ドキュメンタリー映画『鉱 ARAGANE』
小田香監督インタビュー
聞き手・文:小林英治
ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ近郊にある100年の歴史あるブレザ炭鉱。異国の地で映画作家を目指していた小田香は偶然ここを訪れ、地下300メートルの暗闇に蠢く人々、反射するヘッドライトの光、響くノイズと轟音に一瞬にして魅せられ、単身撮影に通うことになる。彼女がまとめ上げたドキュメンタリー作品『鉱 ARAGANE』は、死と隣り合わせの異空間で石炭を掘り続ける男たちの姿を、一切の説明を省いてただカメラでとらえている。しかし、その映像を見つめる者は、いつしか時代も場所も超越した次元へと滑り込んでいくことだろう。国内外の映画祭で評価を受けたこの作品が2週間限定でレイトショー上映されるこの機会に、ぜひスクリーンで体験してほしい。
全く見たことのない地下世界に魅せられて
―――『鉱 ARAGANE』が映し出すものは、ヘッドライトだけが頼りの地下の暗闇と、炭鉱での肉体労働や重機の音などですが、同時にその中に非常に繊細なものを感じました。そのバランスが魅力でもあり、時間が経っても残響のように身体に残るのかなと思いました。
小田香監督(以下、小田):ありがとうございます。
―――小田さんは、『ニーチェの馬』を最後に引退宣言をしたタル・ベーラ監督がサラエボで開いたfilm.factory(3年間の映画制作博士課程)で学ばれたということですが、そもそもどういった経緯で入学されたんでしょうか?
小田:進学したアメリカの大学で、一般教養の学部の中にカメラを触っていいコースがあって、卒業制作でセルフドキュメンタリー的な作品を撮ったんです。その作品を、日本に帰国してから2011年のなら国際映画祭の学生部門で上映していただいたんですが、そのときのプログラマーの方が、「タル・ベーラが新しい学校をやるみたいだから、小田さん行ってみたら?」と勧めてくれて、作品を送ったら選ばれたんです。
―――生徒は何人くらいいたんでしょうか。
小田:私は1期生で、世界中から17人が集って始まり、卒業したのは9人です。映画作家を育成するプログラムなので、技術的なことを教わることはゼロですが(笑)、2週間ごとにフィルムメーカーたちが講師に来て、自分たちの映画製作について語ってくれます。そのワークショップを受けつつ、それぞれ自分たちの作品を作る感じでした。『鉱 ARAGANE』はそこでの卒業制作の作品で、2016年に卒業しました。
―――ボスニアにある炭鉱の地下世界をとらえた作品ですが、制作のきっかけは偶然だったそうですね。
小田:最初はカフカの「バケツの騎士」という短編を原作に撮ろうとしていました。石炭を探す男の話なんですけど、ボスニアは今でも石炭をたくさん生産しているので、リサーチのつもりで近くにあった炭鉱に行きました。最初は地上の施設の見学だけでしたが、2回目に行ったときに坑道の中に降ろしてくれたんですね。それが本当にすごい空間で、これを自分のアプローチで撮りたいと思って、企画を変更しました。もう、魅せられたって感じですね。
―――一番はどんなところにですか?
小田:日光が届かない空間なので、ヘッドライトの動きや光の反射、掘削の音と身体にくる振動だとか。とにかく全く見たこともない世界で衝撃でした。
―――映画の中で最初の方にトロッコで地下に降りていくシーンがありますが、その時間が異様に長く感じられました。素人だと深さもどれくらいなのか感覚的にわからないですが、地下の怖さはなかったですか?
小田:炭鉱では事故も多いから、何かあるかもしれないなというのは思ってましたけど、地下300メートルくらいの深さなんですが、暗闇は怖くはなかったですし、狭い空間もそんなに嫌ではなかったです。いつも安全管理のマネージャーの方が付き添ってくれてたんですけど、その人の歩調に合わせてカメラを持ってついていくのが精一杯だったから、撮影中は怖さを感じる余裕もなかったのかもしれないです。
―――どういう映像が撮れるかもわからないと思うんですが、そのあたりは心配なかったですか?
小田:撮り始めても、作品として長尺でひとつに纏められるかは正直わかってなかったです。作品を完成させるというより、自分の目の前にある空間をキャプチャーできないか、私が見ている、感じてるように撮影したいという気持ちが強かったですね。もちろん厳しい環境だから、綺麗と言っていいのかわからないですけど、やっぱり独特の美しさみたいなものがありました。
偶然見つけて出会った世界をそのまま撮りたかった
―――映画の中では、カンテラとヘッドライトの明かりだけで坑夫たちが働く姿が延々と映し出されるわけですが、その様子に何か人が働くということの原点みたいなものを感じました。重機で掘削しているシーンもありましたが、基本的にはつるはしで掘っているんですよね?
小田:掘っているし、未だにダイナマイトも使ってます。地下でダイナマイトを爆破させるんだから事故も起きてしまうよな、と私なんかは思うんですけど……。
―――例えばジョン・フォードの『我が谷は緑なりき』(1941年)のような映画で描かれた様子や炭鉱のドキュメンタリー写真なんかと比べても、仕事のスタイルとしては現在も全く変わっていないということですよね? 観ながら、「これはいつ、どこの世界だろう?」と、時空が歪むような感覚がありました。
小田:ありがとうございます。この作品のインターナショナルプレミアがリスボン国際ドキュメンタリー映画祭だったんですけど、そこのディレクターの方は、「どこで何が起こってるかわからないから、いつ観ても古びない」と同じようなことをおっしゃっていました。背景を一切説明してないことが選んでくれた理由だったようです。
―――まさに映像と音だけで体験する作品になっていますが、背景などを説明しなかったのは特別な理由がありましたか?
小田:そこに興味を持ってなかったからというのが大きいと思います。撮影したブレザ炭鉱というのは、ボスニアでも100年以上の歴史があるんですが、私はサラエボの近くにある炭鉱に行こうと思っただけで、行ってみたら大きくて歴史のある炭鉱だったっていう、たまたまなんです。私が偶然見つけて出会った世界をそのまま撮りたかった。
―――地下深くの狭い空間にカメラを持ち込めたのは、高感度で軽量なデジタル機材になったからという側面もあると思います。坑夫たちは撮影されていることをあまり意識してなかったのでしょうか。
小田:カメラはキャノンの5D(動画撮影も可能なデジタル一眼レフカメラ)でしたけど、レンズは50ミリだったので距離が近いのと、必ず三脚を据えてのショットだったので、私に撮られているのはわかってました。ただ、彼らは忙しくて私にかまってられないので(笑)、「仕事の邪魔にならないところで撮ってるならかまわないよ」っていう態度でしたね。
―――撮影期間はどれくらいですか?
小田:1回が4時間で、半年間で10回地下に潜らせてもらいました。炭鉱の中は一応歩きやすいように板が張ってはあるんですけど、私はモニタを見ながら撮影してるので、下にヘッドライトを向けないかぎり足元は見えなくて、泥に足はを取られるし、膝もガクガクになるし、毎回ぐったりしました。でも、働いている人たちは8時間の3交代シフトで、炭鉱自体は24時間フル稼働しています。
―――女性の方も一人写っていましたが、基本的には男だけの世界だと思います。そういった社会的側面への関心もあったんでしょうか。
小田:実はこの作品に限らず、ボスニアで撮ってる作品の主人公はほぼ男の人で、私も「何でだろう?」ってこの前考えてたんですけど、もしかしたら、ああいう肉体労働とか、筋肉の動きが綺麗だなと思ってるのかもしれないです。でも、男の人が撮りたいと思って撮ってるわけではないんです。
[後編「見えてはなかったけど、感じるものとしてあったから、私は撮りたかったんじゃないか。」に続きます]
インタビュー写真:後藤知佳(NUMANBOOKS)
(2017年9月29日、都内某所にて)
『鉱 ARAGANE』
http://aragane-film.info/
https://facebook.com/araganefilm/
監修:タル・ベーラ
プロデューサー:北川晋司/エミーナ・ガーニッチ
2015年/ボスニア・ヘルツェゴビナ 日本/DCP/68分
配給:スリーピン
(c) film.factory/FieldRAIN
公式サイト:http://aragane-film.info/
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