「これからの編集者」をテーマに、さまざまな人にインタビューしていくシリーズ。第4回は、メディアアーティストであると同時に、『パターン、Wiki、XP』(技術評論社)などの著書をもつ集合知の研究者で、「ニコニコ学会β」実行委員長でもある、江渡浩一郎さんです。
※下記からの続きです。
第4回:江渡浩一郎(ニコニコ学会β実行委員長) 1/5
創造的な行為が広まりやすい仕組み
――「ニコニコ学会β」のような発表の場をつくることで、それを見て自分も研究をしたいと思う人が生まれるというようなサイクルをつくり、土壌を広げていこうということですか。
江渡:そうですね。まさしくその通りです。原理的に言えばプロとアマの対立というのは最近始まったことではなく、ずっと昔から何度も繰り返してきているものですよね。昔から「在野の研究者」といって、学会にも大学にも所属していないが、そういった研究者より高い成果を出す研究者というのもけっして珍しい存在ではありませんでした。ですので、それは別に私が発明したことではないんです。
ただ、たとえば「普通の素人が歌を歌う」ということそれ自体は珍しいことでもなんでもないことですが、「歌ってみた」とか「踊ってみた」という風に投稿した動画がいつのまにか人気が出て、そこからプロの人としてデビューしました、というようなことは、「ニコニコ動画」という土台があって初めて起こったことだと思うんですね。つまりそういった流通させるための土台そのものが創造性を促す、または創造的な行為が広まりやすい仕組みになっているということはあると思うんです。そのような場を科学でもやってみたい、つくってみたいという考えがありました。
江渡浩一郎さん
研究者に編集者は必要なのか
――ちょうど素人の作り手の話が出てきましたが、例えばいま、自分で書いた小説を自らデジタルで発表する、ということをする小説家がどんどん出てきています。特に素人の場合はほとんど、そこに編集者は介在していません。それではもう編集者は必要ないのかと言うと、役割も変わって多様化するけれども、いろんな形で活躍していくだろうというふうに僕たちは考えています。研究者の人にはいわゆる小説家に対する編集者にあたるような、一緒に走ってチェックしてくれる存在、というのはいるのでしょうか。
江渡:まず一般的な話をすると、研究者というのは個人が基本単位です。「個人として独立して自分の研究をチェックできる」というのが必須の要件で、博士号取得の要件は「自分自身の研究を客観的に見て、自分で自分の評価を下せること」だと言ってもいいくらいです。つまりプロの研究者というのは「編集者としての役割を自分で自分に課すことのできる人」なんです。まずそれが大前提です。
ただ、実際の研究の場は、多種多様です。集団で研究を進める場合は、そこにはプロジェクトリーダーがいます。プロジェクトで論文を書くときには、中心的に研究を進めた人が1番初めに名前が来る人、いわゆるファーストオーサー(筆頭著者)になりますが、通常プロジェクトリーダーは最後に名前が来ます。これはある意味、編集者の役割を担っているといってもいいかもしれません。
あるいは、例えば学生がインターンとして入ってきて、学生主導で論文を書き、研究者が指導をする場合には、定期的に進捗状況をチェックして、こうした方がいいと常にアドバイスすることになります。そういう役割のことをコレスポンディング・オーサー、CA(連絡著者)と呼ぶことがあります。その役割はいわゆる編集者の役割に近いですね。
――「ユーザー参加型研究」の場で、それらの様々な編集的な役割の一部が、インターネットに取って代わられたというようなことはありますか。
江渡:そのような状況は見たことがないですね。そもそもモデルそのものがそこで書き換わっていて、CAとかプロジェクトリーダーというのはある組織があって、そこで研究を進める場合の話なんです。
しかし、ニコニコ動画を例にとれば、「n次創作」の方が言葉としては適切で、ある人の作ったものを自分なりにバージョンアップして投稿するということがありますよね。いわゆる「ユーザー参加型研究」の場合、「○○さんが考えた技法を自分なりに発展させてみました!」と言って新しい動画を作ってくるということはあります。編集というよりそういうことの方が多いのではないかと思います。
――たとえばユーザーで研究をアップしている人がいて、プロのその分野の人が自らCAのように、教えを買って出る、というようなことってあるのでしょうか。
江渡:ゼロではないかもしれませんが……ほとんどないと思います。
――それはやっぱり研究者の側がわざわざそんなことをやろうしない、ということでしょうか?
江渡:両方ですね。やったとしても受け入れられない、ということもあるでしょう。たとえばこれはウィキペディアの例ですが、こんな話を聞いたことがあります。ある科学の分野のページが、間違いだらけとは言わないにしてもかなり問題のあるものだった。それをプロの科学者が見て直した。そうすると「いや、それは違うからこっちに戻します」と戻されてしまう。しかし「それはどう見ても科学としては間違っている」と科学者がまた戻そうとする。このような具合でバトルが起こるのですが、わざわざバトルしてまで戻してもな、という風に科学者の側が思ったらもうそれで終わりですよね。そして問題のある記述がそのまま残り続ける。これはウィキペディアを例にとった話でしたが、同じようなことは他の様々な分野でも起きていて、構造としてはこれからも起き続けるでしょう。
――それは小説家と編集者とがネット上で知り合ったとしても、起こりそうなことですね。
「第4回:江渡浩一郎(ニコニコ学会β実行委員長) 3/5」 に続く(2013/06/19公開)
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インタビュアー: 内沼晋太郎
1980年生。一橋大学商学部商学科卒。numabooks代表。ブック・コーディネイター、クリエイティブ・ディレクター。読書用品ブランド「BIBLIOPHILIC」プロデューサー。2012年、下北沢に本屋「B&B」を、博報堂ケトルと協業で開業。
編集構成: 内沼晋太郎
編集協力: 隅田由貴子
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