COLUMN

冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス

冨田健太郎 斜めから見た海外出版トピックス
第31回 揺れるロマンス業界

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 某出版社にて、翻訳書編集、法務をへて翻訳権輸出に関わる冨田健太郎が、毎月気になる海外の出版事情を紹介する「斜めから見た海外出版トピックス」。2019年末よりアメリカ出版界で話題になっていたロマンス作家協会のダイヴァーシティ問題について。アメリカの小説市場全体の1/3を占めるという一大ジャンルに潜む問題をレポートします。

第31回 揺れるロマンス業界

▼ロマンス小説界とダイヴァーシティ

 アメリカの出版界においてロマンス小説はひじょうに重要だ、ということは、以前もこの欄で書きました。

 なにしろ小説市場全体の1/3強を占め、ミステリーとSF/ファンタジイをあわせたぐらいのシェアを誇るのです。
 世間一般のイメージとちがって、読者の2割弱は男性、さらにはLGBTQの読者も一定数いるものの、このジャンルにおけるダイヴァーシティの問題が従来から指摘されてきました。
 もちろん、さまざまな人種をメインに据えた作品が書かれてきてはいるのですが、ロマンスの大手レーベルではいまでも白人作家が9割以上だといいます。
 また、米ロマンス作家協会が主催する毎年の文学賞=RITA賞(ミステリー界におけるエドガー賞、SF界におけるネビュラ賞のようなもの、といえばいいでしょうか)では、白人作家しか受賞しない状況がつづいているそうです。
 他の賞を受賞し、実力も認められている、たとえばアリッサ・コールのような作家が候補にもあがってこないことから、白人偏重ではないかと疑問視され、昨年2019年には、有色人種やLGBTQ作家が候補に入らなかったことをロマンス作家協会が謝罪するにいたりました。

 米ロマンス作家協会は会員9000人を擁するといい、人気ジャンルだけに規模も大きく、協会の影響力も大きいわけです。
 ところが、その協会がかかえる問題が一気に噴出する事態が起きたのです。

▼人種差別問題

 そのきっかけは、邦訳もある人気作家コートニー・ミランの発言でした。
 彼女は、物理化学の修士を取得してからロウ・スクールへ進学、裁判所で法務助手をつとめたあと、大学教授になったというキャリアの持ち主。
 ヒストリカル・ロマンスでベストセラー作家となり、米ロマンス作家協会の理事になってからは、協会のダイヴァーシティ拡大に尽力してきたと評価されています。
 また、法廷勤務時代にセクシュアル・ハラスメントを経験し、#MeToo運動でそれを告発しています。

 そんなミランが、ヴェテラン作家キャスリン・リン・デイヴィスの1999年の作品について、「人種差別のクズ」だと発言しました。
 この小説は、19世紀のスコットランドを舞台にしているとのことですが、作中に登場する中国人女性について、「斜めになったアーモンド形の目」を持ち、母親のしつけで「慎み深く静か」と表現されているのだそうです。ミランはこれを「従順な中国女性という観念は人種差別主義的なステレオタイプで、女性に対する暴力を助長する」ときびしく批判したのです。
 この発言は昨年2019年の夏のことで、SNSで拡散されたようですが、年末になって問題が一気に表面化します。

https://apnews.com/04e649d97d72474677ae1c7657f85d05

(ホリデイ・シーズンの米ロマンス作家協会を論争が襲う)

 批判を受けたキャスリン・リン・デイヴィスは、仲間の作家スーザン・ティスデイルとともに、米ロマンス作家協会の倫理委員会にミランを訴えるという行動に出ました。
 ロマンス作家協会の名誉会員でもあるデイヴィスは、ミランの批判によって新作3冊の出版契約が破棄されたといいます。一方的な「サイバーいじめ」であり、これにより作家としての機会が奪われた、というのがデイヴィスの主張です。
 自分は当時の時代背景を調査したうえで書いており、記述は歴史的に正しいといいます。
 さらにデイヴィスは、ミランがもうすこしプロフェッショナルとして対応してくれれば、訴えはしなかったと語っています。

(差別問題の渦中の白人ロマンス作家、自分は利用されていると語る)

 プロらしくないと評されたミランは、この問題については感情的にならざるをえないと反論します。なぜなら、彼女の母親が中国系であり、中国系女性を否定的なステレオタイプで語ることは、自分自身や母親や姉妹、友人たちの人生に影響をあたえる問題だ、というのです。
 そして、ロマンス作家協会の倫理規定にはSNSでの発信はふくまれていないので、自分の批判は訴えに適合しない、との見解を述べています。

▼ロマンス作家協会の対応

 そして年末、デイヴィスの訴えに対し、ロマンス作家協会が出した結論が、騒ぎを引き起こします。

 ミランの行為は、会員である作家たちの安全で尊敬される環境をおびやかし、キャリアを傷つけるハラスメントだと認定したのです。
 そしてミランを譴責し、1年間の会員資格停止と、理事等の指導的地位に就くことを今後いっさい禁止するという、きびしい処分をくだしました。
 差別表現が問題にされた側の主張がとおり、中国人に対するステレオタイプな表現を問題にした中国系の作家の側が協会から罰せられる形となったのです。

(ロマンス作家協会は道をはずれたのか?)

 協会員である作家たちから、ミランをサポートする声がわきあがりました。
 ミラン自身が、協会のダイヴァーシティに力をつくしてきた理事だったということもあるでしょう。
 くわえて、従来から白人偏重だった協会に対する警戒感が一気に噴きだしたといえるかもしれません。

 非白人の作家ばかりではなく、たとえばロマンス界から出た世界的ベストセラー作家であるノーラ・ロバーツなども、協会との考えかたのちがいを表明し(すでにロバーツは協会を離れています)、ミランを支持しました。
 さらには、訴えを起こした当のデイヴィス自身も、自分たちの意図をはるかにこえる処罰に愕然としたといい、「わたしたちは謝罪してほしかっただけだ」と述べています。

(人種差別の議論がロマンス作家グループをかき乱す)

▼ロマンス作家協会の内部事情

 ここまでの経緯をざっと見てきましたが、じつは、この裏には、複雑な道すじがあったことがわかっています。

 ミランはもともと、2018年に、協会の会長であったヘレンケイ・ダイモン(彼女も邦訳があるヴェテラン作家です)の要請で、倫理委員会の議長についていました。
 そのためミランは、協会の倫理規定にはSNSでの発信はふくまれていないと考えていたわけですが、しかし会長のダイモンは、まさにこの、ソーシャル・メディアでの誹謗中傷について、幹部たちと議論をはじめていたのです。
 とくに、SNSでの発言によって他の会員の仕事に影響をあたえた場合を、検討課題としていました。

 そこへ、当のミランが問題を起こします。
 スー・グリムショウという、大手書店で活躍するロマンス小説のバイヤー(仕入れ担当)がいるのですが、彼女はふだんから人種差別的な発言を繰りかえし、移民反対を唱えている人物でした。
 そんなバイヤーが仕入れる作品にはバイアスがかかるのではないだろうか、とミランは疑念を呈したのです。じっさい、黒人作家たちは自分たちのマーケットがないといっているではないか、と。つまり、白人主体の作品ばかりが書店に入り、ダイヴァーシティが阻害されている、という問題提起です。
 そして、グリムショウがロマンス作家協会の会員であれば、反差別を掲げる協会の倫理規定に違反するのではないか、とツイートしたのです。

 このあと、グリムショウを編集者として雇い入れることになっていた独立系出版社が、雇用を取りやめたと発表します。
 あたかも、協会幹部たちにとってまさに議論になっている、SNSでの発言によって他の会員の仕事を奪う、という実例を、ミランが提供したように見えます。
 しかし、これは検討されませんでした。グリムショウは協会員ではなかったので、じっさいにはこの例には当てはまらなかったのです。

 このグリムショウを編集者に迎えている出版社がありました。
 その所有者は、スーザン・ティスデイル。キャスリン・リン・デイヴィスとともにミランを訴えることになる作家ですが、彼女はみずから小さな出版社を経営していたのです。
 ティスデイルは、グリムショウを擁護する動画を配信し、これがSNSで注目を浴びます。
 これを受けてミランは、ティスデイルの出版社の編集者を確認します。
 そして、そこにキャスリン・リン・デイヴィスの名前を見つけたのでしょう。

 ここからは、ご説明したとおりです。
 デイヴィスの作品を読んだミランは、作中に中国系への差別的表現を発見し、あの批判を行なったわけです。
 そして、このミランの行為がまさに、SNSでの発言によって他の会員の仕事を奪う、という例になったのです。

(ロマンス作家協会の内破)

 このような裏事情を知ると、今回のミラン対デイヴィスの衝突は、起きるべくして起きた事態であったように思えます。

 今回ミランは、ティスデイルへの攻撃のために、あえてデイヴィスの過去の作品を探しだしてきたことは否めないところ。
 かたやデイヴィスは、執筆するうえで当時の歴史的状況を調べた、といっていますが、ミランが問題にしたのは、そのようなステレオタイプな表現をあえていま書くという、その姿勢でしょう。そこに作家自身の差別意識が隠されてはいないか、そして、それを書くことによって差別を再生産していないか、ということです。
 そういった作品にたずさわる白人のなかには、グリムショウのように、差別意識をかいま見せる者もいるのでしょう。
 ミランへの処罰に「わたしたちは謝罪してほしかっただけだ」と語ったデイヴィスですが、ロマンス作家協会への訴えでは、ミランを協会から排除することをもとめていました。
 ロマンス作家協会は、差別する側もされる当事者も、みずからのなかにかかえこんでいるのです。

▼協会の対応

 予想外に拡大した騒動に対し、ロマンス作家協会は次々に対応策を打ちださざるをえませんでした。
 まず、ダイヴァーシティのために、外部の有識者をコンサルタントに招くことを発表します。

(ロマンス作家協会、ダイヴァーシティや平等や多様性の受け入れのために外部のコンサルタントを雇う)

 しかし、批判は協会の運営体制そのものへも向けられていました。
 それを受けて、協会は思いきった発表を行ないます。
 ロマンス界最大の文学賞であるRITA賞を、今年は開催しないことにしたのです。
 協会が公正に賞の運営を行なえるかについて疑義が呈され、参加者や投票者が減っていたためです。

(2020年のRITA賞のありかたについて)

 さらに、大手出版社がロマンス作家協会の年次大会への支援を引きあげるにおよんで、協会の会長ら幹部が辞任を発表します。

(出版社が年次総会から降りるのを受け、ロマンス作家協会の会長と事務局長が辞任)

 人事刷新まで発表したロマンス作家協会ですが、作家たちのなかには、協会を離れ、べつな組織を作る動きもあります。

 不幸な形で表面化したロマンス業界の差別に関する議論は、作家協会のありかたを揺さぶる問題に発展しました。
 解決がつくようなことではないのもたしかですが、そこには作品全体の質を向上させていくヒントもあるのではないかと思います。議論のための議論にとどまらず、すこしでも建設的な方向へ事が動いていくよう見守りたいところです。

[斜めから見た海外出版トピックス:第31回 了]


PROFILEプロフィール (50音順)

冨田健太郎(とみた・けんたろう)

初の就職先は、翻訳出版で知られる出版社。その後、事情でしばらくまったくべつの仕事(湘南のラブホテルとか、黄金町や日の出町のストリップ劇場とか相手の営業職)をしたあと、編集者としてB級エンターテインメント翻訳文庫を中心に仕事をし、その後に法務担当を経て、電子出版や海外への翻訳権の輸出業務。編集を担当したなかでいちばん知られている本は、スペンサー・ジョンソン『チーズはどこへ消えた?』(門田美鈴訳)、評価されながら議論になった本は、ジム・トンプスン『ポップ1280』(三川基好訳)。https://twitter.com/TomitaKentaro