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冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス

冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス
第4回 フランクフルト・ブックフェアにからんで

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第4回 フランクフルト・ブックフェアにからんで

▼フランクフルト・ブックフェアとは

 出版界でも最大級のイヴェントが、毎年10月に行なわれるフランクフルト・ブックフェアです。

 以前からお話ししてきているように、海外の書店はみずから本を仕入れますから、彼らに対して今後の商品を買ってもらうことが重要になります。そのための大切な機会がブックフェアなのですね。
 とくに、フランクフルト・ブックフェアは、125ヵ国から28万人弱が来場したということで(2016年の数字)、出展する企業も参加者も、文字どおり世界最大です。

「facts & figures The Frankfurt Book Fair 2016 in numbers」(PDF)より

「Facts & Figures The Frankfurt Book Fair 2016 in numbers」(PDF)より

 これほどの規模なのは、ドイツ国内の出版界のみならず、国際的な権利ビジネスの中心になっているからでもあります。
 日本では、本の執筆を依頼するのは、おもに出版社の編集者の仕事ですが、海外では著者と出版社のあいだをエージェントが仲介します。
 エージェントは、著者から原稿を託され、よりよい条件で出版社に売り、それにからむもろもろの作業を引き受けます。おかげで著者は執筆に専念でき、そのかわりにエージェントはコミッションを取ります(日本でも、文芸エージェントが出てきてはいますが、例外的です)。
 エージェントの仕事には、著者の原稿を海外での翻訳出版に結びつけることもふくまれます。ブックフェアにあわせて、出版社はこれから出す企画をそろえていますから、それらの翻訳権の取引にも適した場になります。
 そのため、日本でも翻訳書を手がける出版社は、よりよいタイトルの情報をいち早くつかむため、海外でのブックフェアに参加することになります。海外の出版社が増えれば、エージェント側もより多くのセールスができるようになり、ますます権利ビジネスが進むことになります。

 日本からも参加者が多いブックフェアとしては、米国のブックエクスポ、英国のロンドン・ブックフェア、それに児童書専門のイタリア・ボローニャでのブックフェアなどがありますが、やはり規模がいちばん大きいのはフランクフルトで、日本の旅行会社が出版社向けにツアーを組んだりするぐらいです。
 近年では、自社の出版物の権利を海外に売りに来る版元も増えています。文化的には輸入過多といわれてきた日本ですが、そのあたりも着実に変わってきています。やはり主力はマンガで、日本の出版社が現地のマーケット向けに商品をそろえたりもするので、週末はマンガ・アニメを目あてにやって来た、コスプレをしたドイツ人が会場を闊歩したりします。

 ワタシ自身はフランクフルトの街が大好きなのですが、日本の出版関係者にはあまり評判がよくないみたいです。考えてみれば、ニューヨークとかロンドンとかボローニャとかといった他のブックフェアの開催地にくらべれば、フランクフルトがくすんで見えるのもしかたないかもしれません(付言すれば、アルプスの少女ハイジが夢遊病を発症してしまった沈鬱な街でもあります)。
 一時は、ブックフェアをミュンヘンに移すといううわさもあって、期待が高まったのですが、いつのまにか聞かなくなってしまいました。以前に聞いた話では、フランクフルトでのブックフェアはグーテンベルク以前から行なわれていたそうで、ちょっとやそっとの伝統ではないのですね。
 例年は、フェア開催中にノーベル文学賞の発表があり、けっこうもりあがります。今年は日程がズレていたため、さほどの騒ぎにはならなかったでしょうが、各国の参加者がカズオ・イシグロの権利を買おうとしていたことでしょう。

▼アンドリュー・ワイリーの問題提起と提言

Photo by ptwo[CC BY]

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 さて、そんななか、今回のブックフェアがらみで気になったのが、次の記事です。

(ワイリー、「困惑させられる」グローバル・パブリッシングを叩く)

 文芸エージェント大手のアンドリュー・ワイリーが、マーケットをテーマにしたカンファレンスの席で、ハーパーコリンズのグローバル・パブリッシング・プログラム」に苦言を呈したというのです。

 ハーパーコリンズは、200年近い歴史を有する、世界でもトップクラスの出版社であり、いまはルパート・マードックのニューズ・コーポレーションの傘下に入っています。
 そのハーパーコリンズが5年前に提唱したのが「グローバル・パブリッシング・プログラム」です。

 これは、同社のどこかのディヴィジョンで出した本については、米国内での出版の権利を取得するという方策で、つまり英国やオーストラリアやカナダやインドといった国のハーパーコリンズの現地法人が出版した本なら、米国でも出せるようにしたのです。
 先ほどお話ししたように、著者のエージェントの重要な仕事に海外への権利ビジネスもあるわけですが、ハーパーコリンズの場合は、出版社が契約でワールド・ライツを押さえ、自社グループ内で優先的にまわすシステムを構築したということですね。
 その後ハーパーコリンズは、オランダや北欧(スウェーデン、ノルウェイ、デンマーク、フィンランド)や東欧(ポーランド、チェコ、スロヴァキア)、そしてご存じのように日本と、世界各地へ法人を増やし、より強固な体制を作ってきています。国際的であるほど、グローバル・パブリッシング・プログラムは有効に機能するわけです。

 これに対し、今回かみついたアンドリュー・ワイリーは、フィリップ・ロス、ノーマン・メイラー、レイモンド・カーヴァー、サルマン・ラシュディ等々、錚々たるクライアントをかかえる、最右翼のやり手エージェントです。
 エージェントと出版社は、本を売るということにおいては目的をおなじくしますが、著者の権利を最優先するエージェントは、出版社にとってはタフな相手でもあり、一種の緊張関係もあります。とくにワイリーは、これまでの言動でもいろいろと物議をかもしてきた悪名高い人物。
 そんな彼から見れば、各国での出版の権利を押さえようとするハーパーコリンズの手法には「困惑させられる」とのこと。競争を阻害するやりかたであり、著者にとってもベストとはいえない、と主張します。
 さらに彼は、こういった動きを昨今のポピュリズムやナショナリズムの高まりと結びつけ、これに乗っている作家は、ほとんどロマンス作家ではないか、と皮肉っています。

 これは、あきらかにロマンス小説を軽んじた物言いですが、彼はかつて、現在の世界最高のベストセラー作家であるジェイムズ・パタースンを引きあいに電子書籍を批判した過去もあります。つまりは、アメリカ的なエンターテインメント小説がグローバルな市場を席巻してしまうことに抵抗を感じているのでしょう。
 ワイリーは、いま読者がもとめているのは国境を超えた、「ローカル・イズ・グローバル」な作品であるとして、英/日の視点を持つ新ノーベル賞作家カズオ・イシグロや、壮絶な自伝で大反響を巻き起こしたノルウェイのカール・オーヴェ・クナウスゴールを例に引きます。エスニック・マイノリティといわれる人びとこそ世界ではマジョリティなのであって、彼らの物語こそ出版されなければならない、と力をこめます。
 まあ、その理想を実現するためには、まさにハーパーコリンズのシステムのように、出版の権利はより簡単に国境をこえて流通するのが望ましいのではないか、といいたくもなりますが、それでもワイリーの言葉は聞くに値いするのではないでしょうか。
「ポピュリストは、自分たちとはちがうものの見方をきちんと受け入れることができない。しかし、そのちがいこそが読者を刺激し、本が売れ、衝突を乗りこえることにつながるのだ」
 これは、よりよい世界の実現にむけて、出版が果たすべき役割を語った宣言でもあったのです。

▼前回の話題その後

 前回のこの欄で、フィリップ・プルマンの新作について、出版社の価格づけと大手書店の値引きに対して英国の独立系書店が疑義を呈したことを取りあげました。

 しかしその後、プルマンが、英国を代表する書店チェーンのウォーターストーンズに対し、5000冊のサイン本を用意したことを、ブロガーが公にしたのです。

 ウォーターストーンズは、事前の値引き販売で大きな部数を売ったばかりか、貴重なサイン本でまた儲けようとしており、なにもできない独立系書店は不利になるいっぽう。
 大幅な値引き販売に反対し、独立系書店の支援を表明していたプルマンが大手に便宜をはかっていたわけです(ちなみに、このブロガーによると、5000冊にサインするのに要する時間は7時間以上とのこと)。

 これに対し、プルマン自身と版元が、あらためて独立系書店への支援を表明。販促用にサイン本を送ることを計画しているとのこと。
 しかし、対策は不充分で遅すぎる、との批判も出ています。
 たしかに、すでに出版の最初のタイミングはすぎてしまい、取りもどすのは不可能。こじれてしまった問題を解きほぐすのはむずかしそうです。

[斜めから見た海外出版トピックス:第4回 了]


PROFILEプロフィール (50音順)

冨田健太郎(とみた・けんたろう)

初の就職先は、翻訳出版で知られる出版社。その後、事情でしばらくまったくべつの仕事(湘南のラブホテルとか、黄金町や日の出町のストリップ劇場とか相手の営業職)をしたあと、編集者としてB級エンターテインメント翻訳文庫を中心に仕事をし、その後に法務担当を経て、電子出版や海外への翻訳権の輸出業務。編集を担当したなかでいちばん知られている本は、スペンサー・ジョンソン『チーズはどこへ消えた?』(門田美鈴訳)、評価されながら議論になった本は、ジム・トンプスン『ポップ1280』(三川基好訳)。https://twitter.com/TomitaKentaro