「これからの編集者」をテーマに、さまざまな人にインタビューしていくシリーズ。第3回は、ゲームデザイナー/ライター/立命館大学教授の米光一成さんです。
※下記からの続きです。
第3回:米光一成(立命館大学教授) 1/5
第3回:米光一成(立命館大学教授) 2/5
職業としての「編集」
——趣味でやっているうちはいいですけれど、「編集」を職業として、「編集」で食べる人も増えると思いますか。
米光:職業でやるとか趣味でやるって区別ができなくなると思うんですよ。インコ好きの人が趣味で企画を回していて、儲かりはしないとする。でもその人はそれをやらなかったら、インコのことが知りたくて独自で調べたり、インコの籠を1人で自作して、ものすごいお金を使ってたかもしれない。
しかし、そういったことがそのコミュニティでできてしまうと、儲からないけど、実は使ってたであろうすごいお金は使わずに、もっと楽しいことが経験できてる。食べるとかお金を儲けているということも曖昧になってくると思っています。
——個人という単位の中では、全売上にはならなくても、編集が経費削減や副収入になる人が増えるということですかね。
米光:1つの職業として職人が「俺はこれを突き詰めるんだ」というのも大切なのでそれも残っていくけれど、そうじゃない人も増えてきます。企業ももっと対応すればいいんですけれどね。まだ副業を認める企業は少ないですよね? それこそ、Yahoo!は1年間の休暇がとれるって制度があるんですよね。長年勤めた人は1年休暇してそこで他のことをやったり、起業してもいい。そういうところが柔軟になってくると、週3日は働いているけど残りは「休日」という名のインコ活動をやったり。そうすると楽だし、仕事がないという人の仕事が増えるんじゃないのかと思うんですよ。
——インコ活動が編集だとすると、編集者と何か別の仕事との2つの仕事をもっている「副業編集者」みたいな人が増えるというかんじですか。
米光:何が副業か何が本業かわからなくなる状態。岡本太郎じゃないけれど職業が「岡本太郎」みたいになる人がどんどん出てくるんじゃないかな。
何が編集か言いにくくなる状況
——企画を立て、スケジュール管理をしてプロジェクトをマネジメントし、マネタイズの方法もメディアやプロモーションの戦略も全部考えるというように、編集という仕事の枠組は大きくなる一方で、その中身を細分化できるようにもなってきていると感じますが、そのときの編集という言葉の領域については、どのようにお考えですか。
米光:今から「編集なの? 編集じゃないの?」みたいなかんじになってきて、「新しい編集者」とは言っているけれど、これからは編集者という言葉が使いづらくなるでしょうね。コミュニティそれぞれでやり方が違うようになって、何が編集か言いにくくなる状況になると思っています。
——先ほどおっしゃっていた「新しい編集者」は今言った全部ができる、もしくは全部はできなくても誰かと組むことで1つのユニットを組んで2〜3人でできる状態にする、その人たちが面白いものをつくっていけますよね。
米光:前に内沼さんは「若い頃は友だちを自分の家に呼んで、ホームパーティをして食べ物を持ってきてもらって、余ったものを食べて暮らしていた」と言っていたじゃないですか。その話を聞いたときに“それは編集だ”と思いました。内沼さんという人がいて、内沼さんのところに行くと面白いものがあるからみんな来る。誰もが来るわけじゃなくて、そこに共感した人が自然と来るのは、“人を編んで集めている”からだと思っています。それで内沼さんが食べられているような状況。どれくらい食べていく方向にもっていくか、もっていかないかは、それぞれがあるけれど。それがすごい規模になってくると、儲かるかもしれないし、儲けることが目的じゃなくて小さい規模でやるだけでもそれはそれで面白い。
——編集者になろうとするより、やりたいことやっていたら結果、そのことが編集になっていたということも多いということですか。
米光:そうです。人々の意識も変わりますよね。「新しい編集とはこういうこと」というのが分かると、やる人も増えてくる。「ここがビジネスになる」と気づく人もたくさんでてくると、やりやすくなって、そうなってくるとビジネス的にも加速します。
失敗してもニコニコできる場所
——お金を稼ぐツールにしても、編集の技術が必要な時代だと思います。その技術は誰かがどこかで、しゃべったり伝えたりしていかないといけないですよね。
米光:それは当然出てくるし、勃興期だから、今から見つけ出されてきてそれがどんどん共有されていくでしょう。
——米光さんが宣伝会議で教えられていることもそういうことだと思うのですが。教えたいこととして意識していることや、もってかえって欲しいものはありますか。
米光:「当事者意識」を持つというのがキーになると思っているので、ワークショップでやっています。ゲームと一緒で「自分が勝つぞ」と思ってやらないと面白くない。他人事の知識をためるんじゃなくて、当事者感覚をもって物事をやっていくなかで身につけていく、それが技術になる。スイッチを切り替える人と替えない人がいるますが、せっかくだからスイッチ替えてやったほうがいいです。そのための「場づくり」なのですし。そこに気づくといろんなことが面白いし、失敗することが楽しくなる。
ゲームも全部成功していたら面白くないんですよ。「スーパーマリオ」をやっても、一回目のプレイですいすい最後までいけるとつまらない。失敗して「わあっ」ってなって、「ここで普通に跳ぶとまずいのか。Bダッシュしてから跳ぶのか」と気づく。「わあっ」となっているときは悔しいけれど、実は失敗そのものが楽しさなんですよ。それは当事者意識をもってやっているからで、そういう感覚をつかめると意外とみんなが気楽に暮らせるんじゃないでしょうか。そういう「場」ができるといいですね。失敗しても、ニコニコしている場。その場にいる全員が当事者だと思ってやっている場。そういう場ができれば、その場はすごくハッピーになります。
——その人たちも卒業して、何かをつくるときにみんなが当事者意識をもてるものや、仕掛けをつくるわけですね。
米光:入社して新人で働いてているときも、当事者意識をもって「この会社を編集してやるんだ。変えてやろう」と思えれば、面白いんじゃないかな。全部を変えてやるのは無理でも、「この上司とこの上司を会わせて、俺が変えてやるんだ、編集してやるんだ」ってやる。変える道筋が自分で見つけられるようになると面白いでしょう。今はそれができる時代になりました。
一時期、内部告発が流行ったじゃないですか。おまんじゅうとか。あれは、内部告発がしやすい社会に変わったからだと思います。企業の終身雇用が理論的に難しくなってきたから、「俺たち家族だぜ」というかんじではなくなってきたこと。「ファミリーだぜ」「終身雇用だぜ」という枠組みが強いと大きな組織を自分では変えるのは難しい。変えないこと、つまり忠誠を誓うことを前提に就職していたけれど、今そこが変わってきている。もうひとつは匿名で大きく発表できるネットの力がある。いまは、場を変えていくって行動がしやすいんです。
「この人は編集だよね」「編集タグついているよね」というかんじとでも言いましょうか。編集にもいろいろあるから、「この人こっちの編集タグついている」とかも。これはもう職種じゃなくて、「人を編んで集める」というのは相当、根源的な属性や性質の話です。ホームパーティをやるのだって編集感覚が必要なんですから。
「第3回:米光一成(立命館大学教授) 4/5」 に続く(2013/06/13公開)
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インタビュアー: 内沼晋太郎
1980年生。一橋大学商学部商学科卒。numabooks代表。ブック・コーディネイター、クリエイティブ・ディレクター。読書用品ブランド「BIBLIOPHILIC」プロデューサー。2012年、下北沢に本屋「B&B」を、博報堂ケトルと協業で開業。
編集構成: 清水勝(VOYAGER)
編集協力: 宮本夏実
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