かつての本屋での立ち読みに取って替わる存在としての、ディスプレイ上での“試し読み”――。出版社のウェブサイトで何気なくマンガなどの試し読みを利用したことがみなさんにもあるのではないでしょうか。環境を問わずウェブブラウザ上で本が開けるBinB(Books in Browsers)の強みを活かし、試し読みのできる場所や期間をあえて限定することで、どのような売り上げ効果をもたらすことができるのか。アグレッシブなマンガのプロモーション施策の現在について、集英社取締役の茨木政彦さん、集英社デジタル事業部副課長の岡本正史さんにお話しいただきました。
※2014年7月3日に第18回国際電子出版EXPOの株式会社ボイジャーブースで行われた茨木政彦氏+岡本正史氏の講演「時間と場所に連動したデジタルコミックスのウェブブラウザ・リーディング」を採録したものです。元の映像はこちら。
マンガもブラウザ上で簡単に読めれば……
茨木政彦(以下、茨木):こんにちは、集英社の茨木です。
今、デジタルコミックは本当に順調に伸びていまして、うちの売り上げで言うと、紙の売り上げの10%くらい――何十億円単位の売り上げになってきているんですね。「時間と場所に連動したデジタルコミックスのウェブ・リーディング」というタイトルのこのトークセッションですが、それについては現場の人間である岡本がよくわかっておりますので、彼が後ほどきっちり話すと思います。今日はよろしくお願いいたします。
岡本正史(以下、岡本):こんにちは。集英社デジタル事業部の岡本です。今回は特に試し読みのプロジェクトのお話をさせていただきたいと思います。
集英社ではデジタルマンガの試し読みポータルサイト「集英社 Manga Broadcast Channel」、略してMBCというものを立ち上げています。
今ちょうどドラマ化されている作品や、今月アニメが始まる作品など、いろいろなマンガの試し読みがここでできるようになっています。例えば今は(2014年)7月からアニメが始まる「東京喰種」(石田スイ著、『週刊ヤングジャンプ』にて連載中)などのマンガが簡単にブラウザ上で試し読みができるようになっています。この仕組みをボイジャーさんのBinB[★]を活用させていただきながら作っているということです。タップするとメニューが出まして、試し読みをしたマンガをSNSなどで共有できたり、ネット書店で紙の本やデジタル版を買ったり、あるいは他の新刊に飛んだり、いろいろなことができるようになっています。
YouTubeに代表されるように、音楽や動画は非常にアクセスがしやすい状況です。だけどマンガもやっぱり簡単にブラウザ上で読むことができた方がいいということで、うちはMBCの他に「S‐MANGA.net(集英社マンガネット)」というサイトでもBinBを使用させていただいております。S-MANGA.netが紙のコミックスの総合情報サイトで、MBCがデジタルコミックスの総合情報サイトとなっております。これ、「1つのサイトにすればいいじゃないか」ってみなさん思われるかもしれません。ですが、作品によってデジタル版しか出していなかったり、紙版しか出していなかったりといろいろなパターンがあるので、わかりやすくするために2つに分かれています。
では、さまざまなウェブにおける試し読みについて、去年行ったことからちょっと振り返りたいと思います。
★BinB:Book in Browsersの略で、ボイジャーが開発した新しい読書システム。ウェブブラウザだけで読書を可能にするシステムで、専用プラグインのインストールも、新たなアプリケーションのインストールも必要ない。
「10巻まるごと試し読み」という大胆さ
――「キングダム」10巻試し読みキャンペーン
岡本:2013年の4月と5月に、中国の戦国歴史ロマン「キングダム」(原泰久著、『週刊ヤングジャンプ』にて連載中)の10巻分試し読みのキャンペーンをさせていただきました。コミックスの1巻だけ試し読みできるというのはよくあると思うんですけど、1巻から10巻を全部試し読みさせる企画はなかなかないと思うんですね。編集部と宣伝部がメインになって仕掛けたものです。「キングダム10.jp」というサイトを作りまして、アクセスするとコミックスが10巻並んでいて、クリックするとBinBを利用したビューワが開いて読めるという仕組みでした。
このキャンペーンを2回の期間に分けて実施した結果、どれくらいの人が見たかというと、4月の最初の2週間で行った第1回目でユニークユーザーが21万人、試し読みされた総冊子数は179万冊という結果でした。同様に第2回はユニークユーザーが18万人、試し読み総冊子数は215万冊です。
茨木さん、この結果を見てどうですか。
茨木:ありがたいことですね。でも、この後に実際に単行本を買ってもらわなければいけない(笑)。なので、このキャンペーンが実売にどうつながったのかというお話を続けてお願いします。
岡本:はい、ではそのあたりの話に移ろうかと思います。
デジタル版で10巻まで試し読みをしてもらって、その結果11巻以降がどれくらい売れたのかというのがこのグラフです。
細かく並んでいる細い棒がそれぞれ巻数を表していて、左端が11巻で右端が当時の最新刊の28巻です。一番左の5分の1の塊がキャンペーンを始める前の3月末の売り上げデータですね。そして、左から二つ目の塊を見ていただければわかるように、キャンペーンの第1回(2014年4月1日〜4月14日)を始めてデジタル版の売り上げがドカーンと伸びました。11巻以降、途中で脱落していく人もいるんですけど、最新刊がまたガッと売れたりもして。キャンペーンを始める前の10倍くらいの売り上げになっています。キャンペーンが終わった後には売り上げも落ちるんですが、それでも始める前の2、3倍の売り上げはキープしています。そしてキャンペーンの第2回(2014年5月13日〜5月26日)が始まって、また売り上げが急増。トータルでかなりの売り上げにつなげることができました。
ここで問題になってくるのが、1から10巻までの売り上げです。「タダで読ませてしまったら買ってくれないんじゃないか」と思うかもしれません。しかし、ブラウザビューワで読むと読者の手元にデータが残らないので、きちんと手元に置いて読み返したいという読者が相当数いるようで、キャンペーンを始める前の3倍くらいの人が、1巻から10巻を買ってくれています。
……という形で、デジタル版の方では無料で公開した部分も含めて、非常に売り上げが上がりました。そして紙版の方も、公開した部分の続きを含めて買ってくださる方がかなりいらっしゃいました。現時点で「キングダム」は紙の方が累計1,100万部、デジタル版が130万部ほど売れています(2014年7月時点)。
“引きの強いマンガ”だからこそ?
岡本:「キングダム」のキャンペーンのおかげで、期間限定かつ無料でも何巻か公開することによって、売り上げにつながるということが見えました。キャンペーンの後、他社さんでも次々と1巻無料とか3巻無料とかのキャンペーンが出てきましたね。集英社でも不定期に無料公開はやっていたんですけど、やっぱり社全体で大きく盛り上げたいということで「春マン!! 集英社 春のデジタルマンガ祭」というキャンペーンをこの春に実施させていただきました。
これは毎週10作品程度のコミックス1巻無料公開を継続してやりつつ、他にもキャンペーン割引など、いろいろなキャンペーンを同時展開するというものです。ジャンプコミックス、ヤングジャンプコミックス、マーガレットコミックス、りぼんマスコットコミックス、クイーンズコミックス……といういわゆる集英社のすべてのマンガレーベルに横断して、週替わりで作品を無料公開していきました。集英社のMBCでご覧になった方もいらっしゃると思います。実はこれを始めてから、同じくBinBを使われているYahoo!ブックストアさんなど、いろいろな電子書籍ストアさんの方でも企画に乗っていただけるようになりました。いろいろなパターンがあるので一概には言えないのですが、大体の売り上げのグラフはこういった形になることが多いです。
1巻を無料で公開しているので、2巻の売り上げがドーンと上がります。その後にどれくらいの“引き”があるかなんですけど、だんだんと下がっていって、最終巻でまた上がります。だから1巻を無料で読んだ後に、終わりが気になって先に終わりだけ買う、みたいな人が結構いるのではないでしょうか。1巻から継続して読んでいく人だけではなく、終わりを読んでしまった後にまた戻ってくる、という人もいそうな感じがします。どうでしょう、茨木さん。
茨木:マンガの種類にもよりますよね、たぶん。“引きの強いマンガ”って言うんですかね。「キングダム」とかはそうで、最初をタダで読むとだんだんと惹き込まれていって続きが気になっちゃうんでしょうね。これが毎巻読み切りの「こち亀」とかだとまた違ったパターンになってくるのかもしれませんが、“引きの強いマンガ”はこういう形で無料の試し読みをやっていくと効果があるんじゃないかなと思います。
その場・その時間だからこそ生み出せる特別感
――「JOJO THE WORLD TOUR」
岡本:そして今年の3月、新しくGPSに連携した試し読みというのを始めました。「いつでもどこでも見られる」というのがウェブの便利さだと思うんですけど、それを逆に限定して、スマホのGPS機能と連携した「この場所に行った時にだけ読める」という試みを始めました。
「JOJO THE WORLD TOUR」という名前で博報堂さんと一緒にやった企画です。なんで「WORLD」なのかっていうのは後で説明します。このキャンペーンサイトはスマホ利用者を主な対象にしたページなんですけど、トップページにアクセスすると「各地に出現する無料マンガエリアに行って、チェックインするだけで、『ジョジョの奇妙な冒険』計1,000ページが無料で試し読み『可』能だッ!」とあります。どこにいても読めるわけではなくて、スケジュール表を見てその場所に実際に行ってチェックインすることで読めるようになる。南の方からだんだんと試し読みの期間が北上していく形で、沖縄・九州地方から関西に行き関東に行き、北海道に行き、順次その地域で試し読みができます。また、47都道府県別にご当地壁紙が用意してあって、それぞれその土地にゆかりのあるキャラクターの壁紙もダウンロードできる。「この企画でコンプなんてできんのか!」って話なんですけど、まあ普通はできるわけがないよね、みたいな……(笑)。そんなキャンペーンサイトになっています。
「ジョジョ」は第1部から第8部まで現在も続いているかなり長いシリーズなので、それぞれの部の冒頭の部分、計1,000ページ以上がこれで読めていくわけです。おかげさまでジョジョは今、第3部のアニメが放送されている影響で、関心度もかなり高まっているので、3部はもちろん他の部や「ジョジョリオン」(現在連載中の第8部)も知ってもらいたいということで始めました。
では、これをやってどうなったのか。これが、地域ごとのアクセス数のグラフです。
3月29日に沖縄・九州・四国・中国地方から公開して(Stage 1)、1週間ごとにずれて公開していった結果、やはり関西に行くと増え(Stage 2)、関東で一番のアクセス数を獲得しました(Stage 3)。その後、東北・北海道とやったんですが(Stage 4)、この後に、最初にお話しした「JOJO THE WORLD TOUR」という名前の通りにアメリカ、イタリア、フランスでも同様のことをやりました(World Stage)。さすがに現地で何の告知もしていなかったので、アクセス数もほぼなくて申し訳ないのですが……(笑)、ともかくワールドツアーをしました、と。
そして、こうして日本全国と世界各地を周った後に、日本のどこに行っても1,000ページ読めるようにしたんです。「じゃあ最初から全国公開しとけばいいじゃん」とみなさん思われるかもしれないんですけど、各地域のグラフの頭の部分っていうのは、最初から全国公開していたら見てくれなかったかもしれないユーザーなんですね。もし最初から全国公開した場合は、グラフは左端をピークに緩やかに減り続け、右端に向かって下がっていく形になると思います。地域を区切ってやっていくことで、一斉公開することでは取れなかった数のアクセスが取れるということです。
また、時間と場所を限定してあげることによって「今ここでしか読めないんだよな」という、普通のキャンペーンでは得られない物珍しさや特別感が生まれます。それによって関心が高まって、読んでくれるということがあるのではないかと。それに、簡単に読ませすぎるとその後にお金を出して買ってもらうという一番大事な部分への効果が薄れてくるんじゃないかということもあって、そうならないために特別な要素をプラスした方がいいんじゃないかと思ったというのもあります。どうですか、茨木さん。
茨木:あの、部長の僕が言うのもなんなんですけど、このキャンペーンの告知はどこでやったんでしたっけ?
岡本:予算の都合上で今回はできなかったんですけど、本当だったら例えばハチ公前で「ここで読めるよ!」みたいな看板がドカーンとあれば面白かったかもしれません。でも、今回はちょっと実験的な部分もあったので、告知は主にウェブ媒体でしたね。
―――雑誌など紙メディアでの告知もやられたんですか?
岡本:「ジョジョリオン」は『ウルトラジャンプ』で連載しているので、その誌面上での告知は行いましたが、自社媒体で宣伝するのはある意味限界があるかなと。もっと大規模にできたらよかったですね。
茨木:今回は初の試みでしたからね。この結果、ジョジョの売り上げ部数が増えて、別の作品でも同じように展開してみましょうということになれば、社内でもさらに予算をつけましょう、という風になるかもしれないということですね。
岡本:はい、よろしくお願いします(笑)。
※動画中の冒頭から0:22:15までの内容がこの記事(「『試し読み』の現在形」1/2)にあたります。
[2/2へ続きます]
構成:川辺玲央
(2014年7月3日、第16回国際電子出版EXPOのボイジャーブースにて行われた講演「時間と場所に連動したデジタルコミックスのウェブブラウザ・リーディング」より)
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