第2回 禁書をめぐって
▼禁書とは
アメリカ図書館協会が、昨年2016年に禁書の申し立てを受けた本のトップ10を発表しています。
「禁書」というと、「発禁本」とか、そういう言葉を思いだしてしまいますね。
しかし、この「禁書=banned books」は、発禁処分のように、行政から出版が差し止められることを意味するのではなく、すでに市場に流通しているのに、抗議を受けた本を指します。
図書館に対して、「この本を置くな」という申し出が寄せられたり、よくあるのは、学校が指定した課題図書について「これは子供に読ませるべきではない」と保護者がいいたてるケースです。
先にあげた「発禁」が、お上が自分たちに都合が悪い出版物を取り締まろうとしたり、公共の秩序などを理由に規制をはかることが多いのに対し、禁書はおもに市民の側がチャレンジを起こす、という点がポイントです。
社会全体としては出版の自由が保証されているはずですが、それを享受する側の民衆が特定の本について規制をもとめる、という、ねじれた構図です。
さらに、どこかでこういう本に対して禁書をもとめるチャレンジがあった、と報道されると、それが他の地域にも飛び火して、影響が広がることもあったり、行政や政治家を動かす結果になったりと、そういう意味では政治運動化しがちな、厄介な問題でもあります。
▼禁書チャレンジを受けた本たち
アメリカの図書館協会には、「知的自由のための部署(Office for Intellectual Freedom)」があり、全国の図書館や学校における禁書の動きをモニターしているのですね。
その結果をもとに、毎年、禁書チャレンジを受けた図書のトップ10を発表しているのですが、かならずしもすべての動きを網羅しているとはいえず、おおよそのところとして捉えてほしいと協会側は説明しています。
そのうえで、具体的に、昨年(2016年)はどんな本が禁書チャレンジを受けたのか、このリストを見てみましょう。
1位はマリコ・タマキ & ジュリアン・タマキのグラフィック・ノヴェル『This One Summer』。
彼らは、すでに邦訳もある、カナダ出身のいとこ同士のペアですが、本作で問題にされたのは、LGBTキャラクターやドラッグ、冒瀆的な言葉や性表現とのこと。
2位以降も、性的表現にからんでチャレンジを受けた作品が多いですね。
毎年、このリストの常連になっている本には、ジョン・グリーン『アラスカを追いかけて』や、シャーマン・アレクシー『はみだしインディアンのホントにホントの物語』、もっと小さな子供に向けたタイトルでは、デイヴ・ピルキーの『スーパーヒーロー・パンツマン』などがあり、たしかに性についてあからさまに描かれているものが多いとはいえそうです。
たしかに、これらの物語には、性にまつわることがたくさん出てきますし、行儀の悪い登場人物たちがタチの悪い行動をしたりします。
「そのような本は、青少年にはむかない」と考えるかたも、なかにはいらっしゃるかもしれません。不道徳なものは、子供に悪い影響をあたえる、とかね。
しかし、そういう物語だからこそ、同年代の子たちは共感できるのだし、性だって、読者が大きな関心を寄せている事柄なわけで、若者を正面から描こうとする以上、避けてはとおれない、というか、むしろ言及されないほうが不自然な問題です。
若い読者に受け入れられる作品だからこそ、学校などでも取りあげられ、まさにそれが理由で、親から禁書チャレンジを受けてしまう、という構図なのでしょうね。
▼さまざまな禁書
さらに最近では、児童書やヤング・アダルトのジャンルで性的マイノリティを積極的に描く作品が増えていることも、禁書チャレンジの要因となっているようです。今年のリストからは、マリコ & ジュリアン・タマキの作品を筆頭に、その傾向が見て取れます。
自身が性的マイノリティである読者にとっては、自分を認めてくれる本との出会いはひじょうに重要な体験になるでしょう。また、性的マイノリティは、見えにくい場合が多いとはいえ、身近に確実に存在するのですから、それを描くのはきわめてあたりまえのはずです。
ただ、それを受け入れられない人びともいて、それが禁書チャレンジという形になるのでしょう。これはきわめて残念であり、不幸なことです。
禁書の理由は性の問題ばかりではないし、取りあげられる本もさまざまです。
しばらく前までは、《ハリー・ポッター》や《ライラの冒険》といったシリーズが、反キリスト教的だとして槍玉にあげられていました。
さらに、『ライ麦畑でつかまえて/キャッチャー・イン・ザ・ライ』や『カラー・パープル』、それに『アラバマ物語』といった現代の古典というべき作品も、禁書チャレンジの常連です。
なかには、『ハックルベリー・フィンの冒険』のように、現代の目で見れば、人種差別などの問題をふくんだ作品もあるのですが、しかし、このような本が一部の人たちによって、「読むべきではない」とされ、図書館や学校から排除されるような状況を、わたしたちは容認すべきでしょうか。
こうしてあげてきた、みなさんご存じの作品について、読めなくしてほしいと願って行動を起こす人たちが多数いるという事実を、きちんと知っておくべきだと思います。
禁書をもとめる側にも、それぞれ理由があるのでしょう。しかし、「この本は読むべきではない」などと誰かから規制されるのは、自由を妨げられることであり、おかしなことです。
その際には、作品の良し悪しも、関係ないはずです。
なんであれ、読みたいものを読み、自分なりに感じ、考えることができる社会であるべきでしょう。
▼禁書週間
アメリカでは、国をあげての「禁書週間」というイヴェントがあります。
今年2017年は、9月24日~30日の1週間とのこと。
http://www.ala.org/bbooks/banned
「禁書週間」といっても、もちろん禁書を進めようというものではなく、まったく逆で、検閲を否定し、読書の自由を祝おう、という行事です。
国をあげて読書の自由を考える機会があるのはいいことですが、じっさいには、日常的にそれが脅かされてもいるのですね。
アメリカ図書館協会のスローガンは、「言葉には力がある。禁書を読もう」。
今年は英国でも禁書週間を行事として開催するそうですが、日本でも、この機会に読書について考えてみてはどうでしょう。『はだしのゲン』の閲覧制限は、まだまだ記憶に新しいところです。
[斜めから見た海外出版トピックス:第2回 了]
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