンクを用意し……」って設定資料集(『メイキング・オブ・マッドマックス 怒りのデス・ロード』玄光社、2015年)のイモータン・ジョーのところには書いてある……そういう話だったの?
寺井:そう。優秀な為政者なの。
西本:そうなの!? すごいですね……。だけど、あのキレイな人たち(=イモータン・ジョーに幽閉されていた妻たち)は逃げた。何でだろう。
小田:モノ扱いされたからでしょ。あとはやっぱり、システムを管理するためだけになっちゃったんだよね、イモータンの為政は。
寺井:イモータンの治世は、人間性みたいなのがあんまり存在していないところまでいっちゃってるというか。
西本:もし、自分こそ、周囲の人間や愛する人にとって何が最善かを知っていると思い込んで、やりぬいた結果がこれなのだとしたら、正直、つらい。
小田:ビジョンがちょっと小さかったんだよ。イモータン一味がたとえば「次のユートピアを見つけに行くぞ~!」みたいな集団だったらいいじゃん(笑)。
寺井:あの映画の中で、イモータンが唯一知的な人なんだよね。イモータンは民に与える水の量を「SLOW」「HALF」「FULL」で使い分ける目盛りをわざわざ(貯水槽のハンドルに)つけてる。民が下で水を待っていても、ちょっとしか出さずに「中毒になるな」と言ってガチャンと止める。
小田:そう。最後、イモータンがいなくなった後は民衆が全力で水を出しちゃうじゃん。「そんなにいきなり水出したらなくなっちゃう、なくなっちゃう!」みたいな(笑)。
寺井:イモータン・ジョーに感情移入して観ると、あの「中毒になるな」っていうのは本当に良心で正しいことを言ったんじゃないかってちょっと思っちゃうんだよね。
西本:でも絶対王政的な国って、王様が「俺の領土内にいれば安心安全だから、俺が管理してやる!」みたいなイメージじゃない? だけどこの映画はそうじゃなくて、革命が起こって民衆が「俺たちが新しく国をつくってがんばるんだ」っていう話なのかな?
寺井:一応、そうなんだよ。問題なのは、革命が起こるときはその後のシステムを想定しているヤツが普通はいるのに、今回は別に誰も想定していない。もちろんマックスも想定してないから、僕みたいなヤツは「最後どうなるのかな」って心配に思っちゃう。
あえて言うなら、最後に一人だけイモータンの息子(=コーパス・コロッサス)が残るんだよね。あいつがとうなるのかはすごく気になる。排除されるのか、アソシエーションの一員になるのか……。どうせ映像としては見られないんだけど。
小田:たしかに、あの後フュリオサが執る政策みたいなのは興味ありますね。
西本:フュリオサ、どうするんだろう。資源を管理分配する人、絶対的な権力を持つ人は、もういなくなりました、さあ、その状態で、イモータン以上にいい統治って、一体、フュリオサはどうやってやるんだろう。民主主義に移行して、民衆と「一緒に決めてやっていきましょう」っていうのはお決まりの展開かもしれないけど。
寺井:未来に対する儚さみたいなものが残る映画なんですよね、『マッドマックス』は。爽快だけじゃないっていうか。
西本:わたしは怖くて、ところどころしか眼を開けられなかったのだけど、すごい映画なんですね。
[後編「山田孝之にとって赤羽は、入退可能な1つの『アソシエーション』なんだよ。」に続きます]
構成:二ッ屋絢子、後藤知佳(numabooks)
取材・撮影:後藤知佳(numabooks)
編集協力:大野あゆみ
(2015年5月18日/8月13日、RAILSIDEにて)
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