2015年2月。東京マラソンに向け、カゴメ株式会社と明和電機がコラボレーションを果たし制作された「ウェアラブルトマト」が発表されました。マラソンランナーが走りながらトマトを補給するためのウェアラブルデバイス――。その奇天烈なコンセプトとフォルムゆえに、ギャグプロジェクトの一言で片付けられてしまいかねないこのアイデアが実を結ぶまでの過程には、明和電機代表・土佐信道さん独自のロボット観が存分に活かされています。今回のプロジェクトにとどまらず、これまでの明和電機の製品づくりは、ウェアラブルという切り口や新しい技術に対してどのようなアプローチを続けてきたのでしょうか。掘り下げてお話を伺ってきました。
【以下からの続きです】
1/6:「明和電機は全然そっちの『ウェアラブル』ではないんですよ。」(2015年3月20日公開)
2/6:「納品前後は『エンジニアのトライアスロン』のようでした。」(2015年3月20日公開)
人間と機械のアイロニカルな関係
――東京マラソンEXPO2015での記者会見の終了後、土佐さんがTwitterでこのようなつぶやきをされていました。
『ウェアラブルトマトの「トマタン」がおもしろいのは、トマトを食べされるという点では介護ロボットのような「人間補助の機械」だが、その機械をなぜか人間がかついで走るという、階層構造だと思います。』
こういった作品への捉え方というものは、これまでの明和電機における製品づくりのなかで、どういう意味をもっているのでしょうか。
土佐:チャップリンに、『モダン・タイムス』(1936年)という作品があります。その映画では労働者がご飯を食べる時間ももったいないということで、仕事しながらご飯を食べることができるように、工場の経営者がチャップリンの首の周りにご飯をセットするんですね。とうもろこしが自動的に回転するような機械が口の周りに運ばれてきて、それを食べながら仕事をするんです。非常にナンセンスな機械です。しかし僕はこの機械に隠された裏話を聞いた時、更にナンセンスだと思ったんです。それは撮影の時、機械の操作自体をチャップリン自身がテーブルの下でやっていたということなんです。そのことを聞いて大爆笑しました。明和電機の製品づくりはここで描かれている行動と似ているなと思いました。
今回の企画で言うと、普段は走らない鈴木さんがこの機械を付けてトマトを食べているというのは、このチャップリンがご飯を食べている様子と同じようなものです。今日で言うと介護ロボットとも似ていて、「機械が人間をアシストする」というコモンセンスな機械だと思うんです。しかし、鈴木さんが実際に走る姿は、チャップリンで言うと下のレバーでの手動による操作にあたるものだと思うんですけれど、その「下半身」の姿が見えた途端に馬鹿馬鹿しいものに見える、というのが僕にとってはすごく面白くて。その姿を見て僕は「文明だなあ」と強く感じました。人間だって、この素晴らしく電化された生活を維持するためにその下で必死こいて走っていないといけない。石油をガンガン採掘したりしないといけないという縮図と似たものに見えてしまって、非常にシニカルというか、そういう面白さがありますね。
明和電機が考える、人と機械との関係性
――これまでの明和電機は、人間と機械とのある種のシニカルな関係性に着目し、製品づくりをされてきたということだった思います。そもそもこういったある種の技術やテクノロジーみたいなものの存在を土佐さんは自身はどう捉えられているんですか?
土佐:仮面ライダーで例えるとすると、マイナーなキャラクターですが、ライダーマンという存在をご存知ですか?
――昭和最後の年に生まれた僕は存じ上げません……。
土佐:そうですよね(笑)。仮面ライダーって変身しますよね。虫と人間のハイブリッドなので。そうして超人になるのが仮面ライダーですけれど、ライダーマンは人間なので、変身ができないんですよ。ただ、知恵はあるので身体にメカを装着する。つまり、変身はせずに仮面ライダー風のマスクを被って、その敵に合わせて毎回違う武器を手に装着して、戦うわけです。あんまりこの人は強くないんですが……(笑)。
でも僕はこの感じがいいんです。「テクノロジーを身につけることで強くなる」ということにときめきを感じるんです。明和電機はデビュー当時から『指パッチン木魚』でパフォーマンスをしていたんですが、気がつけばこういうウェアラブルはこれまでにもたくさんやってきました。ここに共通していることが「身体拡張することで面白くなる」ということなんですね。素朴にそういうものに憧れています。それは今流行りのコスプレともまた違って、ある特定の機能を身につけることで生まれる変化ということです。
これと同じような話の例として僕がよく挙げるのは、「なぜ野球場のビール売りの女の子は可愛く見えるのか」ということなんです(笑)。これはおそらくなんですけど、人間ってそもそもはサルじゃないですか。サルがそういうメカを身につけることで魅力的に見えるということだと思います。眼鏡をかけたサルは群れの中でモテる、という話を聞いたことがあるんですけれど、そういう話に近いことなのかなと思っています。あと、カゴメの鈴木さんに関して言うと、重いものを背負った男はかっこいい、ということも言えると思います。これは神輿を担ぐ男性は総じて格好良く見えるという「お神輿理論」と同じことだと思います。
いまのウェアラブルって、重くないじゃないですか。どちらかというとウェアラブルレスというか……究極的には身体に埋め込んでなくなってしまうことを目指しているように思います。ただ、僕の経験からしてそういった話はどこまで本当なのかなということはいつも考えます。
単純に考えても、音楽でそれをやったらまったくつまらないですよね。ギタリストが何も持たずに音を奏でていてもつまらない。重力に逆らって、パンクスは下のほうにギターを構え、カントリーだと胸の上に構える。そういった目に見える関係性こそが面白いんだと思います。
[4/6「機械がその機能にしか注目できなくさせてしまっているだけで、本質はもっと複雑なもの。」に続きます]
聞き手・構成:小原和也
1988年生まれ。慶応義塾大学大学院政策メディア研究科。株式会社ロフトワーク。
デザイン行為を支援するための発想方法の研究を行う。『ファッションは更新できるのか?会議』実行委員も務める。
(2015年2月19日、明和電機アトリエにて)
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