COLUMN

冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス

冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス
第32回 ウディ・アレン自伝出版をめぐって

冨田さん連載バナー_2

 某出版社にて、翻訳書編集、法務をへて翻訳権輸出に関わる冨田健太郎が、毎月気になる海外の出版事情を紹介する「斜めから見た海外出版トピックス」。今回はウディ・アレンの自伝出版について。性的虐待疑惑がある人物の自伝出版に対して起こった反対運動と言論の自由を巡る論争をレポートします。

第32回 ウディ・アレン自伝出版をめぐって

▼『唐突だけど』

 2020年3月はじめ、米国の出版社グランド・セントラル・パブリッシングが、映画監督ウディ・アレンの自伝を出版するとアナウンスしました。
 発売は、ほぼひと月後の4月7日。
 まさに、『Apropos of Nothing』というタイトルどおり、「唐突だけど」という話でした。
 英米では、出版社は契約から発売まで、ときには1年以上といった長い時間をかけて広報・宣伝につとめるのがふつうですから、これは異例のスピード出版です。

 ところが、これが大騒ぎを引き起こします。

▼ウディ・アレンと家族問題

 ウディ・アレンは、映画監督としてはもちろん、小説家としても知られていますが、いっぽうで女性関係では悪名高い人物でもありました。
 なかでも問題なのは、長くパートナーだったミア・ファローの養女ディランに対する性的虐待疑惑でしょう。
 まだ幼かったディランに対してアレンが行為におよんだというのですが、性的暴行にはいたっていなかったというのが専門家の結論で、法廷でも、きわめて不適切だが性的行為とはいいがたい、との判断で終わっています。
 アレンは、ミア・ファローと前夫アンドレ・プレヴィンとの養女スン=イー(当時20代前半)と関係を結んでいたことが発覚し、ファローと破局。のちにスン=イーと結婚しており、若年女性への嗜好が問題視されています。

 法的結論が出たあとも、ディラン当人もミア・ファローも、一貫してアレンの性的虐待を批判しつづけています。
 アレンとミア・ファローの実子であるローナン・ファローもまた、アレンに敵対的です。
 そんな背景もあってか、ジャーナリストであるローナン・ファローは、セクシュアル・ハラスメントを告発する記事でピューリツァー賞を受賞し、#MeToo運動の一翼を担うことになります。
 2019年秋には、ハリウッド等の権力者たちによるセクシュアル・ハラスメントをテーマにした著書『Catch and Kill』がリトル・ブラウン社から出版され、注目を集めました。この本では、実の父アレンについても触れられています。

▼アレン自伝への反発

 そんななかで発表されたウディ・アレンの自伝出版に対し、ディランもローナンも反発の声をあげます。
 ローナン・ファローは、版元であるアシェットが、アレンの自伝のファクト・チェックをせず、これは性的虐待の被害者であるディランに対して倫理も共感もない行為であると非難し、そのような出版社とは仕事ができないと述べています。

 そう、ローナン・ファローの版元リトル・ブラウンも、アレンの自伝の版元グランド・セントラルも、ともにアシェットのインプリントなのです。

 この呼びかけは効いたようです。
 リトル・ブラウンの社員75人が、アレン自伝の出版に反対するストライキに立ちあがったのです。
 ローナンとディランのみならず、性的被害者すべてとの連帯を示すとして、抗議の職場放棄に踏みきり、アシェット本社の人事部があるオフィスまでデモ行進。
 アシェット・グループのCEOがデモのグループと会談を設定しようとしたものの、拒否されたそうです。

(出版社員、ウディ・アレンの自伝に反対し、ローナン&ディラン・ファロー支援のため職場放棄)

▼出版中止とその反動

 結論は、意外に早くくだりました。
 アシェットが、ウディ・アレン自伝の出版中止を発表したのです。
「アレン氏の本をキャンセルするのは困難な決定だった。われわれは著者との絆を大切に考えており、出版停止は簡単な決断ではない」
 権利取得のアナウンスから3、4日。出版期日が迫っている以上、すばやい決定が必要だったということもあるかもしれません。

 この出版中止自体は、#MeTooの流れにもそった、いい流れのように見えます。
 しかし、アシェットの決定には、作家たちの側から疑念の声があがります。

 PENアメリカは、CEO名で声明を発表します。
 今回のケースは、長期にわたって反目しあってきた家族の問題であるとしたうえで、それでも、出版をしないという結論は、本を読んでその内容を判断するという機会を奪うことになる。言論の自由を擁護する立場としては、編集者が世に出す価値ありと判断したものについては、臆せずきちんと出版してほしい、と述べています。

 おなじみの作家スティーヴン・キングも発言します。
「ウディ・アレンの本を出さないというアシェットの決断には不安をおぼえる。べつにアレン氏の心配をしているわけではない。次に口をふさがれるのはだれかが気になるのだ」

 こういうことは、一度踏みきってしまうと次回以降はもっと簡単に決めてしまうようになる、とキングは警告しています。
 それに対して、ウディ・アレンがペドファイルであることは問題ではないのか、という批判も寄せられています。
 キングはこう答えます。もしそう思うなら、彼の本を買わなければいいし、映画に行かなければいいし、音楽を聴かなければいい。金を投じなければよい。それがアメリカのやりかただ、と。

 英国PENの会長でもあったジャーナリストのジョー・グランヴィルも、書き手も読み手も懸念すべき事態だといいます。
 そもそもアシェットは、議論を呼ぶことも、あるいは商業的に成功することもわかったうえで、ウディ・アレンの自伝の権利を取得したはずだ、とグランヴィルは指摘します。
 アレンは性的虐待でくりかえし訴えられても有罪になっていない以上、出版に反対する実質的な理由はないわけで、アシェット社員のストライキはまるで検閲者の行為である、と批判します。これはきびしいですね。
 そしてグランヴィルは、子供の頃からアレンの映画を見てきたので、本も読みたいと述べます。もし彼が性的虐待で有罪だとしても、その作品と人生に興味があるので、自伝を読みたいことにかわりはない。本を読むのに、その作家の道義性や犯罪歴は考慮しない。たとえば、T・S・エリオットもロアルド・ダールも反ユダヤ主義者だったことが知られている。アシェットの社員たちの基準にしたがえば、他の多くの英国文学の古典も問題ありになってしまう——というわけです。
 さらにグランヴィルは、1970年代、英国の出版社はわいせつをめぐって規制をもとめる社会運動と戦ってきたことを思いださせます。それは表現の自由を守り、拡大するためであり、かつてはきびしかった同性愛への弾圧なども跳ねのけてきた歴史があるのです。
 #MeToo運動に顕著なように、モラルにもとづく怒りは正当なものに見えるが、反動的な意見にはしたがえないし、出版の自由を阻害することが進歩と捉える考えには同意できない、とグランヴィルはいいます。そして、世界的な大手出版社が、正当性や手続きも経ずに、一部の社員のデモを受けてこのような決定をくだしてしまったことに憂慮を表明しています。

▼海外の出版界からの反応

 このような反発が出たものの、アシェットは出版中止の決定をくつがえしはしませんでした。

 いっぽうフランス語版の版元が、予定どおりに4月末の出版を目指すと発表します。
 出版社側は、アレンの容疑について「完全に潔白」と信じているといいます。米国の司法制度で無罪が証明されており、「ウディ・アレンはロマン・ポランスキーではない」。
(ポランスキーは、少女への性的行為で司法取引ながら有罪判決。それ以降も未成年への性的虐待の訴えが多く、米アカデミーから除名されています)
 ただ、アシェットが出版を中止し、アレンとの契約を解除したため、海外での出版についても出版社から著者にもどっており、契約しなおさなければならないと語っています。

(ウディ・アレンの自伝、フランスでは反対の声にもかかわらず出版の方向)

 この欄で何度かご説明してきたように、海外の場合、著者が原稿を書いても、それを出版社につなぐのは文芸エージェントの仕事です。
 今回の場合、出版元であるアシェットが、他の言語での翻訳出版の権利(「ワールド・ライツ」などといいます)も取得していて、フランスの出版社はそれにもとづいてアシェットと仏訳版の契約をしていたものと思われます。ところが、版元と著者との契約が破棄されたため、仏語版の契約も浮いてしまったのでしょう。
 アシェットは、すくなくともフランスとの翻訳出版契約を結んでいたわけですから、この自伝の権利を取得してから、それなりに準備を進めてきたうえで発表したことがうかがえます。
 最初に触れたように、ウディ・アレンの自伝ともなれば大きな企画ですから、アメリカの出版界では長い時間をかけてパブリシティにつとめるのがふつうのところを、翌月に出版するというのは異例のスピードです。やはり、議論を呼ぶことをわかっていた出版社側が、ギリギリまで発表を遅らせたのではないか、という推測が成り立ちそうです。

 さらに、ロシアでもこの本を出版したいと声があがります。
 ちなみに版元は、ロシア政府が所有する報道局RTの出版部門で、編集長は「だれの人生の物語であっても沈黙を強いられるべきではなく、公平に耳を傾けられるべきだ」と語っています。

https://apnews.com/04e649d97d72474677ae1c7657f85d05

▼急転直下の結末

 この騒動は、意外な結末を迎えます。
 3月23日、アレンの自伝が突然発売されたのです。
 版元は、独立系のスカイホース・パブリッシングのインプリントである、アーケード・パブリッシング。小まわりが利いて、時事的・野心的なタイトルも多い出版社なので、妥当な落ち着きどころといえるかもしれません。
 アシェットが出版中止を決めてから、20日弱のことでした。

 さぞかし大騒ぎになったのではないか……と思ったら、それほどの反響ではないようです。
 なにしろ、米国はすでに新型コロナウィルスの渦中にあり、それどころではないというところでしょう。
 内容的には、幼少時から書き起こした正面からの自伝だったようですが、性的虐待疑惑については守勢にまわった記述で、その点ではこれまでの主張と変わらないと捉えられているようです。

 しかし、この一連の出来事は、出版界にいろいろと考える材料を残してくれました。
 問題のある人物の著書や、あるいは内容的に疑念のある書籍を出版社はどう扱うべきか、というのは、出版界につきまとう課題です。
 リトル・ブラウンの社員たちは、ストライキを決行しました。この出版によってあきらかに傷つけられる人がいることを考慮すれば、筋の通った行動ではあったでしょう。しかしこれは、出版を停止させようという、言論の自由にかかわる形になってしまいました。
 そして、内部からも外部からも批判を浴びたアシェットは出版中止を決め、圧力に屈して本を葬ることになりました。これもまた、言論の自由を阻害する形になったわけです。
 いうまでもなく出版は、文化的事業であると同時に経済活動であり、その両面から価値があると判断するからこそ、版元は人材と資金を投入する決断をくだすはずです。ときに社会道徳に反するものでも、読者が見こめるから出版することはあるでしょうし、その逆もあるでしょう。その見きわめこそが、個々の出版社のありかたなのだと思います。
 しかし、理由はどうあれ、一度を決めた出版を内外の圧力でやめてしまうことは、版元が考える以上に重大で、みずからの存在にかかわる強い意味を持ってしまうのです。著者側の強い懸念を引き起こすのも当然です。
 きびしい時代だからこそ、出版社はみずからの活動をもう一度考えなおさなければならないでしょう。

[斜めから見た海外出版トピックス:第32回 了]


PROFILEプロフィール (50音順)

冨田健太郎(とみた・けんたろう)

初の就職先は、翻訳出版で知られる出版社。その後、事情でしばらくまったくべつの仕事(湘南のラブホテルとか、黄金町や日の出町のストリップ劇場とか相手の営業職)をしたあと、編集者としてB級エンターテインメント翻訳文庫を中心に仕事をし、その後に法務担当を経て、電子出版や海外への翻訳権の輸出業務。編集を担当したなかでいちばん知られている本は、スペンサー・ジョンソン『チーズはどこへ消えた?』(門田美鈴訳)、評価されながら議論になった本は、ジム・トンプスン『ポップ1280』(三川基好訳)。https://twitter.com/TomitaKentaro