映画『海辺の生と死』
越川道夫監督インタビュー〈前編〉
聞き手・文:小林英治
私小説の極北と言われる『死の棘』を著した島尾敏雄と、その妻、島尾ミホ。他人には理解し難い二人の特別な関係の根幹には、太平洋戦争末期の極限状況下に、奄美群島・加計呂麻島で、出撃命令を待つ特攻艇を率いる隊長と島の国民学校の代用教員として出会った恋の物語がある。後年、二人がそれぞれ描いたその鮮烈な物語を原作に、自身も奄美大島にルーツをもつ満島ひかりを主役にして完成した映画『海辺の生と死』が公開された。奄美大島と加計呂麻島でのロケを敢行し、ドラマティックな物語を包む、圧倒的な生命力をたたえる島そのものを描こうとした越川道夫監督に、原作と映画に込めた想いを聞いた。
島尾ミホの原作との出会い
―――越川監督にとって、今回の映画の原作の一つである島尾ミホさんの『海辺の生と死』は、20代の頃から大切に読まれてきた作品だったそうですね。
越川:『海辺の生と死』と『祭り裏』というのは、本棚の手ですぐ取れるところにずっとある本です。ただ、最初にどうして読んだのか覚えてないんですよ。僕が大学に入るのは1983年くらいで、世の中はポストモダンの時代でしたし、文学だと周囲はちょうど高橋源一郎さんの小説を読むのが主流でした。でも、僕は田舎から上京してきて、当時18、19歳でそういうのがよくわからないわけですよ。それで、増田みず子さんとか、中沢けいさんとか、佐藤泰志さんといった作家たちを読んでいました。そういう読書をしていく中で、戦後文学というものにはやはり興味がありました。庄野潤三や小島信夫、阪田寛夫、島尾敏雄を読んだり、当時の新進作家を集めた「アプレゲール叢書」(真善美社)というので、瀬戸内晴美の恋愛相手であった小田仁二郎を探して読むような。
―――それで島尾敏雄からミホさんにたどりついた感じだったんでしょうか。
越川:ただ、この間、僕の師匠である映画監督の澤井信一郎さんが、ミホさんの作品で映画をやりたがっていたというのをSNSの書き込みで見て、澤井さんから聞いて読んだのかもしれないと思いました。澤井さんと僕は静岡県の浜松という同郷で、17歳の時に出会ってから進学のことも相談するし、東京に来てからは台本も見てもらうようになって、僕は澤井さんに私淑するようになるんです。それで、当時、澤井さんが島尾ミホさんのことを話していて、自分も読もうと思ったのかもしれません。
―――ミホさんの作品のどういったところに惹かれたのでしょうか。
越川:僕らが大学生だった頃から、ガルシア・マルケスとかバスガス・リョサといったラテンアメリカ文学が比較的手軽に読めるようになって、その後であればさらにクレオールというものが僕らに読みうるものとなり、僕にはとても面白かった。それは、それまで読んできたヨーロッパを中心とした小説とはシステムが異なるものだったからかもしれません。映画だったら、中央アジアの映画、パラジャーノフやゲオルギー・シェンゲラーヤ監督の『ピロスマニ』といったものにものすごく惹かれてくというのが個人的にはあって。僕はミホさんの文学をクレオール文学のように読んでいたかもしれませんね……。そういったものと同じような意味で、島尾ミホさんの小説やエッセイというものが、僕にとって大事な意味を持っていたかもしれません。
―――ヨーロッパ中心のシステムと別のものが奄美の世界にもあったと。
越川:でも単純に『海辺の生と死』も『祭り裏』も素晴らしい本ですからね。小説集の『祭り裏』が早く復刊されるといいと思っています。
二人の物語を女性視点で描く
―――映画『海辺の生と死』は、島尾ミホが書いたものとしては「その夜」(『海辺の生と死』収録)、島尾敏雄の小説なら「島の果て」や「出発は遂に訪れず」などで描かれた、終戦間際の二人の物語が軸になっています。ただ、タイトルが『海辺の生と死』となっているように、奄美という島そのものが主役になっている映画だとも思いました。
越川:ちょっと図式的めいてしまいますが、僕にとってはこの映画を作る上で、《子ども―トエ―不在の母―島》というものをひと続きのものとして考えていくということが重要だったと思います。それは多分、戦争というものにどう対峙していくかを考えたときに、それはより明確になっていった主題だと思います。
―――その描き方として、満島ひかりさん演じるトエの側から、つまり女性視点で描くということは大きいですね。
越川:天の邪鬼なんです(笑)。視点をひっくり返したい。片側だけからしか物事を見ないというのにどうしても違和感を感じるところがあって、できれば一つのことを複眼に見たいっていう欲求が強いんです。それは『ゲゲゲの女房』(プロデュース作品)もそうなんですが、要するに水木しげるそのものを主人公にするのではなくて、奥さんの側から描く。ただ、今回は満島さんが主演ということもあって、それは必然的にトエの側、つまり島の側から描くことになりますから、島そのものが描けなければ成り立たないと最初から考えていました。
―――今回、脚本監修をされた梯久美子さんが著した島尾ミホの評伝『狂うひと』も、夫に書かれる側であったミホを、ミホ側からの視点で覆すという試みであると思いますが、その視点は共感されるところがありましたか。
越川:映画が動き出した頃はまだ雑誌に連載中でしたが、すごく共感しながら読んでいたと思います。スキャンダラスな部分も含めて、それまであった島尾敏雄・ミホ像を本当にひっくり返していると思いました。これからの島尾敏雄研究をする人にとって、ある種「踏み絵」となるような大事な仕事をされているという印象が強かったので、読んでいて面白かった。とにかく脚本を書く前に図書館に行って、それまでの連載と「海嘯」(連載『海』に連載された島尾ミホの未完の長編小説。2015年に幻戯書房から刊行された)、それらと自分が持っていたいろんなテキストを読み返すところから、脚本を書く作業を始めました。
[後編「僕にとって映画の現場はミュージシャンがライブをしてるのに近いですね。」に続きます]
写真:後藤知佳(NUMABOOKS)
(2017年7月13日、都内某所にて)
『海辺の生と死』
http://www.umibenoseitoshi.net
脚本・監督:越川道夫
出演:満島ひかり、永山絢斗、井之脇海、川瀬陽太、津嘉山正種 ほか
原作:島尾ミホ『海辺の生と死』(中公文庫)、島尾敏雄『島の果て』ほかより
製作:株式会社ユマニテ/制作:スローラーナー/配給:フルモテルモ、スターサンズ
©2017 島尾ミホ / 島尾敏雄 / 株式会社ユマニテ
公式サイト:http://www.umibenoseitoshi.net
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