近年「LOST&FOUND PROJECT」などの活動に尽力していた写真家・高橋宗正さんが、5年ぶりに作った自身の写真集『石をつむ』。自らのレーベル「VERO」をグラフィックデザイナーの塚原敬史さんとともに立ち上げ、自費出版したこの本をきっかけに、写真集を作ることの意味、そしてどのように売っていくかという現実的な作業に直面したVEROのお二人は、赤々舎代表の姫野希美さん、マッチアンドカンパニー主宰の町口覚さんという写真集出版の先人たちに、改めてその道のりについて徹底的に尋ね、掘り下げていきました。
写真集制作の具体的な工程から、日本と海外での写真集の受け取られ方の違い、そして写真集という存在にこだわるのか。デザイナー・編集者・写真家、異なるそれぞれの立場からの熱い本音が語られます。
※本記事は、2015年8月1日にIMA Concept Storeで開催されたトークイベント「写真集が生まれるところ」を採録・再構成したものです。
※「写真集」をめぐる対話 第1回 高橋宗正×内沼晋太郎「写真家と非写真家のあいだ」はこちら。
【以下からの続きです】
前編:「作品が『自我』や『自己表現』で終わるんだったらつまらない。」
中編:「とにかく本を作りたい。その本作りの中で一番面白いのが写真集なんだよ。」
[後編]
写真集の「業界地図」
高橋:実は今回、町口さんには資料を作ってきていただいているんですよね。
町口:「マッチアンドカンパニー」というデザイン会社を俺はやっていて、「bookshop M」(2005年設立)はそこで作った写真集を販売する会社なんですね。でも昔は写真集を中心に出す出版社はあんまりなかったよね。
姫野:うん、なかったね。
町口:それが90年代前半から、リトルモア(1989年設立)が出てきて、いまはないけど京都の「光琳社出版」(1999年倒産)もあって。それから2000年代になって姫が赤々舎(2006年設立)を設立。俺もレーベルを始めて今年で10年。同時多発的に世界にリトルパブリッシャーが出てきているな、という印象があって。せっかくだから、そういうことを掘り下げてうちのスタッフに簡単にまとめてもらったんですよ。
スタッフ:マッチアンドカンパニーで写真集に携わる仕事をしていると、世界でいろんな写真集を広めている人と出会うことが多くて、そういう経験も踏まえて現状をまとめてみました。
まずは「パブリッシングハウス」(図中左上)というくくり。ここでは比較的多めの部数を発行している出版社を集めています。リトルモア、青幻舎、蒼穹舎などです。この3社は先ほど町口が言ったとおり、80年代から90年代に出版を始めたチームです。マッチアンドカンパニーや赤々舎もこのくくりで、こういった先行出版社との関わりの中からマッチアンドカンパニーも生まれてきたのかなと思います。最近では「スーパーラボ」(2009年設立)や「artbeat publishers」、「Libro Arte」(2006年設立)などが写真集を中心に出版しています。
次は「インディペンデントパブリッシャー」(図中左下)。ここはどちらかというと1年に1冊くらいのペースで、部数も少部数。自分たちが作りたい本を自分たちのペースで出版しています。本屋さんにもそこまでたくさん並ばない、いわばDIY的なパブリッシャーです。ちなみに高橋宗正さんと塚原敬史さんの「VERO」は秘密結社と言われていたので、このくくりではなく欄外に配置しておきました(笑)。
また、写真集を取り巻くプレイヤーには出版社だけではなく本屋さん(図中右下)もいます。まずは写真集を扱う大型書店――例えば蔦屋書店や青山ブックセンター、全国展開しているジュンク堂書店などの存在があります。その一方で、写真集はインディペンデント系のブックストア(図中中央下)とも関わりがあります。「Shelf」(神宮前)、「SO BOOKS」(代々木八幡)など、個人や小さなチームで、自分たちの意思で写真集を扱っているブックストアがあって、写真集にとってはこういう専門書店に来るお客様との関わりの方が深いのかな、と思います。
そして最後は海外の出版社(図中右上)です。例えば「Steidl」(シュタイデル/ドイツ)や「MACK」(マック/イギリス)。こういう出版社の本は直接日本の本屋さんに渡るわけではなく、「ディストリビューター」が入っています。ディストリビューターは海外の出版社とやりとりをして日本の本屋さんに営業していく役割のこと。日本でも「POST」や「twelvebooks」が展示やイベントにも力を入れてディストリビュートしています。
そしてデザイナー。写真集にとっては、とても大きな位置を占めていると思います。
簡単なまとめですが、写真集を取り巻くプレイヤーは姫野さんと町口さんが出会った90年代前半に比べてかなり増えてきていると思います。
初めてのパリフォトは「幸せな交通事故」
高橋:いまの話を聞いていて面白かったのは、海外との関わり。写真集って日本だけで販売されているわけじゃないし、マッチアンドカンパニーも赤々舎もどんどん海外に出て行っていますよね。僕は最初、なぜそこまでして海外に行くのかわからなくて。でも実際に海外でお二人の仕事を見てやっと納得できたんです。
そもそも最初に海外に行き始めたのは何がきっかけだったんですか。
町口:「幸せな交通事故」が起こったの(笑)。俺は英語が喋れないし、最初は興味もなかったんだけど、2008年のパリフォトが「日本」を特集したんだよね。それまでパリフォトのこともぜんぜん知らなかったんだけど、そこで日本の写真を海外に紹介するってことになって。日本の写真集って、世界から見ると不思議な存在なんですよ。だから写真だけじゃなくて写真集文化も紹介しないといけない、ということでデザイナーでパブリッシャーでもある俺に声をかけてもらって。だからパリフォトに出展できたんだよね。そのキュレーターが竹内万里子[★]さん。そういう志のある女性がいて。
★1972年生まれ。写真批評家。パリフォト2008(日本特集)のゲスト・キュレーターを務めた。
姫野:何社か出版社にも声がかかってね。それがきっかけでパリフォトに行って。
町口:「竹内さんが頑張っているんだから応援しなきゃ!」ってね。でも輸送費どうしよう、って(笑)。本は重いし、海外での出展となると英語も喋れないのに対面販売だから神経もすり減るしさ。
姫野:すごくすり減るよね。
町口:そういう課題もあったんだけど、意を決して出展することにして。だから竹内さんのおかげ。そういう「幸せな交通事故」が起きた。そこで体験できたのは、世界のパブリッシャーやブックショップとのコミュニケーション。あとは世界の写真集の見方っていうのかな。そういうものを目の前で見て、感じてさ。なんか「アウェイかと思ってたら、こっちがホームじゃん!」っていう感覚すらあって。例えばみんなが、「この紙はなに?」とか「製本はどうやってるの?」とか、そういうことを聞いてくるんだよね。さっきも言ったように、俺は本を作るのが好きだからさ(笑)。
それに向こうは「写真」と「写真集」の文化がちゃんと分けられているんだよね。
高橋:パリフォトは物理的にも、「写真」を販売するブースと「写真集」を販売するブースが分かれているんですよね。
町口:ブースだけじゃなくて、お客さんの中にも写真文化と写真集文化がちゃんと分けられて根付いているんだよ、さっきの「この紙はなに?」っていう質問みたいに。だからむしろ俺にとってはこっちがホームだなって。
最初はさ、ボクシングじゃないけど、負けてもいいけど試合が終わるまで絶対に立っていよう、っていう目標を持って行ったの。1回目にしては“立ってた”と思うんだよね。でもやっぱりボロボロになるわけよ。初めてで大変なことばかりだったし。だけど終わってみてね、やっぱり海外は写真集に対する意識が高いな、って思い知らされているわけよ。だから1回だけ出展しただけではダメで10年は続けないと、って思ったの。これはとにかく続けていかないと見えるものも見えないんじゃないかなって。それでいまも出展し続けて今年で8年目ですよ(笑)。
海外で感じた「写真集」に対する意識の違い
高橋:海外には「写真集」を見る人がたくさんいますよね。
町口:そういうものへの敷居が低い、というかね。
姫野:さっき言っていた「パリフォトにバギーで赤ちゃんを連れたお母さんが来た」っていう話も、なかなか日本だと珍しかったりするじゃない。私もそういう光景を見て、日本とは違うと思ったし、情報だけじゃなくて、自分の目や自分の好みで写真集を見ようとする人がすごく多くて。やっぱり「成熟」している感じはあったよね。
高橋:初めて行ったときって、「この本は日本の印刷所で印刷したのか」っていう質問もありましたか。
町口:あったよ〜。俺のブースではそういう質問ばっかり(笑)。
高橋:僕もそういう経験があるんですけど、当時からそうなんですね。
町口:やっぱりそういう話になるんだよね。それなら英語が喋れなくてもなんとなく会話になるんだよ。日本の写真家とか、日本の写真についての質問ももちろんあったけど、「本」っていうモノについての技術や、モノ自体への興味。そういうことって、当時の日本だとほとんど質問されなかったんだよ。海外では本の匂いも嗅ぐからさ。
高橋:匂い! 向こうでは普通に嗅ぎますよね。
町口:写真集に対する意識が全然違うんだなって。驚きもあったけど、何より嬉しかったよね。だから「幸せな交通事故」。
デザイナーにとって「この本は俺が作った」という感覚が大きかった
塚原:僕はまだパリフォトに行ったことがなくて。
町口:そういうフェアも世界的に増えているよね。だからどんどん行った方がいいよ。
高橋:VEROではそういう話もしているんです。日本だと匂いまで嗅ぐのは珍しいじゃないですか。それに何より、そういう仕事をしている町口さんや姫野さんが楽しそう。そこで塚原くんに声をかけて、「写真集をお客さんがいるところに持っていかないと」という話をしたんですよ。そうして作ったのが秘密結社「VERO」と写真集『石をつむ』。
町口:『石をつむ』とか、海外に持って行くにはすごくいいじゃない。この写真集の紙、「フロンティタフ」でしょ?
塚原:そうです。
町口:そういうの、やっぱり見るとわかっちゃうんだよね。フロンティタフでこの判型でこのページ数なら最高だよ。頑張れば自分のスーツケースで持って行けるくらいの軽さと判型じゃない。塚原、お前海外での販売まで考えて作りやがったな(笑)。
姫野:そうだよね。和綴じっぽい製本の感じとか。
塚原:やっぱり多くの人に手に取ってもらいたいと思うので。
町口:世界に出て感じたのはさ、“二つ目のパスポート”ができるってことなんだよ。自分で本を作る。そういう自負があると、売るときに「これは俺の本だ!」って言えるんだよね。古い考えかもしれないけど、まず出版社があって、編集者がいて著者である写真家がいる。で、そのあとにデザイナーがいる。デザイナーは編集者や写真家の要望を聞いて、それを踏まえて仕事をしてギャラを貰っているわけでしょ。だからできあがった本を、どこかで「これは俺の本じゃない」っていう感覚があるんだよ。本のデザイナーには大抵そういう気持ちがあると思う。だけど自分でレーベルを作って自分で売ってみると、それはもう「これは俺の本だ!」と言うしかないんだよ。だからパスポートなの。その感覚はレーベルを作るまでなかったな、と。だから塚原も世界に出て自分が作った本を売ってみれば感じるんじゃないかな。
高橋:僕たちも以前、津波で被災した写真を展示する「LOST&FOUND PROJECT」で寄付金を集めるためにポスターを作ったんです。そこでゼロからモノを作る楽しさを感じたんですよ。その記憶が『石をつむ』に繋がっているし、町口さんや姫野さんや、他の人の活動も見て、自分たちでお客さんに届ける。そこで良いとか悪いとか、いろんなことを言われるだろうけど、経験も増えるしレベルアップできるんじゃないかって。それにそういう人が増えればもっと面白い写真集も増えてくると思うんです。
今日の話を踏まえて写真集を見ると、いままでと見え方も変わってくるんじゃないでしょうか。みなさん、今日はありがとうございました。
[「写真集」をめぐる対話・2:高橋宗正×町口覚×姫野希美×塚原敬史「写真集が生まれるところ」 了]
構成:松井祐輔
(2015年8月1日、IMA Concept Storeにて)
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