第7回「本とリアルタイム」(後編)
※前編、中編からの続きです
本をいつ出版するか?ということは、リアルタイムメディアが浸透してきている現代においては、ほんの一瞬のタイミングを狙うことが重要であるということを書きましたが、一方で、本はそもそも「非同期メディア」であるということも忘れてはなりません。本の「中」に流れている時間(本を読む人たちに流れている時間)は、それぞれバラバラである、ということです。
情報社会学者の濱野智史さんのデビュー作『アーキテクチャの生態系』(NTT出版、2008年)によれば、各ウェブサービスの実現している時間性を整理して、Twitterは選択同期(同期したい相手のタイムラインを「選択」することが出来る)、ニコニコ動画は疑似同期(違う時間にコンテンツを見ていたとしても、コメントがオーバーラップしてくるため、あたかも時間を共有しているかのような体験が出来る)と述べていますが、書籍というメディアは、(国語の授業における音読や、母親による子どもへの読み聞かせ行為を除けば)もともと、一人で読むメディアであるため、本を読んでいる時間は、他者とは時間がシンクロすることはありません。基本的には、読書は、他の人に流れるタイムラインとは切り離された「非同期的コミュニケーション」だと言えます。つまり、他人の時間を気にせず、黙々と文章に向かうことが出来るメディアです。
これは、当たり前のようでいて、実はものすごくユニークなメディア的な特徴なのではないかと僕は思っています。どういうことか?
ある本をAさんとBさんが同時に読み始めたとします。しかし、AさんとBさんは、当然ながら本を読むスピードが違います。二人の興味が違えば、丁寧に読む箇所は違ってくるでしょうし、ちょっと読み返したりする場所も違ってくるでしょう。よっぽどのことがない限り、AさんとBさんは同時に本を読み終えることはないでしょう(ぴたっとそろって読み終えたとしても、読んでいる最中の速度はそれぞれ違っているはずです)。
当たり前ですが、映画を一緒に見ている時には、こういうことは起こりません。タイムラインが決まっているので、時間を共有することが前提になります。しかし、本は、そもそも、時間を共有出来ない。そこにこそ、本を読むことのユニークネスがあるのではないかと僕は思います。お互い、意味やテーマは共有出来る部分もあるけれども、時間は誰とも共有されていない。徹底的に一人である、一人になる。それが本を読むことなのだと思います。
少々突飛に思われるかもしれませんが、僕は、本を読むという行為は、全く人とは違う時間性を簡単に獲得出来る数少ないメディア体験だと考えています。本は、そもそも「個性的にしか読めない」という制限があり、一人一人がバラバラの読み方しか出来ない。言い方を代えれば、作者と自分だけの時間を「創る」ことが出来る数少ないメディアの一つなのです。読むこと自体が、都度、ユニークであり、クリエイティブとすら言えるのです。
そろそろ、僕の言わんとしていることに気づいてくれている人もいるかもしれませんが、これだけ個性が重要だと言われている現代において、本を読むということは、「手っ取り早く個性を手に出来る体験」なのではないかと思うのです。みんなと違う時間の過ごし方をせざるを得ないのが読書なのでれば、個性を磨きたい人たちにとって、本を自分なりに読んでいくことこそ、個性を獲得するための非常に重要な手段になるのではないかと思います。本は、自分でプランを立てて、旅に出るのと同じなのです。自分だけに流れている時間性、そういうことを意識しながら本を読むと、また新しい発見が出来るのではないかと思います。
本の編集者は何故今出版するかを問うこと、今を戦略的に設計することが重要ですが、本を読む人は、自分の中にだけある「今」の流れ方を丁寧につかみ、そのユニークネスの中で個性を磨いて行くことが重要なのではないでしょうか? そこに時代や社会は関係なく、あなた一人の創造的な時間、世界が立ち上がってくるのです。
[もしも、あなたの本がソーシャルメディアだったら:第7回 了]
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