某出版社にて、翻訳書編集、法務をへて翻訳権輸出に関わる冨田健太郎が、毎月気になる海外の出版事情を紹介する「斜めから見た海外出版トピックス」。今回は2019年2月に破産したドイツの取次「KNV」について。対岸の火事、とは決して言えない出版に大きな影響を与える出来事について、英語記事の紹介を中心に経緯をレポートしていきます。
第22回 ドイツ出版界の激震
▼ドイツ書籍流通最大手KNV
今年2019年2月、ドイツの書籍流通の最大手、コッホ・ネフ&フォルクマー(KNV)が破産しました。
日本でいえば、取次トップが倒産したようなものです。
KNVは、国内のみならず、オーストリアやスイスといったドイツ語圏を中心に、欧州各国もふくめ5000以上の出版社と取引があり、扱う書籍は59万タイトル。英語の専門書5万4000タイトルをそろえ、さらにDVDやCD、コンピュータ・ソフトウェア等6万3000点を、7000店舗に供給していました。
ということは、つまり5000社以上の版元と7000店の書店が影響を受けるわけで、これはたいへんな事態です。欧州圏にも書籍を供給していたので、ドイツ国外からの注目も集めました。
今回は、その経緯を追ってみます。
▼ドイツの出版事情
まず、ドイツの出版界について、おさえておきましょう。
近年、メディア業界紙「文化通信」の星野渉氏が“ドイツモデル”としてよく紹介されていますので、参考したいと思います。
ドイツでは、大手書店は、出版社から直接仕入れるルートが多いようですが、中小の書店と版元を結ぶのがKNVに代表される流通業者です。
近年、物流のシステムが整備されたため、いまでは書店が注文した本は、翌朝には店に届くようになっているといいます。宅配をこえるような迅速さです。
英米とちがって、ドイツ国内は書籍について価格拘束があり、安売りはできないことになっています。それに、返品も認められていて、そのあたりは日本に似ています。
書店は自分たちでウェブも運営しているので、読者のネット注文にも対応できます。
すばやい商品供給、定価販売、ウェブでの購入といった条件がそろっているため、アマゾンにも対抗できる、というのがドイツの書店の主張です。
※このコラムで何度かご説明してきたように、海外では書店はみずから仕入れるべき商品を決めて発注するのが原則で、日本のように、取次をとおして決められた商品が決められた数だけ配本されるということはありません。自分たちの店の顧客は自分たちがよくわかっているのだから、売るものは自分たちで主体的に決めるわけですね。
さきほど、価格拘束と返品システムが日本に似ていると書きましたが、書店運営の根本のところが大きくちがっているわけです。そのため、返品率も日本とくらべてとても低そうです。
▼KNVの破産
そのような書籍流通の要であるKNVに、いったいなにがあったのでしょう。
じつはKNVは、以前から投資家と交渉をつづけてきていて、それが土壇場でうまくいかなくなったということのようです。
会社側の説明によると、外部からの新たな投資がなくても経営していけるだけのアウトラインはできていたそうですが、それにもかかわらず銀行が手を引いてしまったため、破産手続きに入らざるをえなかったとのこと。
専門家の見かたでは、2014年にKNVが物流センターを可動させたのが大きかったようです。
上は、その物流センターのプロモーション動画ですが、規模がよくわかります。
17万平米以上(いわゆる東京ドーム4個分近く)の大がかりな施設で、書籍流通の集中化と一元管理を行なったのですが、それにタイミングをあわせるかのようにディーゼル燃料費の上昇をはじめとする経費増がかさんで経営を圧迫。輸送部門の責任者が会社を離れるという状況があったのです。
さらに、「文化通信」2019年3月25日の「ドイツの大手取次KNVが破産」の記事によると、その物流センターでのトラブルが重なり、負債が増大したとのこと。
ドイツの書籍販売のカギになっていた即納態勢が、会社には重い負担を強いたわけです。
こうした事態に経験豊富な弁護士が、今回の法的な責任者に選ばれ、さっそく動きはじめます。
出版界で大きな役割を果たしているKNVですから、物流が止まると、被害は甚大です。そのため、早々にビジネスを継続する意向をあきらかにして、クライアントにこれまでどおりの取り引きを呼びかけました。
それを受けて、出版社および書店側も、落ち着いて賢明な対処が必要だとの声明を出しています。
▼出版産業への影響
それから3週間ほどたった3月上旬、出版社と書店の協会の会長が状況を語っています。
このインタビュウによると、ドイツの書籍売り上げは年100億ユーロで、音楽・映画・PCや映像ソフト業界をあわせたより大きいそうで、過去14年間、売り上げは伸びつづけているといいます。
ただ、調査によると、本を買うという人数自体は減っているそうです。スマートフォンに時間を取られるというのがいちばんの理由だそうで、業界としては読者数の減少に対応しなければならないと語っていますが、それでもこの堅調ぶりは、日本から見ればうらやましいところです。
そんななかでKNVの破産が起きたわけですが、会社の営業はこれまでどおり進められ、商品の供給をつづけているため、その点では業界は大過なくまわっているように見えます。
しかしながら、出版社がこれから起こす請求書については、今回の破産により、支払いが進められない見込みだというのです。
そのひと月後の4月上旬に出た記事を見ると、詳細がわかります。
大手出版社は、販売の翌月に支払いを受けられるのですが、中小の場合は60日あるいは90日後なのだそうです。
KNVの破産は2019年2月でしたから、ふた月前、つまり2018年12月の売り上げについて、中小出版社は回収できなくなるわけです。
いうまでもなく、これは、年末のクリスマス商戦の収入がなくなることを意味します。
小さな出版社にとっては、大きな打撃です。
たとえば、出版社フォルクス&クイストは、今回の破産による未払いの残高が65,000ユーロにのぼると公表しています。これは年間売上の12~20%にあたるとのこと。
このような小規模の版元でそれだけの収入が失われるのは、危険な事態です。それでも、新刊の準備を進め、経費を支払っていかなければなりません。本を作りあげ、市場に出るまでは、その費用はすべて出版社の負担になるのです。
創業15年でこの試練に見舞われたフォルクス&クイストは、「もしかしたら、タオルを投げるのが賢明なのかもしれない」と嘆きながらも、新しい本を出すためにはやめるわけにはいかない、と決意を表明しています。
▼文化を守るための動き
出版社はただ本を売っているだけの企業ではないのです。
「独立系の小さな版元は、高い技量を持つだけでなく、社会的な価値も大きい」と語るのは、クルト・ヴォルフ財団。彼らは、毎年春のライプツィヒ・ブックフェアで賞を授与するなど、出版事業の支援を行なっています。
出版社と書店の協会も「多くの小さな出版社が、ドイツの文化的多様性を形づくっている」と強調します。
さまざまな版元によって多彩な出版物が生みだされ、それを売る書店も活気をたもてる、という循環です。
逆にいえば、出版社がなくなれば、書籍の多様性が失われ、書店の衰退にもつながります。
出版は、自国の文化のなかでも重要な地位を占めると考えられているわけですね。
ドイツ政府も、2018年10月に、文化を守るためとして出版を表彰する賞の設立をアナウンスしていました。
KNV破産に先立って決められていたものですが、その全容が発表されたのは2019年の4月になってからでした。
それによると、資金は合計で100万ユーロ以上。主要な3つの賞はフランクフルト・ブックフェアで発表され、6万ユーロずつが授与されるとのこと。
さらに、小出版社を支援する賞も贈られるのだそうです。
流通大手の破産という大きな災厄に見舞われたドイツの出版界ですが、このように出版文化全体を守ろうとする意識が根づいているのを見るかぎり、トラブルを乗りこえていけそうに思えてきます。
日本でも、取次最大手のトーハンと日販が物流面で連携を模索するなど、流通面から変革が起こりつつあります。さまざまな点で、日本がドイツに学ぶことは、まだまだ多そうです。
[斜めから見た海外出版トピックス:第22回 了]
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