COLUMN

田内万里夫 SUB-RIGHTS

田内万里夫 SUB-RIGHTS
15: The Death and Life of Bobby Z

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海外の本を自国で刊行する翻訳出版には、契約を成立させるための業務を担う「版権エージェント」という職種がある。このテキストは、一般社会ではあまり聞き慣れない職種「版権エージェント」の仕事、またそこから見聞きすることになった知られざる翻訳出版小史を伝える自伝的小説になっていく予定だったが、どうだろうか。連載タイトルの「SUB-RIGHTS」とは、著作権の二次的使用を意味する用語である。日本と海外の架け橋となったスコットランド人の版権エージェント、師であったウィリアム・ミラーへ追悼の念を込めて書き綴っていく。
※この物語は、概ね事実を元にしていますが「フィクション」です。登場する個人名・団体名の一部は架空名、もしくはプライバシー保護の観点から仮名にしています。
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 「え、なんですって? ヤレ本がそんなに届いた!? 売り物にならない? なんてこっちゃー!」
 朝っぱらから、受話器を握りしめた三輪さんが大袈裟な身振りで騒いでいる。
 クノップフ社といえばアメリカ最高峰の出版社だが、そこからもうすぐ出されるアポロ計画の秘蔵写真を集めた大型本の企画があり、その日本版の出版準備が新潮社とのあいだで密かに進められている。日本版のみならず、フランス版、イタリア版、ドイツ版、韓国版……、その他できるだけ多くの国々でタイミングを違えず「世界同時出版」という謳い文句で、一大イベントとして売り出される予定の写真集が大詰めなのだ。1969年、人類史上初めて月面に降り立った宇宙飛行士ニール・アームストロングとバズ・オルドリン――そして残念ながら月面のふたりとともに自分自身も地球への生還に導くために月の軌道上を回る宇宙船に留まりパイロットとしての任務を全うしたマイケル・コリンズ――の宇宙での雄姿、三人の乗った宇宙船アポロ11号の様子、もしくはその内部から真空の宇宙に向けられたカメラレンズの収められた貴重な写真のコレクションが贅沢で芸術的なプリントとなってまとめられる、まさに鳴物入りの一冊だ。
 日本における出版パートナーとしてその写真集の翻訳出版権を取得している新潮社と、権利者であるクノップフ社の日本における代理店であるフィーロン・エージェンシーとのあいだではこの数週間、刊行に向けた細かな最終準備が、緊張感を持って進められてきた。
 フィーロン・エージェンシーでは一番のベテランである副社長の三輪さんが満を持して担当している企画だ。この件に限らず対外的な責任や話題性が大きく、また重要度の高い企画であれば、そこは三輪さんが受け持つというのがこのエージェンシーにおける暗黙の了解だ。今回は特にクノップフ社に新潮社という、米日それぞれを代表する屈指の出版ブランドが競演となる大事業ということで、当然のことながら三輪さんが華々しく活躍する舞台となる。
 華々しく、といっても版権エージェントは翻訳出版の裏の、さらにそのまた裏を預かる仕事だ。そんな日の当たらない場所で汗をかきたがる人などそもそも多くはない。できることなら汗などかかず、成果だけを人知れずさらりと手にしたい。実務なら右から左へと要領よく流していくことが、むしろ手腕として評価されるという中間業者の世界である。だからこそ今回のようなトラブルの予兆があれば、そのことを大袈裟すぎるほど大袈裟に、相手方のみならず社内の同僚を含む現場の目に、しっかり示そうとてしまう悲しい習性も生まれる。少なくとも僕が入社後の一年を通じて目にしてきた版権エージェントの世界には、そのような一面があるように思える。できることならこっそりと、まるで危ういことなどひとつもなかったかのように事を治めてしまいたいところだが、綱渡りのうまくいきそうな話ばかりではない。翻訳出版権の権利者、そしてその翻訳版の出版社という二者のあいだでバランスを保ち、どちらの要望も等しく汲み取りながら事を運び切らなければならない。なんらかのトラブルが起これば、版権エージェントのコミュニケーションのエラーによる不手際の結果として責任が圧し付けられてくることだって珍しくはない。
 今回の『フル・ムーン』はあの新潮社が総力を挙げて売り出すことが既に決まっている。日本語版の解説は大御所、立花隆だそうだ。一冊あたり5000円もする豪華本で、初版も1万部と大きい。それだけで5000万円の出版企画である。珍しいのはこの本の各国版がすべて、唯一認められたイタリアの印刷所で同時に作られることになっているという点だ。月面、そして宇宙空間での写真をできる限りの迫力で再現するため、イタリアの印刷会社がこの本のためだけに開発した「ルナ・ネロ(月の黒)」という特色の黒(印刷用語では「スミ」ないし「墨」)を用いて刷られることが出版の条件となっているのだ。美術印刷ではイタリアが群を抜いて素晴らしいということらしい。その特別な墨で印刷された写真のページは確かに目を見張るほどの出来栄えなのだそうだが、なにしろ造本にちょっと難があるのだと言う。紙の白が目の邪魔をしないように、写真ページの地が黒くデザインされているのだが、造本に雑なところがあり、本の「のど」、つまりページを開いた際に中央にくる各ページの根本の部分の糊付けがやや甘く、大きな写真をバッと開こうとすると接着部分が割れて白い紙の地が破れたように現れてしまうものが検品で少なからず見つかったのだそうだ。
「日本の読者は神経質だから、そんなのあったら一発でクレーム、返品よ、フンフンフン、代わりをよこせと言われても部数には限度があるし、これは確かに困ったわ……」と、三輪さんが頭を抱えている。「おまけにピザのかけらがページのあいだに挟まっていたのもあったらしいわ。チーズやサラミとかかな? 困っちゃうわ。イタリア人てそんな?」と、困り果てた様子だ。ピザのかけらはさすがに大袈裟だと思うが、パンくずでも見つかったのだろうか。とにかくはるばる輸入され届いた本のうちへたをしたら二割程度が日本の基準では流通に適さない仕上がり、との検品結果らしい。解説の日本語ページが上下さかさまに綴じられている本さえあると、新潮社から冗談のようなきついクレームさえあったという。「いくらイタリア人だから日本語を読めないといってもねぇ……」と、三輪さんは今にも泣き出しそうだ。
「ダメな分だけ、新しい本を急いで送ってもらえばいいんじゃないですか?」と、僕は頭に浮かんだ単純な解決策をぶつけてみる。
「いやぁ、そんな簡単な話だったらいいんだけどねぇ……」と、三輪さんは顔を更にしかめる。「そもそもこの本、たしか10ヶ国とかそんな、もしかしたらもっとかな? それだけの国で出される分を一度にまとめて印刷することになってるからね、フンフンフン、そう、それぞれの言語で書かれた解説ページのとこだけ、フィルムを入れ替えて別々に製版するんやけど……。え? なんでって、一度に大量に刷れば安上がりにできるやんか。特にこの本みたいに印刷にお金のかかる本は、ちょっとだけ刷るっていうとコストがドーンと高くなっちゃうわけよ。わかるかな?」
 つまり日本だけなら1万部のところ、例えば10ヶ国分で10万部、まとめて作ることで製造コストをできるだけ圧縮し、そうして販売価格をぎりぎりまで抑えたうえで採算に見合う出版を実現するということらしい。本国での出版計画を立てる時点でその他各国の出版社を予め募り、部数の総量を積み上げることでコストをできるだけ軽くする算段を付けてから、初めて可能になる出版方法なのだという。
「コープロ(coproduction)とか、コエディション(co-edition)とか言うけどね、直訳すればつまりは共同出版よ、フンフン。だから日本の不足分だけをちょっと刷り増してもらうとか、そう簡単にはいかないんよ。困っちゃう」
 翌日になり、重量感のある大きな段ボール箱がふたつ、フィーロン・エージェンシーの事務所に届く。検品で弾かれた不良本のサンプルがぎっしり詰まっている。さっそく応接室のテーブルのうえに積み上げ、付箋の貼り付けてあるページの状態を確認する。社長のフィーロンさんも落ち着かない顔で、その様子を覗き込んでいる。このコープロ企画の幹事会社になっているクノップフ社の担当者に、すぐに仔細を報告しなければならない。本の喉の糊付けや表紙の角の凹みなど、一冊ずつ問題点をリストしていく。綿密で手間のかかるレポートを英語で作らなければならず、フィーロンさんの手が当然のことながら必要になる。
 ページの見開き部分に真っ白い銀河のようなひび割れが出現しているような本もあって、これは確かに大変だ。でも墨の印刷がほんのちょっとはがれただけの、それこそ宇宙の果てで瞬く星くずみたいな小さな破れなどクレームを怖れるほどでもないだろうと思う。
「五等星くらいなら見過ごせるけど、三等星以上は確実にダメね」と、学術書担当の孝子さんがメガネを持ちあげる。
「でもこの程度だったら、買った人も別に文句なんて言わないんじゃないですか?」
 ほつれて飛び出た綴じ糸を指差しながら、なんの気なしに振り向くと、いつの間にか見物しにやってきた絵本担当の窪田さんがなんとも言えない顔をしている。
「ほら、先月わたしボローニャに行ってきたじゃない?」
 ボローニャでは毎年5月に児童書に特化したブックフェアが催されている。「で、帰りの空港のギフトショップに絵本の安売りコーナーがあったから、一緒にいたポプラ社の人と、一冊なんの気なしに手に取ってみたわけ。イタリア語なんて読めやしないんだけどさ」
 読めなくても、なんとなく話が分かるのが絵本のいいところなのだとか言いながら、モグラのキャラクターが地上の世界を冒険する数ページの物語のあらすじを、藪から棒に話しはじめる。おいおい、月はモグラじゃなくてウサギでしょう?
「……ところが、ページごとにそのモグラや服、森の木々の色味なんかが、ちょっとずつ違うのよ。いや、設定上はおなじ色に決まってるんだけど、折ごとに印刷やインキのコンディションが微妙に違ったりしたんじゃないかな? まあ、安い本だしね。話を追うぶんにはまったく問題ないんだけど、それを見たポプラ社の人が、こんなの日本で売ったら大変なことになるって頭を抱えちゃって……」
 たたき売りの本だろうがなんだろうが、そのような仕事を絶対に許してくれないのが日本の読者であり消費者なのだと、これまで経験してきた数々のクレーム対応について編集者から延々と、搭乗を待つあいだずっと苦労話を聞かされたのだそうだ。
「もちろん、そんな読者ばかりじゃないんだけどね。でもなかには完璧主義者っていうか神経質っていうか、ちょっとの誤差も認めないというような人も結構いて、これがまたうるさいみたいでさ。絵本のコープロなんていつだってドキドキよ。海外ではオーケーでも日本では断じて許されない、みたいな独特の基準がこの国には、なんかあるのよ……」
 目の前で次々と開かれていく大判の黒い本の山を眺めながら、やっぱりそういうものなのかと、幼いころから苦手だったこの社会の息苦しさが甦ってきて呼吸が浅くなる。あの1ミリに満たないわずかな破綻を大問題とする人々が、この地球という惑星のユーラシア大陸の端っこの小さな島に、無視できないほど存在するのだ。
「でもまあ、それが仕事ってものだからね」と、彼女はまるで当たり前のような顔で言い放つ。世間の常識のようなものを、口うるさいというほどではないが折々に触れ持ち出してくる、いかにも中間管理職風なのがそういえばこの窪田さん、フィーロン・エージェンシーでは二番目のベテラン・エージェントだ。彼女の大切にする社会常識がこちらに欠けていると見破るや、入社したての僕の教育係を一瞬で放り投げた人でもある。

 酸素欠乏に陥った僕は応接室をそそくさと逃げ出し自分のデスクへと帰還する。その途中、受付デスクに詰まれた届いたばかりの文庫本が目に入る。カラフルな表紙にウエスタン調の英語フォント、ポップなイラストがウィンクしている。『ボビーZの気怠く優雅な人生』という、なんのこっちゃ分からないタイトルが気分転換にちょうど良さそうだ。なにしろ手頃な薄さだ。目を見張るような写真が印刷されたつるつるの高級紙も良いかもしれないが、一目見ただけでは何が書かれているのか分からないこの文字で埋まったざらざらの紙の手触り。大型の豪華本の重厚さに圧倒されたあとでは、こういう手軽そうな本がまた光って見える。いつもどおりなら余分が二冊は出るはずなので、遠慮なく一冊拝借する。翻訳版の角川書店から本国アメリカの権利者への献本、いわゆる見本だ。コンプリメンタリー・コピー(complimentary copy)やグラティス・コピー(gratis copy)と呼ばれたりする。
 デスクについてさっそくページをめくると、パーティションの向こうの騒ぎが遠ざかる。はるか宇宙のトラブルもこの地上までは及ばない。
 ドン・ウィンズロウ、初めての著者だ。
「ティム・カーニーがいかにして伝説の男となったかという顛末を、ここに記そう。」
 ……なんという堂々たる書き出しだろう。著者はふざけたやつに違いない。だがそんな著者に弄ばれるのはどちらかというと嫌いではない。と思ったら次の行ではさっそくそのティム・カーニーが巨漢のヘルズエジェルを血祭りにあげるシーンだ。舞台はどうやらカリフォルニアのとある刑務所、ということらしい。
 気になってコピーライト表記を確かめる。仕事を覚えて一年で、もう軽度の職業病を患った。「Japanese translation published by arrangement with Alfred A Knopf Inc.」とある。てことは、今あっちで大騒ぎしている『フル・ムーン』とおなじクノップフ社の本じゃないか。人をおちょくるような顔のこの本も、アポロ11号と同じくあのアメリカ最高峰の大気圏を見事に突破したということか。
 それにしてもページをめくる手がとまらないとは、まさにこのこと。
 早めのランチに出るふりをして本を片手にオフィスを抜け出し、またカリフォルニアの刑務所へと舞い戻る。流れているのはイーグルスのあの曲だ(本にそう書いてある)。底辺育ちのコソ泥で、海兵隊あがりのティム・カーニーが、悪辣そうな刑事から一か八かの司法取引を持ち掛けられている。獄中殺人を犯したことで刑期は死ぬまで延びるだろうし、しかも殺した相手があのヘルズエンジェルなのだから、どの刑務所に移ったところでそいつの仲間がうじゃうじゃいるに決まっている。生きる道をすっかり断たれた格好の、まさに八方ふさがりの状況だ。月面からの生還も一筋縄ではいかなかったはずだが、こちらのコソ泥の追い込まれた窮地だってその生存確率という点では大差はなさそうだ。……ということで、ティムは司法取引を受け入れるほかない。
 ――という第一幕を皮切りに、話はどんどん加速していく。
 メキシコ国境ぞいの砂漠を逃げ惑ううちにあやうく仕事を忘れかけていたのに気付き、オフィスへと駆け戻る。あの大騒ぎはまだ続いている。
 この調子だと今夜はフィーロンさんからバーに連れ出されることもなさそうだ。必要なことだけぱぱっと片付け日が傾きかけたころ、ティムと一緒に今夜の待ち合わせに向かうことにする。知り合って間もないギタリストのゾイ君から誘われて、来日中のデヴィッド・マンキューソのイベントに出かけることになっているのだ。
 地下鉄に乗って『ボビーZの気怠く優雅な人生』を取り出し、ページをめくる。
 乗り換え駅をうっかり乗り過ごした電車を逆戻りしたりしながらどうにかたどり着いた待ち合わせ駅の付近で喫茶店を探す。ドトールコーヒーに席を見つけて、再びページを開く。ゾイ君と落ち合うまでに、まだ90分ほど余裕がある。
 ストーリーの面白さもさることながら、これまで体験したことのないほどのテンポの良さと独特なノリとを兼ね備えた圧倒的な語り口が渦を巻いてすさまじい引力を生み出している。次から次へと繰り出される言葉のジャブを一発残らず浴びながら、しかしちょっと待てよ、これ翻訳だよな、と我に返る。表紙をひっくり返すと「東江一紀」と、その名が記されている。「ひがしえ……」って読めばいいのかな? 巻末をめくると「あがりえかずき」とルビが振られている。何者なのだ、この人は?
 比類なき天才。まさにそんな言葉がぴったり当てはまりそうなカリフォルニアの若き麻薬のカリスマが、シルクのジャケットを着た脂ぎったメキシコの麻薬王から絶対に奪ってはいけないものを奪った。死あるのみ。それがボビーZの運命だ。主人公のティムはといえば貧困のなかで破れかぶれに育った二十代の若者で、まるでアメリカではそれが当然の帰結であるかのように兵士にされて戦地へと送り出される。アメリカが地球のどこかで戦争をしていなかったことなどほぼないはずだが、この物語のなかでは1990年代の湾岸戦争がその舞台だ。ブロードキャストされたあのテレビゲームのような空中爆撃の映像の足元には、暗闇のなか命懸けで駆け回る両国の兵士たちがいた。もちろん。バグダッドの罪無き市民たちだっていた。その爆撃のなか瀕死の仲間兵士たちを救出したのが、チンピラあがりで怖れ知らずの(というかやけっぱちの)の海兵隊伍長、ティム・カーニーだ。だが帰国すれば、これもまた貧しき人の運命だと言わんばかりにコソ泥生活に逆戻り。勲章などただの飾りとばかり、結局は檻のなか。幸であり不幸であるのは、そのティムが、あの伝説のボビーZと瓜二つの容姿であったということ。よからぬ企てをする刑事により身代りに仕立てられ、メキシコの麻薬王との取り引きに使われる――。
 一気に読み終えたところで汗をぬぐい、携帯電話に目をやると、待ち合わせのゾイ君が僕のことを探していた。
「マリオ君の姿がどこにもないから、すっぽかされちゃったのかと思ったよ。ほい、これ、チケット」
 デヴィッド・マンキューソと言えば70年代の初頭から、人種やセクシュアリティの異なる人々に対してドアを開いたことでニューヨークのクラブ・シーンを一変させた伝説的なパーティー「The Loft」のレジデンスDJだ。音楽とダンスとで偏見と憎悪から人類を解放しようと試みた、……というと笑う人もいるかもしれないが、要はガンジーにとっての糸車がマンキューソにとっての12インチという解釈で良いのではないだろうか。その手から紡がれる大音量のダンスミュージックが、びりびりと気持よく、ゆるく、空間を押し広げていく。
「ほら、マンキューソってヘッドフォンもなにも使わないで、ただレコードそのまま繋げていくだけなんだよね」とゾイ君がDJブースを指差す。「絶対に、耳がものすごくいいんだよな」
 汗でびしょびしょの僕たちは熱を帯びるフロアを逃れ、エントランス付近のラウンジに酸素と冷気を求める。
 音楽の話題から互いの映画や本の趣味など、とりとめもなく話が転がる。エルロイのあのLA四部作がとにかく最高なんだとゾイ君が、なにかにぶっ飛んだような目で唾を飛ばして語りだす。
「そういえば……」と、僕も話を切り出す。「今日はじめて読んだんだけど、ドン・ウィンズロウっていう作家がいてさ」
 一晩たっぷり遊んでその別れ際、昇りかけの朝日のなかで、読み終えたばかりの『ボビーZの気怠く優雅な人生』をゾイ君に回す。
 翌日、昼食をむさぼっていると携帯電話が振動する。
「ウィンズロウ最高でした! それにしてもあの文章、ヤバイね!」
 ゾイ君は作家を必ずファミリーネームだけで呼ぶ。じゃなきゃファーストネームだけだ。ミュージシャンを語るときもおなじだ。なぜかそのあたりにギタリスト的な性格を感じる。さておき、僕はさっそく自社の取扱い作家に読者をひとり増やしたことで、良い仕事をしたと悦に入る。すると直後また電話が震えて追伸が届く。「ていうかあの翻訳家、彼がヤバイのかもしれない」
 我が意を得たりとはこのことだ。

 魂の洗濯を終え週が明け、またフィーロンさんといつもの酒場。
『フル・ムーン』はまだ片付いていないが、やることをやってしまえば、あとは運を天に任せるほかない。「まあ、これでうちが責められるってことは、フンフンフン、なんもないと思うわ。でも新潮社は予定が狂って大変やろねぇ。……ところであの件、どうなった? あの件ってあれよ、あの本、なんだったっけ?」と、三輪さんはまた小走りで忙しなくどこかへ出かけてしまった。
 世界を牛耳る英語世界における出版の最高峰であるクノップフ社がなぜうちの独占的クライアントなのかと言えば、それは同社の社長、伝説の編集者、ソニー・メータがフィーロンさんの古馴染だからだという理由が大きい。60年代終盤のロンドン、グラナダ社時代のフィーロンさんのもとに飛び込んできた、キャリア2年目の若き後輩編集者こそソニー・メータその人だった。「彼に教えるべきことなどひとつもなかった。勝手に素晴らしい編集者になっていった」とフィーロンさんは遠い目をして煙を吐き出す。ソニー・メータもヘビースモーカーとして、そして酒飲みとしても有名だ。以来、彼らは親友であり、ビジネスパートナーとなった。ニューヨークに渡ったソニー・メータは間もなくアメリカでも国と時代を代表する比類なき文芸編集者として名を轟かせていく。眉間に深い皺を刻んだインド系の、一言でいえば大天才だ。
「そのソニー・メータがサインした著者の移籍一発目っていう本、置いてあったからさっそく読んだんだけど、あれヤバイっすね、フィーロンさん!」
 『ボビーZの気怠く優雅な人生』はドン・ウィンズロウのクノップフ移籍後の栄えある一作目の小説だ。デビューはセントマーティンズ・プレスという大衆色の強い版元から出た『ストリート・キッズ』という少年探偵のシリーズだが、ハードボイルドとのクロスオーバーみたいなところもあって、日本では東京創元社から出ているようだ。そのシリーズを訳しているのもあの東江一紀ということだが、ウィンズロウという作家については並々ならぬ思いがあるらしい。訳者が遺したエッセイや訳書のあとがきなどにあれこれいろいろ書いてあるから、興味があれば探して読めば良いと思う。ちなみにこの話をしている1999年の時点では、東江一紀は存命どころかばりばりの最盛期で、絶好調に脂の乗り切った仕事をしている真最中だ。
「……ところでフィーロンさん日本語読まないから分からないかもしれないけど、あの本、翻訳がとにかく信じられないくらい上手いんだよ。アガリエカズキって、聞いたことある?」
「おー、ミスター東江か! もちろんだとも。もちろんだ。翻訳文芸の宝だな」
 興味あるなら新潮社の若月さんにでも訊いているといい、仲良いはずだ。紹介してくれるかもしれないぞ、とフィーロンさんはワイングラスを傾ける。煙草もふかす。もしくはその『ボビーZの気怠く優雅な人生』の版元の角川の立浪さんでもいいだろうし、誰だっていい。東江さんのことを知らない翻訳出版業界の編集者など、日本にはひとりたりともいないのだから。
 数日後、三輪さんについて出かけた光文社との会食の後、抑えの利いた明るいブルーのジャケットがダンディーな編集者からバーに誘われる。最近読んだ文庫で面白かったものとして、あの本の話題をおそるおそる持ち出す。斜めに座る編集者は目を細めてカクテルグラスを傾けながら、「あぁ」と微笑をこぼす。この人が笑ってくれるとホッとする。いつでも高級そうなジャケットを羽織り、読んでいない本などないのではないかというほど、いかなるジャンルの本や著者につても知識があり、こちらが迂闊なことを言えば、その目を静かに鋭く光らせる。
「東江さんて締め切りを一度も落としたことがなくて、一切赤の入らない完璧な原稿を送ってくる人だって噂に聞いたんですけど、ほんとにそんな人いるんですか?」
 ふふ、と編集者はまた笑う。
「まあ、俺は東江さんとの仕事が少ないからなんとも言えない。でも、俺はおかしいと思えば赤入れるけどね」とはぐらかしながら空になったグラスを持ち上げ、違う声で「ハイランドパーク、ロックで」とバーテンダーを威圧する。バーテンダーが即座に集中力を取り戻す。「でも確かに、東江さんの原稿なら、受け取ったらほとんどそのまま本になるだろうな。こっちはページ数とかあるから文字組の調整をするくらいでさ。……でも、あんな人を基準に物事を考えちゃダメだよ」
 分厚い一枚板のカウンター越しにうやうやしく差し出されるスコッチ・ウイスキーのロックグラスを静かに鳴らしながら、編集者は本の話を肴に夜が明けるまで飲み続ける。

 ――それからずいぶん時が流れて2012年、あるビジネス書の編集者が「これ絶対読んで!」と社封筒に収めた一冊の本を酒の席に持ってきてくれた。引っ張り出すと『最高の人生の見つけ方』という本だ。ゴルフの聖地、オーガスタを目指す少年を支える黒人キャディの実話とのことだが、大きな夢への挑戦を扱った成長の物語であり、メンターとの触れ合いを描く感動的な作品だという。
「これならうちのビジネス書の読者にも響くかなと思って。……ていうか、検討用にと勧められた原書を読んですぐに東江さんの名前が浮かんだんだよね。ジャンル違いなのは百も承知なんだけど、翻訳書を担当してる以上、いつか一度は東江さんとお仕事させてもらいたいなと思ってたの。ある翻訳者に進められて初めて読んだ『ボビーZの気怠く優雅な人生』っていう本があるんだけど、あの本を読んでやっぱりこの仕事をするうえで本当に磨かなくちゃいけないのは英語の読解力よりも日本語の感覚なんだって気付いたんだよね。もちろん、あの本のお陰でドン・ウィンズロウのファンにもなった。でも翻訳者が違ったらどうだったかな。訳者に恵まれる作家も、恵まれない作家もいろいろいろで、それで運命が分かれちゃうこともあるんだろうね」と、いつもの快活とした顔で冷酒をちょっとだけ舐める。僕にとっては豪快な阪神ファンの姐さんという存在なのだが、実は難病を患ったことで長期の休職を経験した苦労人でもあり、お酒は嫌いじゃないはずだけど自己管理が徹底している。真弓さんというのだが、とにかく言語が好きで本が好き、ピアノで音高まで進んだ音楽家でもあるが、やっぱり本の世界に身を置きたいと言って本を作っているような人でもある。「たまに出版業界の、昔はバンドやってました、みたいなおっさんたちのセッションに呼ばれることもあるんだけどさ、ただ音を出したいだけでリズムもピッチも滅茶苦茶みないな人たちばっかで、私そういうの体調に響くから嫌なんだよね。音程が合ってないと気持ち悪くて酔うんだよね。なんであの人たち平気なんだろう?」と苦笑しながら、東江一紀との唯一の本の思い出話をはじめた。
「病気して職場復帰したあと、もう一度編集者として働けるなら悔いの残らないようにしたい、他の誰かが考えるようなことは他の誰かにまかせて、自分じゃないと作らないような本をやろうと誓ったんだよね。そこにあの本が転がってきたのよ。東京創元社にいきなり電話してウィンズロウの訳者に連絡したいと頼んで、それで東江さんの連絡先を厚かましくも教えてもらったの。直接連絡してもいいって気持ちよく言ってもらえたからドキドキしながら電話して、そしたら3コール目で繋がって、電話口に本人がいたんだよね……」
 自己紹介をして、依頼したい翻訳がある旨を伝える。しかし、2年先まで仕事が埋まっているという気配を感じる。良い原作だから是非、読むだけでも読んで欲しいと頼み込み、半ば強引に原書を送りつけた。わずか数日後に彼女の電話が鳴る。「たしかにそそられる」という東江一紀の声がする。
「それで晴れて依頼できることになったんだけど、そのとき私、東江さんが癌を患ってて、手術後の経過観察期だったなんて、ちっとも知らなかったんだよね。本人もそんなこと言わないし」
 仕上がってきた翻訳原稿は「なんの迷いもなく、狂いもなく、不整合もなく、違和感もない訳文だった」と言いながらグラスを持ち上げた真弓さんの目は潤んでいるように見える。完璧な原稿を前に驚きを隠さない彼女に対し、「訳しはじめてから、一度もページを戻っていないですよ。筆が遅いぶん迷惑をかけないように到達した境地」と愉快そうな声で、東江一紀は嘯いたのだそうだ。
「……実はたまたま、私がこの病気で通院してるのとおなじ、慶応病院に東江さんもかかってたの。それで検査入院してた東江さんの病室にゲラを持って行ったら顔馴染の先生なんかもいてさ。ゲラを渡すついでに好きな落語をCDに焼いてお見舞に持ってったりして……、でも喜んでくれるんだよね。この本が出た年は4回ほど入退院を繰り返して、その2年後に天に召された」
 ボビーZが伝説ならソニー・メータも伝説で、そんな遠くを探さなくてもすぐ目の前に伝説級の人たちがいる。考えようによってはフィーロンさんだってもしかしたらそうなのかもしれない。いつもの丸いワイングラスを片手に『ボビーZの気怠く優雅な人生』の話をした夜だって、「そりゃおまえ、戦争で死ぬような目に合うのはいつだってそういうふうに仕向けられた人たちなんだ」とそのことに憤るばかりで、ワインボトルが空けば空くほど話の筋道は混沌としていくのだが、だからこそ私たちは物の書かれた本を世に送り出していくことでバランスを保つしかないんだと、ほっぺたを震わせながら笑いと怒りの入り混じったような、複雑な表情をしていた。
「良い本をポピュラーに、そしてポピュラーな本を良い本にするんだ! とにかく優れた本を一冊でも多く、楽しく広く読んでもらえるようにお送り出すそうじゃないか」と、いつもの口癖が飛び出す。
 そのフィーロンさんも、まさかこの翌年には僕に解雇を言い渡さなければならなくなるなどとは想像もしていなかったに違いないし、僕もまたそんなことになるとは夢にも思わず、とにかく暇さえあればオフィスの近くの青山あたりに繰り出して、夜な夜な酒をかっくらっていた。世界のバランスについて話し合っているうちに、足元のバランスを失いつつあることにも気づかないまま。

[to be continued…]


PROFILEプロフィール (50音順)

田内万里夫(たうち・まりお)

1973年生まれ。埼玉県出身。版権エージェント(現在はアルバイト)。マリオ曼陀羅の名義で画家としても活動、国内外で作品発表をおこなう。主な展示として『LOVE POP! キース・ヘリング展 アートはみんなのもの』壁画プロジェクト【キースの願った平和の実現を願って】(伊丹市立美術館・2012年)などがある。著作に『心を揺さぶる曼陀羅ぬりえ』(猿江商會)。本書はイギリス、台湾、イタリアでも刊行。訳書に『なぜ働くのか』(朝日出版社/TED BOOKS)。


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「本書は、AI時代における僕たち人間のサバイバルそのものを根源的に問う一冊でもある」解説冊子より
松島倫明(WIRED日本版編集長)