第22回 お疲れ様です、お世話になっております。よろしくお願いします。
先日、学生の頃熱心に読んだ、ある海外の研究者の書いた本が大きく改訂されたということを聞いて、久しぶりに読み直そうと思い購入した。
改訂版なので当然、タイトルも著者も私が読んだ頃と同じままなのだが、当時とは装丁が全く異なるため、懐かしいというよりは読んだことの無い新しい本を手に取ったという気持ちが強い。そんな気持ちのまま表紙をめくると、冒頭に「愛する◯◯に捧ぐ」と書いてあったのを見て、初めてこの本を手に取った時にこの言葉を読んだ時の自分の気持ちを思い出した。
私はその時まで出版物という言わばパブリックな場所で、家族に感謝を示すという個人的な想いが出ているものを読んだことが無かったため、かなり驚きがあった。普段の仕事以外で本を書くには、執筆のために膨大な時間を捻出する必要があることは容易に想像できる。
そして、そのためにはきっと家族は様々な配慮や負担をしてきたはずだ。著者はこのことを考えていたからこそ、本の冒頭で真っ先に家族に感謝を伝えておきたかったのだろう。本来はそうあるべきではないと分かっていながら、家族に対して面と向かって感謝を述べる機会などなかなか無い私にとっては、こういった形で感謝を伝えられることを羨ましく思ったものだ。
そもそも誰に対してでも「人への感謝を文章で伝える」ということは、自分にとってはとても珍しいことであり、中々できないことだと思っていたのだが、いつの間にか普段当たり前のように書いていることに気がついた。
それは皆さんにも馴染みがあるかもしれない「お疲れ様です」「お世話になっております」で始まり、「ありがとうございます」を挟みながら、「よろしくお願いします」で終わる文章、そう、Eメールのことである。
私にとっては、こういった言葉の連なりによって書かれるEメールは、もはや当たり前のものになってしまったのだが、先日学生から届いたEメールの中に「お疲れ様です」という言葉が入っているのを見た時、違和感を覚えてしまった。
もちろん彼ら自身は、マナーとして敬意や感謝、丁寧さを伝えるために、敢えてこういった言葉を使って私にEメールを送ってきてくれたのだと思う。それは分かっていながら、何故私は違和感を覚えてしまったのだろうか。
そもそも私自身も、いつからEメールでこのような言葉を使い始めたのか思い出せなかったので、自分のEメールのログを見てみたのだが、どうやら就職して会社で働き始めてから徐々に使い始めているようだ。これまで誰かに教わった記憶が全く無いので、おそらく日々の仕事で社外の人とやり取りをする中で自然と「ビジネスの現場ではどうやらEメールとはこのように書くものらしい」という新しい常識を手に入れて、「お疲れ様です」と書くようになったのだと思う。当時の自分のEメールを読むとどこかぎこちなく、先ほど私が違和感を表明した、学生からのEメールを読んだ時と全く変わらない印象がある。
Eメールの冒頭に書かれる 「お疲れ様です」という言葉は、形式的な挨拶ではあるが、送信先である仕事相手と「お互い仕事で大変ですが…」と了解を取り合った後に本題の話に入っていく合図のような役割を持っているように思える。だからこそ学生がEメールの冒頭で「お疲れ様です」と書いていた時に、彼らがまだ経験したことの無い仕事の現場に無理して入ってきているような気がして、違和感を覚えたのだ。
そういったことから考えると、同じ言葉でも誰しも同じような印象を与えるわけではなく、言葉を使う側の年齢や経験に伴う風格のようなものがあって初めて、言葉がその人にしっくりくるということなのだろう。
そして、その風格はいきなり身につけられるようなものではない。最初は似合わないと笑われながらも背伸びして諦めずに使い続けてきた結果、言葉は自分のものとして、なくてはならないものになっていく。もし一度笑われたからといって、使うのをやめてしまっていたら、二度と身につけるチャンスは失われてしまう。
挨拶も、感謝も、怒りも、喜びも、きちんと伝えたい時、伝えるべき時に伝えられるようになるためには、無理してでも使い慣れておく必要がある。
というわけで、今回の「まなざし」はここで終わりです。ここまで読んで頂いて、ありがとうございます。それでは、また次回の「まなざし」でお会いしましょう。
[まなざし:第22回 了]
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