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『音楽を考える人のための基本文献34』(アルテスパブリッシング):はじめに

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DOTPLACE読者におすすめの新刊書籍の中で、読みものとしてそれ単体でも強い魅力を放つまえがき/あとがきを不定期で紹介していきます。今回は、古代ギリシアの時代から現代にいたるまでの「音楽とは何か?」を問う代表的なテキストを集めた『音楽を考える人のための基本文献34』(アルテスパブリッシング)のまえがきをお届けします。

四六判並製(128)カバー

『音楽を考える人のための基本文献34』
椎名亮輔 編著/三島郁、福島睦美、筒井はる香 著
[アルテスパブリッシング、2017年5月26日発売]
四六版・並製 本文320頁
ISBN : 978-4-86559-160-6/Cコード1073
本体:2200円+税
Amazon / アルテスパブリッシング

【内容紹介】
日本初! プラトンからケージまで、音楽をめぐる
古今の必読文献34冊を解説とともにダイジェスト収録!
先人たちがのこした広大な知の遺産に触れる。
これから音楽を学ぼうというあなたにも、
音楽をもっと深く考えたいと思っているあなたにも。

目次/編著者プロフィールはこちら

はじめに

椎名亮輔

 「音楽」とは何でしょうか。私たちの生活は、あらゆるところで「音楽」に取り巻かれています。朝起きるときの、目覚まし時計から流れてくる「音楽」、テレビやラジオのスイッチを押すと聞こえてくる「音楽」、駅で電車が近付いてきたり、発車したりする時に流れる「音楽」、自動販売機でジュースを買ったときに聞こえてくる「音楽」、学校のチャイムの「音楽」、交差点の信号機の「音楽」、スーパーやコンビニの店内の「音楽」、喫茶店の「音楽」、ホテルの「音楽」、お風呂が沸いたときの「音楽」、ご飯が炊けたときの「音楽」……きりがありません。それらの他にもちろん、ライブハウスやホールで聴かれる「音楽」もあれば、CDやiPodで聴かれる「音楽」もある。だから今さら「音楽」とは何か、などと考えなくても、こうして聞こえてくるものが「音楽」なのだ、と言ってしまってもいいように思えます。

 しかし、私たちを取り巻いているあらゆる「音」が、そもそも「音楽」だという考え方もあります。風の音、水の音、自動車の音、飛行機の音、鳥の声、虫の声、犬の鳴き声、遊んでいる子どもの声、さらには私たちの呼吸の音や心臓の音まで。これらが私たちにさまざまに働きかけてくることは確かですし、その働きを「音楽」という言葉で呼んでもいいような気もします。

 しかしまた逆に、いやいや「音楽」とは、きちんと教育を受けたプロの演奏家が、舞台にのぼって演奏するものを、私たちが客席でかしこまって聴くものである、そのようにして普段の退屈な日常生活から切り離された素晴らしい経験こそが貴重な「音楽」体験なのだ、という人もいるかもしれません。

 さあ、わからなくなってきました。何が「音楽」なのでしょうか。

 これから、この本の中で読んでいこうと思うのは、古代ギリシアの時代から現代にいたるまで、いろいろな人が「音楽とはこれこれこういうものなのだ」と考えて書いた文章です。なかには、私たちのふつう考えているような「音楽」とは、非常にかけ離れたものもあります。たとえば、宇宙が奏でている「音楽」とか、人々の心を支配するような「音楽」とは、ちょっと今では考えられません。しかし、現代の「音楽」についての考え方は、昔からのこれらの考え方から生まれてきているので、その影響がまったくなくなってしまった、とも言えないのです。もちろん、そういう不思議な考え方がそのまま残っているわけではありませんが、どこかに違った形でそのような考え方の残りがひそんでいるものなのです。

 ですから、どんなにおかしな考え方であっても、そのようなものを知っておくというのは、現代の「音楽」について理解するためには、あったほうがいいし、もっと言えば、必要であるかもしれません。

 実を言うと、私たちは、昔の人たちの考え方を本当に理解しているかどうかわかりません。完全に理解するということは不可能でしょう。しかし、ひるがえって考えてみると、時代を同じくする人であっても、他人の考え方を一〇〇パーセント理解できるということがあるでしょうか。だから、これは程度問題なのかもしれないですね。

 しかし、理解の難しさという問題に、時代の枠組みの違いというものが非常に大きく作用していることは確かでしょう。だから、時代の異なる人々の考えを理解するのが、相対的に難しさを増してくるのはわかります。

 一九世紀なかばに、経済学者のマルクスは、古代ギリシアの人々の考え方の枠組みは現代(だから一九世紀ですね)とはまったく異なっていて、それはその時代の社会や経済のさまざまな条件に規定されているからだ、と述べています。ここまでは、そのとおりですね。しかし、とマルクスは困った顔をして付け加えます、ギリシア悲劇を私たち(一九世紀の人間)が理解して感動をするのは、そのような捉え方ではありえないことになってしまう。一七世紀のシェークスピアもそうだ、彼の作品が我々をいまだに感動させるどころか、現代にもお手本となってもてはやされるのは、時代の変化によってものごとの理解の枠組みが変わると考えるとおかしなことになってしまう。

 音楽についても、同じことが言えるでしょう。いや、音楽のほうが、なお生き生きとして私たちに訴えかけているかもしれない。二一世紀に生きる私たちは、一八世紀に作られたバッハの作品を美しいと思い、感動します。三〇〇年の歳月は、あたかもなかったかのようです。私たちは、バッハの作品が目の前で演奏されるのを見て、聴いて、この作品はあたかも今、書かれたかのように思うのです。ここには、「音楽」の理解の難しさが、ひそんでいます。

 音楽は、存在するためには、演奏というものが不可欠です。そして、その演奏というものは、必ず(録音されたものであっても)現在時のものです。今、現在にそれを聴いていなければ、音楽は存在しない。たとえ、バッハの作品のような三〇〇年前に書かれた音楽であっても、トルバドールのもののような一〇〇〇年前に書かれた音楽であっても、あるいはつい数分前に書かれた音楽であってさえ、その音楽を存在させるのは、今現在に実現しつつある演奏の中だけです。そしてその感動はつねに現在のものなのです。その存在は真実のものなのだけれども、その体験だけで音楽を理解したと言えるのかどうか。

 もちろん、今、現在聴いている音楽によって感動させられた、だから私はこの音楽を理解したのだ、それ以上何も考えることはない、という人もいるでしょう。そういう人は、この本を読む必要はないでしょう。

 しかし、その感動はそれとしても、その音楽をもっともっと知りたい、その感動の秘密を理解したい、と思う人もいるはずです。音楽を愛するがゆえに、その音楽のことをもっと理解したいと思う人、あるいはこのような感動をもたらす音楽一般とはいったいどのようなものなのだろうかと考える人、こういう人のためにこの本は書かれたのです。

 そうです、音楽とは、今、現在にしかありえないにもかかわらず、それ以上の深い思索を要求するようなものである、あるいはありえるのです(それはその音楽の性質にもよるでしょうが)。このことを、人生になぞらえてもいいかもしれません。人生は、私たち一人ひとりが今、現在に生きているものです。このことについて、何も考える必要もない、と言っても別に問題はない。それでも、毎日毎日、私たちが生きていくことは可能です。でも、人間はどうしても考えてしまう。「私たちはどこからきたのか、何ものなのか、どこへ行くのか」というのは、ゴーギャンの有名な絵のタイトルですが、これは私たちの誰もが、一生のうち一度は(あるいはしばしば何度でも)考えたことのある疑問だと思います。

 音楽もそのようなものなのです。そして、この書物はそれに対する答え、でなければ、答えを探すためのヒント集なのです。

[了]

『音楽を考える人のための基本文献34』(アルテスパブリッシング)
椎名亮輔 編著/三島郁、福島睦美、筒井はる香 著

四六判並製(128)カバー

【目次】
◆はじめに

第一部 古代
 本書の使いかた、その一例 ①
 オルフェウス オウィディウス 『変身物語』
 プラトン 『国家』
 アリストテレス 『政治学』
 アリストクセノス 『ハルモニア原論』
 アウグスティヌス 『告白』

第二部 中世・近世
 本書の使いかた、その一例 ②
 カッシオドルス 『聖学ならびに世俗的諸学綱要』
 ケルンのフランコ 『計量音楽論』
 グロケイオ 『音楽論 全訳と手引き』
 ヴィトリ 『アルス・ノヴァ』
 ヨハネス・ティンクトーリス 『音楽用語定義集』
 カスティリオーネ 『宮廷人』
 マルティン・ルター 『卓上語録』
 ルネ・デカルト 『情念論』
 フランソワ・クープラン 『クラヴサン奏法』
 カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ 『正しいクラヴィーア奏法』
 ヨハン・ヨハヒム・クヴァンツ 『フルート奏法』
 ジャン゠ジャック・ルソー 『音楽辞典』
 モーツァルト 『モーツァルトの手紙』
 ベートーヴェン 『ベートーヴェンの手紙』

第三部 近代・現代
 本書の使いかた、その一例 ③
 ジャン・パウル 『美学入門』
 ヴィルヘルム・ハインリヒ・ヴァッケンローダー 『芸術を愛する一修道僧の真情の披瀝』
 E.T.A. ホフマン 『ベートーヴェンの器楽』
 エクトル・ベルリオーズ 『回想録』
 ロベルト・シューマン 『音楽と音楽家』
 フレデリック・ショパン エーゲルディンゲル『弟子から見たショパン』
 リヒャルト・ワーグナー 『友人たちへの伝言』 
 エドゥアルト・ハンスリック 『音楽美論』
 クロード・アシル・ドビュッシー 『ドビュッシー音楽論集:反好事家八分音符氏』
 アルノルト・シェーンベルク 『音楽の様式とその思想』
 アントン・ウェーベルン 『アントン・ヴェーベルン─その音楽を享受するために』
 ベラ・バルトーク 『バルトーク音楽論集』
 イーゴリ・ストラヴィンスキー 『音楽の詩学』
 ジョン・ケージ 『サイレンス』
 ピエール・ブーレーズ 『ブーレーズ音楽論:徒弟の覚書』 

あとがき
引用文献一覧

【著者紹介】
椎名亮輔(しいな・りょうすけ)
1960年東京生まれ。東京大学大学院博士課程満期退学。ニース大学文学部哲学科博士課程修了。同志社女子大学教授。著書に『音楽的時間の変容』(現代思潮新社)、『狂気の西洋音楽史』(岩波書店)、『デオダ・ド・セヴラック』(アルテスパブリッシング、第21回吉田秀和賞受賞)、主要訳書に、マイケル・ナイマン『実験音楽』(水声社)、ジャクリーヌ・コー『リュック・フェラーリとほとんど何もない』(現代思潮新社)などがある。プレスク・リヤン協会日本支局長(http://association-presquerien.hatenablog.com/)。

三島郁(みしま・かおる)
1969年島根県生まれ。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。京都市立芸術大学、同志社女子大学、甲南女子大学、各非常勤講師。共著に『音楽文化学のすすめ:いまここにある音楽を理解するために』(小西潤子他編、ナカニシヤ出版)、『音楽表現学のフィールド2』(日本音楽表現学会編、東京堂出版)がある。

福島睦美(ふくしま・むつみ)
バルセロナ大学大学院地理歴史学部芸術史学科博士課程修了。博士(芸術史学)。現在、エリザベト音楽大学、同大学院、及び広島修道大学講師非常勤講師。著書に『El piano en Barcelona entre 1880 y 1936』(バルセロナ、Editorial Boileau)、共著に『スペイン文化事典』(川成洋、坂東省次編、丸善出版)などがある。

筒井はる香(つつい・はるか)
1973年京都生まれ。大阪大学大学院文学研究科後期博士課程修了。ウィーン国立音楽大学に留学。現在、同志社女子大学、神戸女学院大学非常勤講師。共著に『ピアノを弾く身体』(岡田暁生監修、春秋社)、『ピアノはいつピアノになったか』(伊東信宏編、大阪大学出版社)などがある。

●この連載「Forewords/Afterwords」では、新しく刊行された書籍(発売前〜発売から3か月以内を目安)の中から、それ単体でもDOTPLACEの読者に示唆を与えてくれる読みものとして優れたまえがき/あとがきを、出版社を問わず掲載していきます。このページでの新刊・近刊の紹介を希望される出版社の方は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。
 dotplace◎numabooks.com(◎→@)


PROFILEプロフィール (50音順)

椎名亮輔(しいな・りょうすけ)

1960年東京生まれ。東京大学大学院博士課程満期退学。ニース大学文学部哲学科博士課程修了。同志社女子大学教授。著書に『音楽的時間の変容』(現代思潮新社)、『狂気の西洋音楽史』(岩波書店)、『デオダ・ド・セヴラック』(アルテスパブリッシング、第21回吉田秀和賞受賞)、主要訳書に、マイケル・ナイマン『実験音楽』(水声社)、ジャクリーヌ・コー『リュック・フェラーリとほとんど何もない』(現代思潮新社)などがある。プレスク・リヤン協会日本支局長(http://association-presquerien.hatenablog.com/)。


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単行本(ソフトカバー): 320ページ
出版社: アルテスパブリッシング
言語: 日本語
ISBN-10: 4865591605
ISBN-13: 978-4865591606
発売日: 2017/5/26