電子出版、そして本の未来についての実践的な提言集として2013年に翻訳版がリリースされ、反響を呼んだ書籍『マニフェスト 本の未来』。その寄稿者へのインタビュー動画を、取材時のちょっとした裏話と一緒に毎週お届けしていきます。
第1回目は、アノテーション・システムの先進的な開発に携わる情報アーキテクチャのプロフェッショナルで、『マニフェスト 本の未来』では第15章「形なき本で図書館を作るということ」を執筆したピーター・ブラントリーへのインタビュー。
今回のイントロダクションのテキストは、ボイジャーの萩野正昭によるものです。
『マニフェスト 本の未来』第15章「形なき本で図書館を作るということ」執筆者。カリフォルニア大学、ニューヨーク大学で図書館および出版局に勤務の後、ランダムハウス社でインフォメーション・マネジメント関連の要職を経験。その後非営利の図書館組合であるデジタル・ライブラリー・フェデレーションのディレクター等を経て、サンフランシスコに拠点を構えるインターネット上の図書館、インターネット・アーカイブに。世界中の電子本の検索・販売・配信を可能にするツールやフレームワークを構築するBookServerプロジェクトのディレクターとして、またブラウザで本を読むという世界的潮流を生み出したBooks in Browsersカンファレンスの推進役として活躍。現在はハイポセシス社でアノテーション・システムの研究開発に携わる。
文:萩野正昭(ボイジャー)
「インターネット・アーカイブ(IA)へ行くなら、必ずピーター・ブラントリーに会ってこい、あの男がキーマンだ」。
久しぶりに米国へ行こうとおもった私は、かねてより訪ねたい箇所を列べて、東海岸に住む相棒のボブ・スタインに問うたのだ。IAは誰を訪ねたらいいのか。ボブは間髪をいれずにこう答えた。
サンフランシスコにある彼らの本拠は、元教会だという大きな白亜の建物だった。その週のはじめに引っ越したばかりだといい、すべてがまだ雑然とした状況だった。
ピーターと現実にあったとき、実は交通事情から彼は約束時間に遅れていた。私は彼を待つあいだに偶然にもIAのリーダーであるブルースター・ケールに案内され、あなたたちがこの部屋のはじめてのお客だといって通されたボードルームでBookServerの説明を受けていた。やがてピーターはやってきた。このときの情景が「マガジン航」の以下のビデオで紹介されている。2009年10月のことだった。
ピーターとのつきあいはそのときからはじまった。あうたびにいつも話しあう時間を設けた。誰それが何をやっている、こんな面白い考えかたがある、Google訴訟で参考人として意見を述べた、あれを見るべき、ここを訪ねるべき………いろんな情報、いろんな考え、彼のフィルターで上手に漉された馥郁としたコーヒーを飲むごとくアロマなITの香りが私を取り巻いていった。
彼の奥さんが日本人であることを知ったのも、会話を深めるに従って教えてもらったことだった。だから谷崎潤一郎の話なんかがでてくるんだよね。誰かに教えてもらったなんてインタビューでいってるけれど、ああ奥さんだとすぐ分かったよ。
東京国際ブックフェアの際に彼を招いておおいにブースで語ってもらったこともあった。すこぶる和食びいきで、私の住む大井町線界隈の、外人の顔も見ることない小さな飲み屋で酒を酌みかわしたことがあった。仲間がいじわるに「このわた」と「ほや」を混ぜてつくる珍味「ばくらい」を喰わせて驚かそうとしたのだが、ペロリと平らげうまいと一言、悦にいったその顔にこっちが驚かされてしまったほど味覚も粋人、陰翳礼賛のようであった。
こうして彼が中心のメーリングリスト「read20」のメンバーにもしてもらった。そしてまた彼が推進した「Books in Browsers(BiB)」に引き込まれていった。本はやがてブラウザ上で読まれるものになるだろう。インターネットと本の融合をどうデザインしていくか? そこに実践して関わる者の世界的な会議だったと、今にすれば結論できる。当時はまだそこまでわかってはいなかった。ただなんとなく勘が働いた。秋に開催されるBiBのカンファレンスには、ボイジャーは欠かさず毎年出席していった。
私はかねてより、本と映画の融合などといってきた。私自身が映画出身でいまは出版に関わる端くれでもある関係から、こうでも言わなきゃかっこうがつかない。その程度にお考えいただいていいのだけれど、これをつきつめてドナルド・リチーが書いた『小津安二郎の美学——映画のなかの日本』をデジタルに構成してみようと試みたことがあった。もう20年前の話である。何をやったかというと、本の記述にある映画のシーンをリンクしただけである。当時はCDの容量が大前提であったから、工夫があったとすれば映像の容量の圧縮をどう計らうかだった。極めて要領よく省力化された映像表現と記述をリンクすることで何が面白かったのかはなんともいえない。ただ、穴のあくほど飽きずに映画のシーンを見ることができた思い出がある。見るように読む、読むように見る、だ。これが可能なら本と映画の融合はありえない話じゃない。根本的にそこにリンクがあったことは間違いない。注釈=annotationである。
ピーターがやっていること。ハイポセシス(hypothes.is)の活動に目を移してみよう。彼らの目指すことは以下のビデオを見ることが一番分かりやすいだろう。ここで洗練されたアニメーションに表現されるMemex(「記憶拡張機」ハイパーテキストの元になった概念)を見るとはおもわなかった。
活動には、それを推進するための方針、原則というものがある。ハイポセシスはそれを前面に押し出している。一見の価値がある。
まさに注釈=annotation概念の集大成がここにおいて取り組まれ、コンセンサスをえる最終の段階に差し掛かっているようにおもえてくる。Open Annotationとして。著者/送り手の情報発信と、読者/受け手もまたコンテンツにオーバーレイするAnnotation領域を取得する。Openなものとして。
偶然にちかい人との出会いと、その後に育まれた会話のかずかず、お互いに必死に生きる日常の積み重ねこそが人と人との理解の前提だ。ピーター・ブラントリーの発言は私たちにとってある重みをもっている。彼がなぜ、どうして、かくもここに情熱を傾けるのか? 質問に彼は素直に答えているが、考えてみれば都合のいい問い掛けだろう。簡単に答えを受け止められるようなものじゃない。情熱を傾ける本当の理由は、達成があってはじめて真実味をおびるだけの話だ。成功の道は、まだ遥か遠くじゃないのか。もしかして徒労に終わるかもしれない。それでもなお向かう人の心のあることに答えなどあるのだろうか。
インタビューをご覧になるみなさんは、ピーターとの何年もつづいた対話の末に、この映像が収録されたことを頭に入れていただきたいとおもう。
それでは、インタビューをどうぞ!
字幕翻訳:室大輔
[これからの本の話をしよう:第1回 了]
『マニフェスト 本の未来』
ヒュー・マクガイア/ブライアン・オレアリ 編
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