昨年10月から12月にかけて放映されていた石原さとみ主演のドラマ『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』(日本テレビ)が話題となり、これまでその存在を知らなかった層にも広く認知され始めた校正・校閲のお仕事。昨年11月に下北沢のB&Bで開かれたトークイベント「校正・校閲というお仕事」に現役校正者4人が集結し、自身の働き方や日ごろ感じていること、“校正あるある”話など、赤裸々に校正トークを繰り広げました。立ち見も出るほど大盛況だった当日の様子をレポートします。
●以下からの続きです。
1/4:「じっくり原稿と向き合えるのは、17時半から。」
2/4:「最初に校正した『僕』と同じ校正者でいられるかどうか。」
3/4:「『関わらず』は、校閲を通ってないしるし?」
話題になった“神校閲”。
(6)ファクトチェック
大西:これは3年前(2013年)、作家の石井光太さんが「新潮社の校閲は、あいかわらず凄い」とTwitterでつぶやいてすごく話題になった実際の例です。「まぶしいほどの月光が射し込んできた」という描写に対して、この物語の舞台では2012年の6月9日ということになってるんですが、「そのときの月齢を調べると満月と下弦の間でOK」っていうメモ書きがゲラにあった。石井さんは「ここまで見てくれるプロ意識は本当にすごい、だからまたここと仕事をしたいと思う」というふうなツイートをされて、新潮社の校閲がブレイクしたんですね。今のこの、校正・校閲ブームみたいになっている、1つのきっかけになった事件だったと思います。
新潮社の校閲は、あいかわらず凄い。
小説の描写でただ「まぶしいほどの月光」と書いただけで、校正の際に「OK 現実の2012、6/9も満月と下弦の間」とメモがくる。
このプロ意識! だからここと仕事をしたいと思うんだよなー。 pic.twitter.com/cUOrMi4K5B— 石井光太 (@kotaism) 2013年5月4日
牟田:いわゆるドラマで「事実確認」って言ってるやつですよね。これ、さらに言えば、おそらく気象庁の過去の気象データベースを見て、この日は雨じゃなかったかどうかも見てるんですよ。
大西:新潮社の校閲は、僕も仕事をさせていただいたことがあるのでわかるんですけど、本当にちゃんとしてるんですよ。だけど、それは新潮社もそうですけど、もちろん寺田さんの河出書房新社もそうですし、講談社さんも集英社さんも、みんな普通のこととしてやってるんですよね。
牟田:この一件はたまたまTwitterで話題になりましたけど、このお仕事をされていたら、「そうだよね、当然見るよね」と思われる方も多いんじゃないでしょうか。
今、一番重要なのは差別表現のチェック。
(7)不用意に人を傷つけることのないように。
牟田:本来は編集者の仕事といえば、これもそうですよね。校閲者ってここまで気をつけて見なきゃいけないんだなって、私はいつもこの差別表現のチェックが一番自信がないです。
大西:先ほどお話しした、この前出会った新潮社の校閲の方は、実は石井光太さんがツイートをされていた“神校閲”のご本人だったのでびっくりしたんですけれど(笑)、その方が差別表現のチェックって、実は今の校正で一番大事な仕事じゃないかっておっしゃっていて、僕もそう思うんです。
いわゆる差別語とか不快語と言われているもの、この前も「土人」という言葉が問題になりましたが、はっきりわかる差別語もあれば、むしろそういうものが一切出てこない差別表現もいっぱいあって、このケースはそうですよね。あるマジメな講演会の中で、ちょっと笑いをとるような場面で、ここではただ「同志としての愛なんだよ」って言いたいだけなんですが、枕として同性愛を笑うという。基本的に、話している人も聞いている人も、みんな異性愛だろうっていう暗黙の了解の中で笑いが起こってるんですけど、でもその中に、同性愛者がいるかもしれない。
牟田:想像力をはたらかせると、笑ったりはしにくいですよね。
大西:そうなんですよね。でもそんなことを言ったら、ふざけて笑いをとることなんかできないじゃないか、みたいなことになっちゃうんですよ。大勢が「もういいじゃん、それで」っていう空気になっているときに、「みんなはそうかもしれないけど、でもちょっと考えたほうがいいんじゃない?」みたいなことを言うのが校正者の役割ではありますよね。だからときどきすごく煙たがられたり、嫌がられたりもするんですけど(笑)。
奥田:ただ、これも経験がないとちょっと難しいですよね。
大西:こういう人権意識はどんどん社会的に変わってきますしね。このケースでは、10年前だったら何の問題もなくって、誰もチェックを入れなかったと思いますが、今は逆に、セクシャル・マイノリティー(性的少数者)の人権の問題はちょっとみんな神経質になっている。流行り廃りじゃないんですけども、やっぱり変わっていくんですね。
牟田:時代性っていうのはすごくありますよね。この仕事はそれについて行かなければならない。
大西:職業人としてもそうなんですけど、人間力が試されるというか。
寺田:話しているときの言葉と、活字になったときに見た感じとで、言葉の重みが変わりますよね。多分このケースの場合、講演会で話したときはその場でサラッといけたことだと思います。そこで爆笑して、みんなで「おもしろかったね」ってなったと思うんですが、それを活字にしてしまうと、やっぱりそこにちょっと暴力性が出てくるのが難しいところですよね。
大西:活字には1つの力というか、権威もあるし、強制力もあるし、やっぱりなんか強いですよね。
奥田:例えば、Twitterでこの文章がタイムラインに流れてきたらどう感じますか?
大西:そうだなあ……。その人のツイートの流れとか表現とかにもよるから、嫌だなと感じることもあれば、おもしろいなとかうまいなとか思うこともあるでしょうね。
「木も見て森も見る」のが校正。
大西:小説やドキュメンタリーの校正では、差別表現をあえて残すこともたくさんあります。だから、別に言葉狩りをしているわけじゃないんです。
牟田:純文学などで、どうしてもこのシーンにこの言葉が必要だって思ったら、いわゆる差別語だからといってそれを一概に「トル?」とは疑問に出せないっていうことはありますね。
大西:これは聞いた話なんですけど、純文学の作品の会話の中で、お父さんが息子に「お前、そんなことやってたら浮浪者になるぞ」みたいなことを言うんですね。浮浪者っていうのはいわゆる差別語なので、校正者としてはチェックを入れざるを得ないと思うのでチェックを入れて「ご一考ください」としたら、最終的に「ホームレスになるぞ」になったそうなんです。それでは意味が変わっちゃうというか、リアリティがなくなってしまったというか。そのお父さんの言葉の生きた語感とか、お父さんの世代の感覚とかが、全部なくなっちゃいますよね。このザラッとした手ざわりみたいな。本当はそういうのが大事なんですよね。
牟田:こうやって一部分だけ抜き出して見るのと、ゲラ1冊分の全体で見るのとでは、また全然違ってきますよね。
大西:そうなんです。「木を見て森を見ない校正」っていうのは、本当によくない。「木も見て森も見る」のが大切です。あともう1つ業界の方から教えてもらったことわざみたいなもので、「1度目はアリの目、2度目は鷹の目」というのがあります。1回目に読むときは細かいディテールに注意して、一文字一文字見ていく。2回目はもっと高いところから、全体の内容や組み立て、テーマ、表現など、大きなものを見ていくっていう意味です。時間がないときはだいたい一度に「せーの」でやったりもするんですけど、校正には常にそういう2つの相反する目が必要です。
牟田:できれば、素読みと事実確認とで分けて2回読みたいって思いますよね。残念ながら時間の都合でできないことも多いですけど。
大西:できればね。でも、実務はかなり同時進行で(笑)。
牟田:常にアリとタカが一緒に走ってる、みたいな(笑)。
大西:(笑)。本当に、ゲラ(校正刷り)の言葉と向かい合うのに、1人2役することがたくさんあります。でも、1人2役だから初めてその作品がわかるというか。2役するのは大変だけど、校正ならではの読み方、言葉との付き合い方がありますよね。
[校正・校閲というお仕事:大西寿男×牟田都子×奥田泰正×寺田恵理 了]
取材・構成:二ッ屋絢子
編集協力:中西日波
(2016年11月27日、本屋B&Bにて)
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