70年代に松岡正剛氏が創刊した雑誌『遊』を刊行した工作舎の証言集『工作舎物語 眠りたくなかった時代』(左右社)が上梓されました。装幀を中心としたグラフィックデザインに関する執筆活動を続けてこられた著者の臼田捷治さんに、60年代から現在までを振り返っていただきました。
【以下からの続きです】
1/6:「印刷とデザイナーの協力関係が密な時代、それが60年代でした。」
70年代、エディトリアルデザインの時代 ──るつぼと化した工作舎
──1971年に設立された工作舍は、エディトリアルデザインの時代が到来した70年代の梁山泊ですね。臼田さんはこのたび『工作舎物語』として工作舎の関係者の証言を一冊にまとめられました。工作舎は何者かも分からない若者たちをわけへだてなく受け入れたそうですね。
臼田:工作舎はまだ学生運動の余波のある70年代に、若者たちの途方もないエネルギーの受け皿として機能していて、熱いるつぼと化していました。今であればブラック企業と言われるような側面もあり、経済的な理由や工作舎独特の雰囲気に馴染めずに辞めてしまった人もいたと思います。出入りは激しかったようですが、かつてない文化拠点としてあったことは確かでしょう。
──デザイナーの山口信博さんのエピソードで、工作舎の本を手伝った際に貯蓄が尽きたので松岡さんに相談したところ、「この仕事をして得たものはあるか?」と質問されて返事を返すことができなかったとあります。山口さんにとってその体験は大きく、貨幣交換とは異なる贈与について考えるきっかけとなったようです。
臼田:山口さんのあの胸にグサッと刺さるような発言はとても印象に残っています。工作舎は、報酬を貰えれば勿論うれしいでしょうけど、ボランティアのようなかたちで携わっていた人も多かったようです。
──山口さんはその後、デザインの仕事と平行して、自ら運営する折形デザイン研究所で、室町時代から伝わる礼法である折形を研究し、継承するための教室や展示企画を継続的に行っています。山口さんのように、工作舎での体験をその後も自分の問題として抱え続けている人は多いのかもしれません。アウトプットは雑誌作りでなくとも、若い頃に工作舎という一つの場所に集まって経験した体験により、その後の人生を決定付けられた人は少なくないのではと想像します。
臼田:松田行正さんもデザインの仕事をしながら牛若丸というご自身の出版レーベルで年に一冊のペースで本を出版されていて、独自のあり方で工作舎のスピリットを引き継いでいますね。松田さんの著書での図像学的アプローチは、ご自身も明言されているように『遊』の「相似律」特集(1001号/1978年発行)を原点とするものです。工作舎は当時のベンチャー企業の一つでしたが、牛若丸や折形デザイン研究所は新しいベンチャーの一形態とも言えますね。
──最近、ひとり出版社が増えています。ネットを経由して個々が常に繋がっているとも言える現在においては、工作舎のように特定の場所に集まらなくても共同で制作することが可能です。と同時にコミュニティデザインや住み開きといった特定の場所に集まることが注目されてもいます。
臼田:いろんなあり方があっていいと思います。デジタルテクノロジーを活用することに私は否定的ではありませんが、アナログの時代を見直すことで得られるものも多いと思っています。集団でやっていた時代のよさは感じますけど、今は皆それぞれ目指すものや価値観が多様化していますから、一つにまとまるような時代ではないのかもしれません。
再び、印刷と出版の時代へ
──電子書籍についてはいかがでしょうか。
臼田:電子書籍は場所も取らないし、一つ例を挙げれば、文字を拡大できるのは視力の弱い人にはいいですよね。若い人には、電子書籍のよい面を参照しつつ、紙のメディアとしての本の魅力も知ってもらえると嬉しいです。
──本の制作環境も変わってきています。例えば、本文組みを自ら手掛ける編集者も増えているようですが、印刷所やデザイナーを経由しないぶん修正作業がスムーズとはいえ作業量は増えますし、分業で相互に確認しながら進めるほうがリスクは軽減されるという考えかたもあります。コスト削減のためにやむなく、というケースもあるかと思いますが……。
臼田:私が雑誌の編集をしていた70年代は、編集者が本文や図版のレイアウトをしていましたし、書籍では装幀を手掛ける編集者も少なくなかったですから、以前の作りかたに戻ってきているとも言えますね。
──分業のほうが例外であったと。
臼田:最初は印刷と出版が一緒でしたよね。印刷技術が発明されたグーテンベルクの時代は印刷と出版が分かれていませんでしたし、DTPという概念を提唱したアルダス社の由来ともなったヴェネチアのアルドゥス・マヌティウスも出版人であり印刷人でした。出版の原初のあり方に戻りつつあるのではないでしょうか。DTPはデスクトップパブリシングでありデスクトッププリプレス──つまり印刷の手前までは机の上でできるようになるという概念ですが、今はもうすでに当たり前のものとして定着しています。印刷が産業化により規模が大きくなり、出版と離れていたのが異例だったのかもしれません。
──映画(『世界一美しい本を作る男』)にもなったドイツのシュタイデル社は印刷所であり出版社でもありますね。
臼田:いいドキュメンタリーでしたね。感動しました。日本では出版まで手掛ける印刷会社はまだ少ないでしょうね。
──それこそサイトウプロセスの時代のように、編集やデザインと印刷所の距離が近くなって、現場での工程がより密になるとよい本が生まれそうです。
臼田:そうですね。新しい人たちがどんどん交流して規制の枠組みを壊すようなかたちで出てきてくれることを期待しています。それが本来のDTPの理念でしたから。
──戸田ツトムさんがいち早くDTPに着手した理由として、「個人的なレベルで巨大市場にメッセージを発することのできる」有力なメディアとしての可能性を感じた、と臼田さんの『現代装幀』(美学出版、2003年)にありました。
臼田:個の可能性を内在するDTPを大手企業が取り入れて、印刷業界すべてがDTPの波に乗ってしまいました。しかし、やれることはまだ沢山あると思っています。
[3/6「『遊』は全部が豪速球でした(笑)。」へ続きます](2015年4月2日公開)
(2014年12月22日、臼田捷治さん自邸にて)
●聞き手・構成:
戸塚泰雄(とつか・やすお)
1976年生まれ。nu(エヌユー)代表。書籍を中心としたグラフィック・デザイン。
10年分のメモを書き込めるノート「10年メモ」や雑誌「nu」「なnD」を発行。
nu http://nununununu.net/
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