INTERVIEW

継承される本とデザイン ――臼田捷治(『工作舎物語』著者)インタビュー

継承される本とデザイン ──臼田捷治(『工作舎物語』著者)インタビュー
「『遊』は全部が豪速球でした(笑)。」

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70年代に松岡正剛氏が創刊した雑誌『遊』を刊行した工作舎の証言集『工作舎物語 眠りたくなかった時代』(左右社)が上梓されました。装幀を中心としたグラフィックデザインに関する執筆活動を続けてこられた著者の臼田捷治さんに、60年代から現在までを振り返っていただきました。

【以下からの続きです】
1/6:「印刷とデザイナーの協力関係が密な時代、それが60年代でした。」
2/6:「出版は原初のあり方に戻りつつあるのではないでしょうか。」

杉浦康平のスクラッチにより表出される虹色

──工作舎が『遊』を発行していた頃、臼田さんは雑誌『デザイン』の編集をされていたわけですよね。

臼田:そうですね。回数は少ないですが、何度か工作舎を訪ねたこともあります。

──同時代にデザインの専門誌で編集をされていた臼田さんから見て、工作舎のデザインはどのように映りましたか。

臼田:やはり『遊』の表紙をデザインされた杉浦康平さん[★2]の存在が大きかったと思います。『遊』8号の表紙はCMYの3色で印刷されてます。通常のオフセット印刷はCMYK(シアン・マゼンタ・イエロー・キープレート)の4色分解によって色を再現するわけですが、原理的にはCMYの3色でも再現が可能です。しかしキープレートのスミを抜いてしまうと、版が少しでもズレるとひと目で分かってしまうので、現場は大変な緊張を強いられます。

★2:1932年生まれ。日本を代表するグラフィックデザイナー。『遊』初期の表紙や、稲垣足穂『人間人形時代』(1977年)、松岡正剛編『全宇宙誌』(1979年)など、初期工作舎における代表的な書籍のデザインを数多く手掛けた

『遊』8号(工作舎、1974年)

『遊』8号(工作舎、1974年)

──今であれば、印刷所が受け付けてくれないかもしれません。

臼田:オフセット印刷が普及し、右から左への流れ作業的に印刷することが可能になった時代に、あえて4色分解のスミを抜く。それは慣行化した印刷システムに対する杉浦さんによる批評でもあったと思いますし、印刷所もそれに応えるだけの技術や意気込みを持っていました。

──タイトル部分が虹色に見えますね。

臼田:CMYの3版の製版フィルムを直接こすって傷をつけることで、例えば、C版に傷がついた部分にはY版とM版の合わさった色が現れます。3版すべてに傷をつけることで、虹色が表出するわけです。他の人には考えられない発想ですよね。

──印刷技術や原理を知り尽くしていないと生まれえない提案だと思います。

臼田:杉浦さんのこうした試みが見直されて継承されることを願います。今のデジタル時代は4色分解が当たり前となり、全体の印象がフラットになりました。その物足りなさを補うようにして、UV印刷や箔押しが人気ですが、特殊印刷に頼らなくても印刷そのものを見つめ直すことによって、印刷本来の力を引き出せるはずだと思うんですけどね。

80年代 ──工作舎からセゾン文化へ

『遊』6号(工作舎、1973年)

『遊』6号(工作舎、1973年)

──杉浦さんはなかば伝説として語り継がれるような、数々の先鋭的な試みを実践されました。

臼田:杉浦さんは外回りの装幀だけでなく、書物固有の三次元性を考慮して本文組みから立ち上げていくようなブックデザインを確立されました。稲垣足穂『人間人形時代』(工作舎、1977年)の中央に貫通している穴は製本所では対応できず鉄工所にオーダーしたそうです。

稲垣足穂『人間人形時代』(1977年、工作舎)

稲垣足穂『人間人形時代』(1977年、工作舎)

 すべての本文が白抜きの『全宇宙誌』(工作舎、1979年)はオフセット印刷の可能性を極限まで追求した本です。小口を指でこうして角度をつけると、刷り込まれている星座が現れます。

松岡正剛編『全宇宙誌』(工作舎、1979年)

松岡正剛編『全宇宙誌』(工作舎、1979年)

──小口印刷の技術は松田行正さんや祖父江慎さんに引き継がれていますね。

臼田:そうですね。杉浦さんが先鞭をつけて工作舎が受け入れたことで生まれた、一種破天荒なまでに途方もない書物固有の数々の取り組みが、大きな影響を与えて今日に繋がっているということだと思います。

──書物を物体として捉えてデザインを考える、といえば、『遊』は“オブジェマガジン”を提唱していましたね。『遊』で印象に残っている号などありますか。

臼田:創刊号が圧倒的ですね。1971年当時に文鳥堂書店四谷店で見かけて、ただならぬ迫力に圧倒されました。装画は和田光正さんによるもので、当時ここまでインパクトのある表紙は他にありませんでした。『遊』は初期の頃がやっぱりすごいです。

『遊』創刊号(『工作舎物語』口絵より)

『遊』創刊号(『工作舎物語』口絵より)

──『遊』の内容についてはどうですか。

臼田:通常の雑誌は巻頭に口絵や写真があって特集のあとには軽いエッセイが入る、みたいな起承転結のような決まり事がありましたが、『遊』は力を抜いた球がなくて全部が豪速球でした(笑)。この9・10号の特集「存在と精神の系譜」上・下(1976〜77年)は、小口側の記事を除く本編すべてを松岡さんお一人で書かれています。途方もないエネルギーですよね。『遊』の編集方針は変幻自在で、どんどん変わっていくし、果敢にそれをきわめている。一つの決まり事に安住せずに積極的に新しい挑戦を繰り広げていくやり方は、雑誌編集の文法を変えたと思います。

──『遊』の後期はいかがですか。

臼田:表紙のデザインを担当した杉浦さんが第二期(1978〜80年)の後半に抜けたのが大きかったと思いますが、第三期(1980〜82年)の月刊化でちょっとサブカルチャー色が強くなり、迫力が落ちていったように感じました。

──80年代前半に工作舎のアートディレクターを務めた祖父江慎さんの担当が企業もののパンフレットや販売促進ブックで、依頼される際には「工作舎風にしないでほしい」と言われることもあったそうですね。

臼田:祖父江さんは、工作舎スタイルのデザインをそのまま踏襲するのではなく、クライアントや時代の要請に合わせて臨機応変に応えつつも、工作舎の一番根っこの部分をしっかりと引き継いでいるのが素晴らしいと思います。

──先鋭的な工作舎のデザインが時代とマッチしなくなってきた面もあったのでしょうか。

臼田:70年半ばから徐々に力を蓄えてきたセゾン文化が、80年代に入ってイベントを仕掛るなどして文化活動全般に渡って若い世代の新しいエネルギーを引き寄せるようになり、工作舎の存在感が薄れていったように感じました。

──「杉浦さんは『遊』そのものだったのである」という松岡さんの言葉が本で引用されていましたが、臼田さんにとって工作舎とはどのような存在でしたか。

臼田:僕も同時代に雑誌を作っていたわけですが、工作舎のパワーは桁違いでした。若者たちのエネルギーの素晴らしい受け皿でしたし、それだけの吸引力がありました。工作舎は70年代を象徴する一つのムーブメントであったと理解しています。

臼田捷治さん(『工作舎物語』著者)

臼田捷治さん(『工作舎物語』著者)

4/6「デジタル技術とうまく距離を置きながら、その人らしさがにじみ出ているブックデザイン。」へ続きます(2015年4月3日公開)

(2014年12月22日、臼田捷治さん自邸にて)

●聞き手・構成:
戸塚泰雄(とつか・やすお)

1976年生まれ。nu(エヌユー)代表。書籍を中心としたグラフィック・デザイン。
10年分のメモを書き込めるノート「10年メモ」や雑誌「nu」「なnD」を発行。
nu http://nununununu.net/


PROFILEプロフィール (50音順)

臼田捷治(うすだ・しょうじ)

1943年長野県生まれ。雑誌『デザイン』(美術出版社)元編集長。現在、文字文化、グラフィックデザイン、現代装幀史の分野で執筆活動。著書に『工作舎物語』(左右社)、『装幀時代』(晶文社)、『現代装幀』(美学出版)、『装幀列伝』、『杉浦康平のデザイン』(ともに平凡社新書)などがある。


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工作舎物語 眠りたくなかった時代

臼田 捷治 (著)
単行本: 304ページ
出版社: 左右社
発売日: 2014/11/13