マンガを取り巻く現況を俯瞰し、マンガと人々がいかにして出会うことができるか。マンガナイト代表・山内康裕さんが連載コラム「マンガは拡張する」全10回の中で描いた構想を、第一線でマンガ界を盛り上げる人々に自らぶつけていく[対話編]。9人目のゲストは、『週刊文春』にてマンガ時評「マンガホニャララ」を連載中のコラムニスト、ブルボン小林さん。手塚治虫文化賞や小学館漫画賞などの選考委員も務めるブルボンさんにとって「マンガを語る」という行為がもたらすこととは何か、そして漫画賞の選考にまつわる裏話などをたっぷりとお伺いしました。
【以下からの続きです】
1/6:「個々のマンガが面白いことはわかってるから、ひとつひとつ褒めていこう、と。」(2015年4月7日公開)
意図せずに提示の「仕掛け」となった連載
ブルボン:だから、広め方とか提示の仕方とかは考えてない……んだけど、たまたま僕は『週刊文春』っていう場所に「マンガホニャララ」[★1]という連載をしています。この雑誌は、なんというかトラディショナルで。サブカル的な場では全然ない。その「週刊文春に載っている」ということが、意図せず新しい提示の仕方になっている。僕が仕掛けたわけじゃないけど、結果として仕掛けたことになってしまった。週刊文春は、紙媒体が売れない中でも中高年以上にはブランド力があって、まだまだ絶大的な信頼があるんですよ。
★1:『週刊文春』(文藝春秋)2008年5月29日号から隔週にて連載。超人気マンガから隠れた名作まで、幅広く取り上げる。『マンガホニャララ』、『マンガホニャララ ロワイヤル』として現在2冊の単行本が刊行
そこでマンガ評をやっていて何が面白かったかというと、マンガ家さんに感謝されるんです。「週刊文春に載ったおかげで、親が喜んだよ!」って。それも、一度や二度ではないんですね。
山内:ああ、なるほど!
ブルボン:週刊文春はマンガ家さん本人やその担当編集者世代はあまり読んではいません。けど親世代は読むから、「ウチの息子が!」あるいは「娘が!」「週刊文春に載ってる!」って。決して「ブルボン小林が褒めてる!」じゃないんです(笑)。
山内:「ウチの子が!」なんですね(笑)。
ブルボン:そうそう(笑)。電話をかけてくるんだそうです。「お前のマンガが週刊文春で褒められとるぞ!」と。「親戚に配るのに10部買った!」とか。
山内:それが、文春のブランド力。
ブルボン:そうなんです。だから僕は、Twitterなどの告知では、今度どのマンガの評を書くかをなるべく言わないようにしているんです。できれば、本人が事前に知るより親からの突然の電話で知って欲しい。でもそれだとうまくいかないこともあって、こないだも河内遥さんと街でバッタリ会って、「河内さんの新作、週刊文春で書いたよ」って話したら「ええっ! 知らない!」でガックリしたり(笑)。
山内:週刊だから、タイミングが悪いともう売ってないですよね。それは悔しいですね。
ブルボン:そう。本当は読んでほしいんだよ(笑)。
山内:ですよね(笑)。
ブルボン:でも、親が教えてくれる方が、装置として大きいでしょう。
山内:はい。それは確実に大きいですね。
ブルボン:それが、山内さんが思っている啓蒙に即つながるかどうかはわからないんだけど、僕なりの「広げていく」やり方だとも思うんですよね。
トラディショナルな雑誌にマンガ評を載せる意味
山内:僕も、自身が代表を務めるマンガナイトで『STUDIO VOICE』のウェブ版にマンガの論評を書いていた頃があったんです。STUDIO VOICEは親世代の本ではないですが、マンガ家さん本人が中高生の頃STUDIO VOICEを買って読んでいたって人が多くて。
ブルボン:「あのSTUDIO VOICEだ!」っていう感じだった?
山内:はい。「若い頃に読んでいた雑誌に載って嬉しいです」と感想をいただきました。それはブルボンさんが仰るように、評の内容うんぬんではなくて、STUDIO VOICEという当時かなり先進的だったサブカルチャーのメディアに自分のマンガが選ばれた、という嬉しさがあるのかな、という気がしました。
ブルボン:そうなんですよ。もちろん地味なマンガ評で未知の読者が読んでくれる可能性があるからそれはそれでいいんだけど、むしろマンガ家自体に働きかけるのも啓蒙の一部なのかな、とも感じます。マンガ家に働きかけるなんて、内輪の、業界内のことのような気がしますが、でも絶対に発奮してくれる。
そこがかき混ぜられるようなことが起これば、充分意味がある気がします。極論だけど、マンガ評は、読者の手にマンガを取らせることを直接の目的としなくていいんじゃないかな。
読み飛ばされない空間作り
ブルボン:でも、「マンガホニャララ」を「ブルボン小林」じゃなくて「長嶋有」でやっていても同じようだったかというと、そうとは限らない。長嶋有の名前だと、「マンガ的」にならないというか、「真面目に立派な文学賞を受賞した人がお墨付きで褒めてますよ」っていうバイアスがかかっちゃうから。
実は最初は「長嶋有で書いてくれ」って依頼だったんです。それで、僕はすごく悩んだんですよ。それまでは自分なりのブランディングで、サブカル的なゲーム評とかはブルボン名義でやってて、文学的なことは、本名でやっていました。だから「書評なら長嶋有でやるけど、マンガ評ならブルボン小林でやりたい」って言ったら、一度断られてしまったんです。
山内:なるほど……。
ブルボン:それで、内心「しまった!」って(笑)。
山内:つまり、文春側はそのときは「長嶋有が書く」という事実が欲しかったんですね。
ブルボン:そうですね。でもその半年後くらいに、同じ編集者が「もう1回、ブルボン名義でもいいか編集長にかけあってみるので、やってくれないか」って言ってくれて。そのときに僕が「それなら、雑誌の中の『新刊マンガ紹介!』みたいなコーナー名じゃなく、連載名をつけさせてくれ」「目次には小さくてもいいから僕の名前と連載名を入れてくれ」って、図々しくもすごく尊大な要求をしたんですよ。「連載名はなんでもいいから。たとえばマンガホニャララみたいな」って言ったら……
山内:「マンガホニャララ」がタイトルになってしまったと!(笑)
ブルボン:編集者が「いいですね! 『マンガホニャララ』って」って(笑)。それもマンガみたいな話なんだけど。
ただの「マンガ紹介」なんてコーナー名だったらますます読み飛ばされちゃうじゃないですか。無意味ではないけど文字が死んじゃうというか。雑誌にとっても意味が薄いことになるし、自分自身の功名心に対しても意味がない。すごく尊大な要求だと思ったけど、でも僕はその戦いは無駄じゃなかったと思っています。なので、山内さんの仰る「キュレーション」みたいなことではないのかもしれないけれど、その場での見え方は、絶対に考えて空間づくりをしなくちゃいけないなあと。
山内:そうですね。
ブルボン:もちろん週刊文春の力のおかげだとは思うんですけど、僕のほうでも漫然とやってないぞ、という。打つべき手は打ってるぞ、と。「長嶋有名義でもやる」って言わなかったっていう判断も含めて。……でもまあ、実際にはマンガに関することでも、両方の名前を使っていくことになっちゃうんだけど(笑)。
[3/6「ゲームよりマンガの世界の方が言葉を欲している。」に続きます](2015年4月8日公開)
構成:石田童子
(2015年2月24日、レインボーバード合同会社にて)
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