美術館を舞台に市民社会の複雑さを解き明かす
――映画『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』
フレデリック・ワイズマン監督インタビュー
インタビュー:高橋宗正 / テキスト:小林英治
映画『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』は、巨匠、フレデリック・ワイズマン監督が、30年の構想を経て、190年もの長い間、人々に愛されつづけるイギリスのナショナル・ギャラリーの秘密に迫るドキュメンタリー作品だ。ダ・ヴィンチ、レンブラント、ルーベンス、ターナー、ゴッホ、モネなど、西洋美術史の絵画の数多の傑作を擁し、年間500万人以上が訪れる美術館で起こる日常のあらゆる出来事について、ワイズマン監督はナレーションやインタビュー、テロップ、音楽といった説明を一切使わずに、登場する個性豊かな専門家たちによるギャラリートークから、美術館に入るテレビの取材の様子、名画の謎を紐解く修復作業の現場、来年度の予算をめぐるスタッフたちの議論、世界中から訪れる来場者たちの顔、そして絵画そのもの細部まで、ありとあらゆる素材をモザイク状に組み上げてその全貌を明らかにしていく。海外を訪れるたびに、西洋と日本の社会でのアートに対する価値観の差を痛感するという写真家の高橋宗正が、ワイズマン監督に行なったSkypeインタビューの模様をお届けする。
自分は観客と同じくらい知的で、観客と同じくらい馬鹿だと思っています。
高橋宗正(以下、高橋):僕は2011年の3月11日に起きた東日本大震災で津波に流された写真を洗浄して持ち主に返すという活動をしているのですが、その活動自体についてさまざまなメディアで取材を受けたり、ディスカバリー・チャンネルではドキュメンタリー番組にもなりました。取材される側になって気づくことも多かったのですが、その体験があってあなたの作品を観たので、とにかくひとつの答えに収斂していかないということをすごく感じました。つまり、一般的には取材した時間の中での素材があって、そこから意図的ではなくても、ある答えを作っていくものだと思うのですが、あたなはむしろ、観客が監督と同じような目線になって、その現象や対象に対して考えていくことを求めているんじゃないかと思ったんです。
フレデリック・ワイズマン(以下、FW):今まで長年映画を作ってきていますが、私はいつも質問を投げかけているんです。答えというものは何もありません。観客には、私たちの社会はすべてが複雑なものであり、曖昧な状況であるということに理解を深めてほしいと思っています。
高橋:ひとつの答えにまとめて提示するほうがある意味簡単ですよね。僕も写真を撮る仕事をしていて、「考えてください」という提示の仕方はすごく難しいと思っているのですが、今回それをしっかり形として見せてもらったので、とても感動しました。
FW:ありがとう。
高橋:一方で、このようないろいろな解釈を受け入れる作り方をしていると、意図しない観られ方や批評の書かれ方をすることもあると思うのですが。
FW:例を挙げると、初期の作品に『高校』という作品があるんですけど(1968年作。ワイズマン監督の代表作のひとつ)、これは自分にとっては悲しいシチュエーション・コメディとして、教育システムを批判したつもりでした。ところが、ボストンのある保守的な教育委員会の人がこの映画を観て、「素晴らしい! ボストンでもこういう高校を作らなければいけない」と賞賛したんです。それについて自分は言い返さなかったんですが、その時に、自分が考えたものではない価値観で受け取る人がいるんだということが分かりました。
高橋:それはその人の受け取り方で構わないということですか?
FW:もちろん、「自分の意図はそうではなくてこうですよ」と言うことはできたと思いますが、それによって彼女の価値観が変わるとは思いませんでしたし、そもそも価値観が変えられると思うのは、子供っぽい考えじゃないかなと思います。自分は観客と同じくらい知的で、観客と同じくらい馬鹿だと思っています。自分の考えは映画の中で間接的に伝えているつもりですが、私は自分の映画を、観客自身の考えた分析や理解で観てもらおうと思っています。
私の映画制作は、ジャーナリスティックなやり方ではなく、小説を書くようなやり方なんです。
高橋:今回の『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』で舞台になっているのは美術館ですが、美術館を対象にした作品というのは以前から構想していたそうですね。
FW:美術館というのは、社会の中の文化的な生活というところで意味がある施設ですから、実は30年前から撮影したいと思っていました。また、修復という作業がもっている、世界の文化遺産を遺すという側面にも興味がありました。
高橋:その中で、今回イギリスのナショナル・ギャラリーを舞台に選んだ理由は特にありますか?
FW:私はもともと「アメリカの生活」というものに興味があって、半世紀にわたって社会の中の様々な集団や施設などを撮影の対象にしてきました。それが縁があって近年フランスに広がり、今回イギリスで初めての作品となったわけですが、ナショナル・ギャラリーは世界的にも有名な美術館のひとつですし、誰もが日常的にアクセスできる場所にあり、比較的小規模で美術史上重要なものを網羅している点、美術を鑑賞しながらその中で起きている出来事を捉えられることなどが理由としてありました。
高橋:あなたは過去のインタビューで、「撮影はリサーチで、編集が脚本を書くことだ」と興味深いことを述べていますが、撮影前に何を撮るということは決めていないということでしょうか?
FW:自分は撮影する対象について、撮影する前に「こうである」という考えを持たずに入ります。ナショナル・ギャラリーには過去に何度か訪れたことがありますが、それは普通の観客として行っているので、それ以外のことは事前に知りません。撮影中は美術館の中で日常的に行われる出来事をできるだけ撮るということに興味があって、特定の何かを撮るということには興味はありませんでした。最小限のスタッフにしているのも、とにかく何か面白いことが起きた時に逃したくないので、臨機応変に対応できるためです(監督は現場で録音も担当し、基本はカメラマンと2人だけで撮影する)。
高橋:ということは、膨大の素材の中からのセレクトと編集作業が重要なポイントになると思うのですが、それはあなたの中でメソッド化されているものなのでしょうか。
FW:今回の場合、撮影期間は約12週間で、撮影した素材は170時間ありました。それを約2か月かけて全部見て、50%に削っていきます。今度はそれを6~8カ月かけてシークエンスに並べて形にしていきます。この段階で初めて全体の構成を考えますが、それを3~4日かけてまとめると、だいたい完成形から40分位長いものができあがります。そこで全体のリズムを調整しながら最初に捨てたラッシュをもう一度見直して、シーンとの関連や全体の構造で必要なものを拾い上げ、入れ替えたりします。このやり方はほとんど初期の頃から一貫しています。
高橋:今回もその最後の段階で変わったシーンがあったりますか?
FW:ええ。絵画をいくつか差し替えたり、順番を入れ替えたものもあったし、人物の表情のカットや会議のシーンで変えた部分もありましたよ。
高橋:映画の中で、ダ・ヴィンチ展についてBBCの取材を受けている学芸員が、キュレーションについて「モザイク」というキーワードを挙げたり、「全体と差異が重要だ」という発言があったりして、それはあなたの映画にも通じることだなと思ったりしました。
FW:私の映画制作は、ジャーナリスティックなやり方ではなく、小説を書くようなやり方なんです。複雑な題材を扱いながら、自分なりにシーンの順番を考え、どこにそれを置いているのかということによって、直接的にではなく間接的に自分の考えを伝えたいと思っています。何を考えればいいのかを与えるのではなく、ヒントを与えていきたい。それは登場する人の発言の場合もありますし、抽象的な部分でもそうで、自分の観点を示唆するヒントになればいいと考えて編集しています。
[美術館を舞台に市民社会の複雑さを解き明かす 了]
1月17日(土)よりBunkamuraル・シネマほか全国公開
配給・宣伝:セテラ・インターナショナル
http://www.cetera.co.jp/treasure/
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