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越前敏弥 出版翻訳あれこれ、これから

越前敏弥 出版翻訳あれこれ、これから
第3回:翻訳出版の企画を立てるには

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第3回:翻訳出版の企画を立てるには

今年の5月にBS日テレの〈久米書店〉に出演した。著書の『翻訳百景』(角川新書)を久米宏さん・壇蜜さんのおふたりがすみずみまで読みこんで、あれこれ尋ねてくださり、わたしがひとつひとつ答えていった。おおむね出版翻訳の仕事の実態を伝えることができたと思うが、ときには「ベテラン翻訳者でも辞書を引くことはあるのか」といった質問が飛んできたりして、まだまだ世間では理解されていない仕事なんだな、とあらためて感じたものだ(もちろん、ベテランになっても一日じゅう辞書を引きっぱなしであり、仕事をすればするほど調べ物の量が増えていくのがふつうだ)。

 

『翻訳百景』の冒頭部分では、出版翻訳の仕事に関する誤解の代表的なものについていくつか説明したので、興味のある人は読んでもらいたいが、そこで採りあげなかったもののひとつに「翻訳する本は自分で選ぶのか、出版社から頼まれるのか」という質問がある。これはほんとうによく尋ねられる。答は「どちらもある」なのだが、もう少しくわしく説明してみよう。

 

前回も書いたとおり、翻訳書を出版するためには、まずその本を日本で翻訳刊行するための版権を取得する必要がある。その際、社内の人間(おもに翻訳書担当の編集者)がみずから原書を読んで企画を立てていく場合もあるが、時間的な余裕や語学力などの理由から、編集者が単独ですべてをこなすことはまれで、社内外のだれかから提案されたものを資料に基づいて検討し、組織の経済的事情なども考慮して、最終的に版権取得に踏みきるかどうかを決めることが多い。

 

提案者としては、第1にまず、海外の作品を日本に売りこむ版権エージェントがいる。その作品の日本での版元としてふさわしそうな出版社へ個別に声をかけていくこともあれば、有名作家の話題作などのように、入札方式で最高値をつけた出版社に版権を売る場合もある。同じ作家のシリーズ作のときなどは、それまでの作品を出してきた出版社に優先権があるのがふつうだ。

 

第2が、翻訳者をはじめとする個人からの企画持ちこみによるものである。正確な数字はわからないが、これは第1のエージェントからの斡旋に比べて少ないだろう。おそらく、エンタテインメント系は純文学系より成功率が低いはずだ。これにはいくつか理由があると思うが、一般に純文学系の作品のほうがエンタテインメント系より発行部数が少なく、版元も冒険がしやすいという事情が大きい。エンタテインメント系の場合は、版権料が高くてかなり多くの部数を売らないとペイしないこともあって、版元はより慎重になる。また、注目されそうな作品は、本国での刊行前から仮綴じ版(advance copy や bound galley などと呼ばれる)が業界内で出まわって、商談が進められていることもあり、原著発売後に翻訳者が読んで持ちこんだところで、すでにどこかの出版社と契約済みである場合が少なくない(『翻訳百景』には『ダ・ヴィンチ・コード』のときの話をくわしく書いてある)。

 

そんなわけで、翻訳者による企画持ちこみというのはなかなか成功するものではなく、わたし自身について言えば、これまでに持ちこみ企画が通って訳書になったのは、児童書と古典新訳が3冊ずつあるだけだ(著書4冊はすべて持ちこみだが)。ただ、持ちこみには自分の好みを編集者にしっかり伝えるという効用もあり、当の企画そのものは通らなくても、しばらくして類似の作品の翻訳を依頼された例もいくつかあったので(かつて《このミステリーがすごい!》1位になった『飛蝗の農場』も、そんないきさつで引き受けた)、翻訳者にとってきわめて重要な仕事であるのはまちがいない。また、みずから動くことで、出版翻訳界全体を活性化させるという意味もある。

 

どういう経緯で立てられた企画であれ、翻訳刊行を検討する際には、いわゆる「リーディング」がおこなわれる。これは単なる読書という意味ではなく、原著をていねいに読みこんで、検討資料としてシノプシス(レジュメと呼ぶ場合もある)を作成する行為を指す。担当する人は(あたりまえだが)「リーダー」と呼ばれ、翻訳者、または経験豊富な翻訳学習者がつとめる場合がほとんどだ。

 

大きく分けて、出版社(または仲介の翻訳会社や編集プロダクションなど)から依頼される場合、版権エージェントから依頼される場合、自主的に書いて出版社などに持ちこむ場合の3つがあるが、そのどれであれ、翻訳出版の過程できわめて重要な役割を担うので、翻訳者にとっては実際の翻訳作業に劣らぬ重みがある仕事だと言える。

 

シノプシスの書き方には決まったフォーマットがあるわけではないが、①作品の基本情報(作者名、ページ数、受賞歴など)、②あらすじ、③リーダーによる概評、の3つは最低限必要で、ほかに登場人物表や数行の概略(キャッチコピーに近いもの)をつける場合もある。フィクション作品の実例を見たい人は、わたしのブログの記事「文芸翻訳入門」からダウンロードしてもらいたい。

 

リーダーとしては、企画が通れば自分が翻訳を担当できる可能性もあるため、ともすれば甘い評価をつけがちだが、つまらないと思ったらしっかりダメ出しをするほうが、長い目で見ると出版社などから信頼されて、つぎの仕事につながりやすくなる。また、つまらない作品がつぎつぎ刊行されてしまったら、ただでさえ減りつつある翻訳書の読者たちを失望させ、結局は翻訳書の市場を小さくして自分自身の首を絞めることになりかねないので、みずから企画を持ちこむ場合も、できるだけ大局的な展望を持って取り組んでもらいたい。

 

版権の空き状況を調べるのはなかなかむずかしいが、版権エージェントは個人からのその種の問い合わせには原則として対応していない。自力で作者や原著の出版社に連絡する方法もあるが、「あたって砕けろ」のつもりでぶつかっても、門前払いや梨のつぶてになることが多いだろう。ただし、可能性ゼロではないので、志の高い人は試してみてもいいと思うし、ひょっとしたら、今後はそこまでやれるだけの交渉力や胆力を具えた人だけが仕事を得ていくのかもしれない。

 

あるいは、日本出版クラブのなかにある洋書の森には版権フリーの原書が多く置かれているので、出向いてみてもいいだろう。また、著者の死後何十年も経過した版権切れの作品の翻訳を電子出版で出すことなら、個人でも不可能ではないし、すでに実行している人もずいぶんいる。

 

企画持ちこみについては、ジャンルがちがえば事情が大きくちがうことも多く、まとめて説明するのはむずかしいが、もっと知りたい人はわたしのブログの記事「翻訳書の持ちこみ企画について(その2)」を見てもらいたい。記事内で紹介しているリンク先の金原瑞人さんや田内志文さんの発言からも、きっと多くを学べるはずだ。

 

ひとつ確実に言えるのは、今後翻訳者はただ受け身で翻訳だけをしていてもどうにもならないということだ。持ちこみであれ、出版社と相談しつつ企画を進めていくのであれ、ひとりでも多くの読者に読んでもらうため、買ってもらうために何ができるかをつねに考え、なんらかの形で実行に移していかないと、おそらく出版社も翻訳者も長くは生き残れまい。

 

[第3回:翻訳出版の企画を立てるには 了]

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小学生に楽しみながら翻訳書を読んでもらい、自由な形式で作文を書いてもらうコンクール。
参加無料で、全員に選考委員コメント返送。
最終選考委員:越前敏弥、ないとうふみこ、宮坂宏美
・7月23日(土)
朝日カルチャーセンター中之島教室「翻訳百景 英語と日本語のはざまで」

講師:越前敏弥
・7月24日(日)
NHK文化センター京都教室「翻訳の世界への招待 ~『翻訳百景』こぼれ話~」

講師:越前敏弥
・8月18日(木)(「昼の部」&「夜の部」)
第19回翻訳百景ミニイベント(『翻訳百景』こぼれ話)

単独トーク:越前敏弥


PROFILEプロフィール (50音順)

越前敏弥(えちぜん・としや)

文芸翻訳者。1961年生まれ。東京大学文学部国文科卒。訳書『インフェルノ』『ダ・ヴィンチ・コード』『Xの悲劇』『ニック・メイソンの第二の人生』(以上KADOKAWA)、『生か、死か』『解錠師』『災厄の町』(以上早川書房)、『夜の真義を』(文藝春秋)など多数。著書『翻訳百景』(KADOKAWA)『越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文』(ディスカヴァー)など。朝日カルチャーセンター新宿教室、中之島教室で翻訳講座を担当。公式ブログ「翻訳百景」。 http://techizen.cocolog-nifty.com/


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