INTERVIEW

継承される本とデザイン ――臼田捷治(『工作舎物語』著者)インタビュー

継承される本とデザイン ──臼田捷治(『工作舎物語』著者)インタビュー
「印刷とデザイナーの協力関係が密な時代、それが60年代でした。」

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70年代に松岡正剛氏が創刊した雑誌『遊』を刊行した工作舎の証言集『工作舎物語 眠りたくなかった時代』(左右社)が上梓されました。装幀を中心としたグラフィックデザインに関する執筆活動を続けてこられた著者の臼田捷治さんに、60年代から現在までを振り返っていただきました。

60年代、ポスターの時代 ──サイトウプロセスのシルクスクリーン印刷

──臼田さんは70年代に雑誌『デザイン』(美術出版社)の編集長を務められました。まずは、その頃のグラフィックデザインの状況について教えていただけますか。

『工作舎物語』著者、臼田捷治さん

『工作舎物語』著者・臼田捷治さん

臼田捷治(以下、臼田):私は60年代はポスターの時代で、70年代はエディトリアルデザインの時代だと認識しています。1970年に日宣美[★1]が解体されて、若者たちの熱のあるエネルギーをポスターというメディアによって表現できる場がなくなりました。突然に目標を失ってしまった。その穴を埋めるようにして新しい可能性を見出したのがエディトリアルデザインだったと思います。

★1:日本宣伝美術会。1951年に結成された美術団体で、その初期メンバーは山名文夫、原弘、亀倉雄策、河野鷹思など。53年から始まった作品公募は、新人グラフィックデザイナーにとっての登竜門として広く認知される。学生運動の高まりを受け、70年に解散。

──60年代はそれほどポスターの存在が大きかったのですね。

臼田:製版代の高いグラビア印刷に比べて、シルクスクリーン印刷は少部数でも安価で刷ることができたので、多くのポスターはシルクスクリーンで刷られていました。当時、サイトウプロセスというシルクスクリーン印刷の工房が若者たちの受け皿になっていました。下落合にあった街の小さな工場です。

臼田さんが編集長を務められていた当時の『デザイン』(11-78 No.8/特集:戦後ポスターの疾風怒濤)

臼田さんが編集長を務められていた当時の『デザイン』(11-78 No.8/特集:戦後ポスターの疾風怒濤)

──どのような若者に利用されていたのですか。

臼田:その後の日本のグラフィックデザインを牽引するような、田中一光さん、杉浦康平さん、粟津潔さん、永井一正さん、横尾忠則さん……もうみんな、サイトウプロセスでしたよ。「サイトウプロセスのシルクスクリーン印刷によるポスター」の時代でした。社長の斉藤久寿雄さんは若い人を育てるのが大好きなとても人徳のあるかたで、デザイナーと手を組んでお互いに研究し合いながら損得勘定抜きで印刷をうけおっていました。

──熱のあるエネルギーが霧消せずに目に見えるかたちとして結実するには、まずは理解のある現場が受けとめてくれる必要があるわけですね。

臼田:当時はこのように雑誌の中に実際にシルクスクリーンで刷ったページが挟み込まれることもありました。

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──ポスター以外では、その頃のグラフィックデザインはいかがでしたか。

臼田:何といっても海外雑誌からの影響が大きかったと思います。例えば、スイス派の『Neue Grafik』やハーブ・ルバーリンがデザインを手掛けたアメリカの『Avant Garde』のような雑誌が支持されていました。その影響はエディトリアル系はスイス派、広告系はアメリカ派とはっきりと分かれていて、例えば田中一光さんのような広告系はアメリカのデザインにシンパシーを感じる人が多かったです。アメリカの機知とユーモアへの憧れですね。スイス派のグリッドシステムを基調とした整合性のあるアプローチは、エディトリアル系の人たち、特に緻密な設計を必要とする『SD』(鹿島出版会)のような建築雑誌やサイエンス系雑誌への影響が顕著でした。

──海外雑誌への憧れもエディトリアルデザインの時代を後押ししたわけですね。

臼田:ポスターが衰退した理由としては、オフセット印刷の普及もあると思います。70年代に入るとポスターの印刷方法がシルクスクリーンからオフセットへと移行していきます。印刷技術は向上しましたが、均一化されたフラットな仕上がりのオフセット印刷には、シルクスクリーン印刷に見られたポスターカラーに似通うもったりとした感じが失われ、味わいのあるハンドワーク的な特徴が出しにくくなりました。それで若者たちもシラけてしまったところがあったのだろうと思います。

──熱のあるエネルギーがオフセット印刷で均質化されてしまったと。

臼田:シルクスクリーン印刷の時代は、サイトウプロセスに鍋と寝袋持参で10日間くらい泊まりこむ若者もいたみたいです。それだけ印刷とデザイナーの協力関係が密な時代、それが60年代でした。サイトウプロセスという工房自体がまさに梁山泊だったと思います。

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2/6「出版は原初のあり方に戻りつつあるのではないでしょうか。」へ続きます

(2014年12月22日、臼田捷治さん自邸にて)

●聞き手・構成:
戸塚泰雄(とつか・やすお)

1976年生まれ。nu(エヌユー)代表。書籍を中心としたグラフィック・デザイン。
10年分のメモを書き込めるノート「10年メモ」や雑誌「nu」「なnD」を発行。
nu http://nununununu.net/


PROFILEプロフィール (50音順)

臼田捷治(うすだ・しょうじ)

1943年長野県生まれ。雑誌『デザイン』(美術出版社)元編集長。現在、文字文化、グラフィックデザイン、現代装幀史の分野で執筆活動。著書に『工作舎物語』(左右社)、『装幀時代』(晶文社)、『現代装幀』(美学出版)、『装幀列伝』、『杉浦康平のデザイン』(ともに平凡社新書)などがある。


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工作舎物語 眠りたくなかった時代

臼田 捷治 (著)
単行本: 304ページ
出版社: 左右社
発売日: 2014/11/13