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『サステナブル・ミュージック これからの持続可能な音楽のあり方』(アルテスパブリッシング):はじめに

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DOTPLACE読者におすすめの新刊書籍の中で、読みものとしてそれ単体でも強い魅力を放つまえがき/あとがきを不定期で紹介していきます。今回は、近年臨床音楽学者として執筆や翻訳、演奏会企画などで精力的に活動している若尾裕さんの新刊『サステナブル・ミュージック これからの持続可能な音楽のあり方』(アルテスパブリッシング)のまえがきをお届けします。

サステナブル

『サステナブル・ミュージック これからの持続可能な音楽のあり方』
若尾裕 著
[アルテスパブリッシング、2017年6月26日発売]
B5判変型(天地240ミリ×左右182ミリ)/本文224ページ/フルカラー
ISBN:978-4-255-01001-4/Cコード:C0095
ジャンル:音楽評論
装画:桑原紗織/ブックデザイン:中島美佳
本体1800円+税
Amazon / アルテスパブリッシング

【内容紹介】
『音楽療法を考える』やマリー・シェーファーの翻訳などで知られる
臨床音楽学の第一人者が、高度資本主義、グローバル社会における
音楽のあり方を問いただし、持続可能(サステナブル)な音楽のあり方を
模索する切実な問題を投げかける意欲的な論考。

明るく楽しい音楽はどこから来たのか?
なぜウケのわるい難しい音楽が創り続けられてきたのか?
なぜクラシック音楽がえらくなったのか?
なぜ巷には聞きたくないのに音楽が溢れているのか?
どうして芸術家が構想する社会改革は失敗に終わるのか?
なぜみんな音楽から遠ざかりはじめたのか?
──みんな、不要となった音楽の掟にわれわれがしばられているからだ。

音楽によるヒューマニズムの押し売りに辟易しているあなたへ──

目次/編著者プロフィールはこちら

はじめに

若尾裕

 私は音楽が好きで、それを学び、仕事にしてきた。なのに、歌い踊ることより、そのあり方を問題にしてばかりいる。これは今日音楽をするものなら、程度の差こそあれみな同じかもしれない。音楽は、あるときからプロフェショナルな技術を持った職人の仕事となった。彼らは望まれるまま音楽を作り、それを奏でる。家具職人が注文に応じて家具を作るように。だから、その音楽に意味があるだろうかとか、どうあるべきだろうかという問題は、職人にとってはどう巧みに音楽をするかという技術的な問題ほどは重要ではなかった。私は演奏家でも作曲家でもなく、かといって学者でもない中途半端なミュージシャンに落ち着いた。そして、音楽とはなにか、という問いを発し続ける。

 音楽とはなにか? あるいは、どうあるべきか?などの問いが発せられ始めるのは、近代[★1]からだろう。それまでは、そのときその場にあたえられた音楽をひたすら享受することにさほどの疑問はもたれなかったにちがいない。しかし近代以後、いまの自分のありようを過去からの流れのなかでとらえ、そして未来についても思いを馳せるという、〈進歩と発展〉の精神のありようが出現しはじめる。これは現代の社会学において〈再帰的モダニティ〉と呼ばれる概念だ。ある時代から、ひとはこの〈モダニティ〉という病にかかり、せかせかとさまざまな工夫を試み始める。そして音楽も同様にせかせかと変化し始め、めまぐるしくその様式や考え方が変わってゆく。

 私もこのような〈再帰的モダニティ〉のなかで、新しい音楽のありかたをやはりせかせかと考え続けてきた。だがあるところで、それがひとつの病のようであり、そのなかでじたばたしてもなにも変わらないことに気付き始めた。そして、そこからの脱出を本気で構想し始める。

 無論、これは簡単なことではない。出口は簡単に見つかるものではないし、もしかしたらないのかもしれない。だから、これもまた新たなじたばたに終わる可能性も高い。それにこの私の態度そのものさえ、モダニティの術中にあるとも言えなくもない。

 〈近代芸術〉という独特の領域は、神というものを否定してしまった結果、成り立ったと論じられることがある。ルネサンス以後、神というものが少しずつ否定されていったので、どうしてもそれに代わるものが必要になり、それが芸術というものに収斂していったというわけである。だから、その根本のところでは美学という、神学に似た形而上学的な思弁がカウンターバランスとして必要となる。ならば〈音楽モダニティ〉というものには最初から矛盾がはらまれていたことになる。

 具体的には〈人間主義〉と〈科学主義〉という二つの概念が相補的かつ対立的に働く芸術世界ができあがる。この根源的な矛盾の解決のために、音楽を啓蒙主義的に解明しようとする試みが19世紀以来始まった。これが音楽のあり方について考え始められる最初であり、現在のさまざまな音楽学領域となってゆく。だが、その努力のすべてが、有効な答えに近付いているようにも見えない。たとえば、その主要な分野のひとつに音楽史というものがあるが、これはもともとバッハ復興期あたりに始まった、古い資料の整理がきっかけとなってできあがっていったものだ。これは偉大なバッハか同時代のB級品かを見分けるための骨董品鑑定の学としかなりようがなく、結局のところ、西洋芸術音楽の普遍的な意義を主張するためのプロパガンダにしか落ち着きようがない。

 この〈音楽モダニティ〉を、もっと具体的に顕現された現象として探すなら、それは〈調的和声による情動表現の重視〉と〈音楽の科学合理主義〉のふたつだろうと私は考える。たとえば音楽心理学という領域は、このふたつの現象を象徴している。そこでは音楽は一義的に情動と関わるものとしてとらえられる一方、その情動現象は反対の極にある科学的手法による解明に委ねられる。だが音楽心理学とは、きわめて文化依存的なものであり、古典期からロマン派の音楽を経由してポピュラー音楽で使われるようになった平均律と調的和声の情動感を前提としたものである。だからたとえばヴェーベルンの無調音楽を聞いて暗くて不気味と反応し、あるポピュラー音楽を聞いてハッピーな気分になるという心理特性は、人間の本質などとはあまり言えない、ある一時代のある地域の人間の傾向に過ぎない。だからこれは、西洋音楽という閉じられた感性によって、普遍的な人間性に迫ろうとする意図以上にはなりようがない。だから民族音楽学において音楽心理学が有効に援用されている例を目にすることはない。そもそも音楽と情動の関わり方が西洋と異なっているので、音楽心理学という西洋音楽から発想されたものと非西洋音楽とは接続のしようがないからである[★2]

 さらにこういった矛盾は音楽療法という領域ではもっと顕在化している。1950年代以降発展してきた音楽療法とは、一方で音楽情動に大きく依存しながら、他方ではそれを科学や心理学が医学によって位置づけようとする点で、音楽心理学の傾向をもっと増幅させたような領域なのである。片手に甘い響き、片手に実証科学というこの姿勢についてはさまざまに調停の道が模索されるのだが、いまだに溝は簡単には埋まらない。私には、これが音楽療法というフィールドを借りた〈音楽モダニティ〉のバトルのようにさえ見える。

 〈音楽の科学合理主義〉は、現代音楽の発展に大いに貢献しただろう。実験着を来てスタジオで作業する、どこかの音響技術の研究者のような出で立ちのシュトックハウゼンは、理系を目指す男子だった私にはあこがれの的だった。三和音情動技術による音楽大量生産システムとしてのポピュラー音楽と、白衣の実験着を来た作曲家、これは先ほどの音楽療法におけるバトルと同趣の、〈音楽モダニティ〉の戯画だ。

 こうして近代の最終地点のパロディーの域にまで音楽を進めた前衛音楽や実験音楽の役割は終わり、だんだん色あせたものに見え始めた。同時に、芸術という保護区における、新奇で個性的なものを珍重する精神そのものも、やや色あせ始めたようだ。少々新奇なことをしたアーティストがこれほど評価されてきたのは、〈再帰的モダニティ〉ゆえなのだが、これについてもそろそろ反省の時期に入ることだろう。

 三和音による音楽情動技術はワールド・ミュージックにまでその適用範囲を拡大しつつ、世界の音楽の標準ツールにまでなりつつある。なぜこのツールが、このように世界を席巻してしまったのかについては、その方法論の合理性ゆえと一応は説明できるのだが、私にはまだまだ謎が深い。

 いまでは当然視されている、録音された音楽に聞き入るという行為も〈音楽モダニティ〉のもたらした音楽行為のひとつであると考えられるのだが、なんとそれが近年終わりかけているようにも見え始めた。CDの売り上げは減じ、総じてライブや演奏会にも人は集まらなくなり、音楽を営為としてきた人たちもそろそろ廃業を考え始めたという話も聞かれるようになった。もちろんこれは、メディア環境やビジネス・モデルの変化による現象なのかもしれない。だが、私には音楽という営み全体のポテンシャルが落ち始めたことの疑いを否定することは難しい。〈音楽モダニティ〉は、偉大なクラシック音楽とともにグローバル音楽ビジネスを創出させ、1世紀ほどの間はたいへん隆盛したが、どうもそれが終局に向かいつつあるかもしれないのだ。 

 このような、私にとっての〈音楽モダニティ〉の問題は、実は新音楽学やミュージッキングという形で徐々に議論が活発化してきている。おそらくもっとも古くはマックス・ウェーバーによる西洋音楽の合理主義化の議論から始まると考えられるが、明確には2000年前後から、何冊かの書物を通じて、より明確な形を取りつつある。こういった議論は、私たちの音楽の成り立ちの不自然さに音楽学の一部がもう目が向け始めたことを示している。

 長く続いた〈音楽モダニティ〉の夢がだんだん覚めてきたのだろうか? どんな時代だって、大航海時代のように終わりは来る。芸術の時代だってそれは同じだろう。だがそれは悲しむべきことでも喜ぶべきことでもない。今後、音楽というものをめぐってもさまざまな変容が世界では起こっていくにちがいない。次に来るものはなにか、いまの時点ではわからない。だが、そんななかで音楽に希望を取りもどすことにはどうしたらいいのだろう。

 私は歌い踊る人間の営みは素直に尊ばれるべきものだと思う。私が指摘しているのは、この営みに形をあたえ成立させてきた〈近代芸術〉という制度の枠組みが少々古くなり、問題を生じせしめ、自然に歌い踊ることを逆に妨げ始めていることだ。音楽そのものの営みを否定したり意味がないとか言っているのではない。ただ、それを成り立たせている枠組みを少しでもわれわれにとって楽な方向に変えようと言っているのだ。

 こういった問題について考え続け、書き続けてきたものを集めたのがこの論集である。文章のなかには、その後の音楽モダニティ論を知る前に書かれているものもいくつかある。新たに勉強し直して書き直すべきかとも考えたのだが、それはまた次の課題とすることとしたい。それにどんなに新たな研究書があらわれたとしても、私にとっての問題系は変わらない。新しいミュージッキングを始めるしかないのだ。

[了]

★1:近代、モダニズム、モダニティなどの言葉については、指し示す意味に少々ずれがある。ポストモダンに対峙されるモダン(近代)という言葉の場合は、デカルト以後つまり17世紀以後これまでの時代を指すことが多い。近代音楽という言葉は、少し前の音楽史では20世紀初頭から第2次世界大戦前ぐらいまでの時期の音楽を指し示され、第2次世界大戦後の音楽のことを現代音楽と呼ばれることが多い。私がここで使っている〈音楽モダニティ〉という言葉の場合、いわゆるクラシック音楽と呼ばれる18世紀以後の西洋芸術音楽の伝統を指している。

★2:たとえばインド音楽研究者のマーティン・クレイトンは、北インド音楽の様々なヴォキャブラリを英語に翻訳することはまったく無理であると述べている。(クレイトン「音楽の比較、音楽学の比較」『音楽のカルチュラル・スタディーズ』[アルテスパブリッシング、2011]収中)

『サステナブル・ミュージック これからの持続可能な音楽のあり方』(アルテスパブリッシング)
若尾裕 著

サステナブル

【目次】
はじめに

第一章 反ヒューマニズム音楽論
 1-1 深く音楽をする
 1-2 クラシック音楽という生政治
 1-3 近代西洋音楽と生政治
 1-4 ノイズ、ブルース、生政治
 1-5 楽しい音楽
 1-6 感情労働としての音楽
 1-7 パイプダウン
 1-8 これ以上、音楽を作る必要があるのか?

第二章 クラシック音楽という不自由さ
 2-1 コンヴェンショナル・ウィズダム
 2-2 三和音の帝国
 2-3 ジョージ・ロックバーグの弦楽四重奏曲
 2-4 感動ビジネスとしての音楽
 2-5 耳の歴史

第三章 現代音楽は音楽を解放したか
 3-1 難しい音楽はなぜ作られるのか
 3-2 20世紀芸術の本質は落書きである
 3-3 モダニスト・ケージ
 3-4 デレク・ベイリー追悼
 3-5 作曲家 コーネリアス・カーデュー
 3-6 音楽は感染する
 3-7 物語から離れて漂流する音たち

第四章 アウトサイダー・ミュージック
 4-1 ニューロティピカル音楽
 4-2 エロイカ交響曲
 4-3 アウトサイダー・ミュージック
 4-4 へたくそ音楽の系譜
 4-5 スタッフベンダビリリ
 4-6 国境なき音楽家団
 4-7 ノヴァーリスの音楽的問題

第五章 サステナブル・ミュージック
 5-1 ダークサイド・オブ・ミュージック
 5-2 エコ思想は芸術には不要か
 5-3 カルチュラルデモクラシー
 5-4 サステナブルミュージック持続可能な音楽
 5-5 参加型音楽と上演型音楽
 5-6 音楽の禁止
 5-7 あなたと奏でたい

音楽家ディオゲネス─あとがきにかえて

【著者紹介】
若尾 裕(わかお・ゆう)
神戸大学大学院人間発達環境学研究科教授。日本音楽即興学会世話人代表。専門領域は臨床音楽学や即興演奏。音楽療法も含め、現代音楽後の新しい音楽の創成が今の研究テーマ。著書に『奏でることの力』(春秋社)、『音楽療法を考える』(音楽之友社)など、CDにジョエル・レアンドルと共演した『千変万歌』(メゾスティクス)など。

●この連載「Forewords/Afterwords」では、新しく刊行された書籍(発売前〜発売から3か月以内を目安)の中から、それ単体でもDOTPLACEの読者に示唆を与えてくれる読みものとして優れたまえがき/あとがきを、出版社を問わず掲載していきます。このページでの新刊・近刊の紹介を希望される出版社の方は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。
 dotplace◎numabooks.com(◎→@)


PROFILEプロフィール (50音順)

若尾裕(わかお・ゆう)

神戸大学大学院人間発達環境学研究科教授。日本音楽即興学会世話人代表。専門領域は臨床音楽学や即興演奏。音楽療法も含め、現代音楽後の新しい音楽の創成が今の研究テーマ。著書に『奏でることの力』(春秋社)、『音楽療法を考える』(音楽之友社)など、CDにジョエル・レアンドルと共演した『千変万歌』(メゾスティクス)など。


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若尾裕 (著), 桑原紗織 (イラスト)
単行本(ソフトカバー): 240ページ
出版社: アルテスパブリッシング
言語: 日本語
ISBN-10: 4865591664
ISBN-13: 978-4865591668
発売日: 2017/6/26