写真:清水玲奈 イラスト:赤松かおり
第17回 Dulwich Books
緑豊かな南ロンドンのダリッジ地区は、ロンドン中心部から電車で30分ほど。ロンドン市内にありながら、のどかなカントリーサイドの雰囲気が漂います。
古くからの個人商店が立ち並ぶ一角。ダリッジ・ブックスの両隣は、学校の制服を扱う洋品店とクリーニング店です。
特に西側のウエスト・ダリッジは、一つのヴィレッジ(村)を形成していて、名門私立校ダリッジ・カレッジや、歴史ある美術館ダリッジ・ギャラリーを有します。文化的な意識が高い富裕層が多く住むこの地区で愛される「町の本屋さん」が、ダリッジ・ブックスです。創業は1980年代ですが、2015年にブックエージェントのスージー・ニックリンさんが経営権を引き継ぎ、2016年8月には全面改装を行い、現代的な独立系書店に生まれ変わりました。
朝日が当たる店は、朝9時半から営業。特に週末はひっきりなしにお客さんが訪れます。
スージーさんは、30年以上前からフランクフルト・ブックフェアに毎年通っている業界のベテランで、現在は出版関連の企業グループ「MILD」のCEOでもあります。「MILD」は、ブックエージェンシー「マーシュ・エージェンシー(Marsh Agency)」、出版社「インディゴ・プレス(Indigo Press)」、本関連のイベント会社「ライブ・リテラチャー(Live Literature)」、そして書店「Dulwich Books」の頭文字を取って名付けられました。本作りから販売、そして本の作り手と読者のためのイベントまで、出版のすべての過程を網羅する活動を行なっていますが、読者との接点であり、活動の要であるのがダリッジ・ブックス。ライブ・リテラチャーが企画・主催するイベントの多くは、店で行われます。
1冊ずつ表紙を見せてディスプレー。そう大きくはない店ですが、一周すればたくさんの本が目に入ってきます。
スージーさんが経営者となった翌年に行った全面改装では、フロアにあった背の高い書棚を撤去し、低いテーブルを配置して、店全体が見渡せる明るい空間にしました。店の一番奥にあったレジを、入り口の近くに移動させ、「お客さんを歓迎する」雰囲気を演出。代わりに一番奥は大きな児童書コーナーにしました。また、イベント用の小さなステージを新たに設けました。
モニターを備えた小さなステージ。ふだんは座り読み歓迎のコーナーです。
出版の際に著者を招いて朗読やサイン会を行う定番のイベントに加えて、様々なレシピ本を出した料理研究家による料理のデモンストレーションや、アート・クラフト関係のワークショップは、特に盛り上がります。店内のステージには、プレゼンテーションや本の情報の掲示に使えるモニターを設置していて、将来的には本を原作にした映画作品の上映会を開く構想もあります。
地元在住の作家による大人向け、子ども向けのイベントを頻繁に開催しています。
ウエスト・ダリッジは、長年この地に暮らしていて今では年金生活に入った人たちが多く、平日の昼間もお年寄りを中心に客足が途絶えることはありません。本だけでなく新聞を熱心に読む人たちが多いのも特徴で、土曜日の新聞に掲載される書評欄の切り抜きを持って、日曜日の朝に店を訪れる習慣を持つ常連さんもいるそうです。
さらに、近年は、ダリッジにほど近い地域、ハーンヒルやクリスタル・パレスに、新しく若い家族たちが住み始めました。「子ども連れのお客さんの潜在的な需要がある」と見込んで児童書コーナーを広げた結果、売り上げ全体に占める児童書の割合はじわじわと増え続けているそうです。
店の一番奥にある児童書コーナーは、赤ちゃん向けの絵本から、幼児向け絵本、6〜9歳向け、9〜12歳向け、ティーンエイジャー向けの読み物、そして子ども向けの図鑑やノンフィクションなど、学校の宿題に役立つ本や参考書も充実していて、子どもの本なら何でも揃います。児童書の選書と書店員さんのアドバイスに定評があることから、バースデーパーティーに招かれた親子がプレゼント用に本を買い求めに来ることが多く、ラッピングペーパーやカードが店に彩りを添えます。
店内に彩りを添えるのが、グリーティングカードのスタンドです。
両側に並ぶ書棚に挟まれたコーナーは、子どもたちの聖域のようになっていて、ここでは毎週木曜日と土曜日の午前11時に、未就学児向けの読み聞かせが行われ、特に土曜日はいつも満員御礼の大人気。平日の放課後の時間帯、3時から5時半も、学校帰りの親子連れで賑わいます。
大人の本の売れ筋は小説で、中でも推理小説は常に人気があり、また映画化やテレビドラマ化された本はよく売れます。ノンフィクションは、自然や動植物に関する本、それから文化人や政治家の伝記が中心で、「大手チェーン書店とは違って、いわゆるセレブ本は、一部のスポーツ選手以外は置かない」ポリシーだとか。
また、ロンドンの他の独立系書店の中には、尖ったセレクトで政治的な立場を表明しているところもありますが、ダリッジ・ブックスはあくまでも「町のみんなが安心して本を選べる本屋さん」という立ち位置。EU離脱など政治に関する本は、セレクトに意見の偏りが出ないように注意しています。
政治的に偏らないセレクトで、幅広い本が見つかります。
スージーさんが店長に採用したのは、書店員は初体験だったというキャシー・スレイターさん。出版業界で営業として30年勤めた経験が買われました。ガーデニングと自然が好きで、歌とウクレレの演奏を嗜み、イタリア語とフランス語ができるという教養人で、お客さんたちとも話が合います。
本のセレクトは、スージーさんとキャシーさんが共同で行っています。毎週月曜日には大手出版社の営業担当者が次々と店を訪れ、1日がかりで今後出版される本についての紹介を聞いたり、現在店に置かれている在庫の状況について話し合ったりします。1冊売れた本を再度仕入れるどうかについては、いつも店にいる店長のキャシーさんが、お客さんの動向を配慮して決めます。イギリス国内の他の書店と同様、絶版以外の本は、午後5時までに注文すれば翌日の正午までに店に届くシステムを利用している上、店では独自に「緊急に本が必要な場合は、半径1マイル以内ならお届けします」というサービスも行い、地元の本好きたちのニーズに応じます。
独立系書店が「本屋で本を買おう」と呼びかける「ブックス・アー・マイ・バッグ(本が私のお気に入り)」にも積極的に参加しています。
書店員の中でいちばんの若手は、オーナーのスージーさんの息子、ガブリエルさんです。オックスフォード大学で文学や言語学を学びました。在学中に神戸大学に留学(イカのお刺身が好物だそうです)、日本語も中国語もできる秀才です。大学卒業後、しばらくは9歳からのキャリアを誇る空手の先生をしていましたが、結局、お母さんの店で書店員になる道を選び、2015年、22歳でまずはパートタイムで働き始め、1年後からフルタイムに切り替えました。地元の名門小学校、ダリッジ・プレップに通っていた頃から文学少年だったそうで、「本屋が天職」という結論に達したとか。「本が好きという気持ちは伝染するものなので、書店員に求められる一番の素質とは、やっぱり、本が好きなことだと思います」と語ります。
小学生も、ガブリエルさんは一人のお客さんとして丁寧に接客します。
出版社の営業担当者は、今後出版される本の校正刷を置いていくので、書店員たちが手分けして前もって読んで、準備しておきます。テーブルに置かれているのは新刊書のほか、過去に出た本の中から特にお勧めの本で、書店員さんが手書きしたポップを添えた本は、とりわけよく売れるそうです。ガブリエルさんは、「本の裏表紙には、出版社からの説明が書かれていますが、それよりも、店にいる僕たちの手書きの文章の方が、人間的ですよね。一番本が買ってもらえる殺し文句は、“自分で読んでみて面白かった”という一言ですから、幅広い読書は欠かせません」と言います。
ガブリエルさんら書店員さんが特に勧めたい本を集めたコーナーは、「これはすばらしい本です!」と印刷されたメモ用紙に、手書きのポップが書かれています。
個人的にガブリエルさんが好きなのは、古典や重厚な文学作品だとか。中学生の頃はファンタジーの古典的作品を読み、特にR・R・トールキンの『指輪物語』や、アーシュラ・K・ル=グウィンの『ゲド戦記』には夢中になったそう。ティーンエイジャーの頃はオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』が大好きで、「全てのページが素晴らしく、知的刺激を受けました」。大学生の頃は、日本文学にはまり、夏目漱石の『三四郎』は独自に英訳を試みたとか。『平家物語』から、卒業直前に読んだ村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』まで、書店員になってからも、自分が良いと思う日本文学の作品を積極的に店に揃えて、お客さんに勧めているそうです。
仕事のために、自分の興味のない本も読むように心がけていますが、これが、自分自身の読書生活を豊かにすることにつながっているとか。たとえば樹木希林主演で映画化された助川ドリアンの『あん』は、「読んでみたら意外と良かった」ので、特におすすめの本としてテーブルに平置きしています。
小川洋子の作品集。ガブリエルさんによれば「美しくも冷ややかな文体で書かれた3つの物語は、驚くほど個性的。普通と違った本が読みたいあなたにぴったり」。
そして、ガブリエルさんによれば、お母さんが就任後に手がけた店の改装のもう一つのポイントは、壁全体を書棚にし、「壁紙の代わりに本を使ったこと」でした。「最近は装丁がきれいな本が増えているので、そういう本を優先してディスプレイすることで、いつも店内を美しく、そして新鮮に演出することができる」と説明します。「見た目に惹かれて手に取った本が、中身も楽しめたという展開になるのが理想です。そういう本との出会いが、本屋の醍醐味ですから」とのことです。
イベント用ステージの壁は、ビジュアル本を中心に、きれいな表紙をびっしり並べています。
ガブリエルさんは、通常の書店員の仕事に加え、地元にある小中学校の担当を務めています。「自由な思考と自由な表現が、コミュニティーの成功につながる」という理念のもと、ダリッジ・ブックスに、前経営者の時代から引き継がれた重要な顧客が学校なのです。
定期的に学校図書館の司書や先生たちと面談し、納入する本についての情報を提供し、注文の翌日には学校に届けます。ガブリエルさんの携帯番号を教えて迅速できめ細やかなサービスを提供している上、本の購入には割引料金を適用します。また、児童書の著者が学校を訪問するイベントの企画や、学校の行事やコンクールで本や図書券を賞品にする際の納入など、様々なアイデアで子どもたちに本に親しんでもらう工夫をしています。
地元には優秀な子どもたちが通う私立校が多数ありますが、少し離れた新興住宅街に新設されたばかりの公立校は、英語を母国語としない両親に育てられていたり、家庭に本が一冊もなかったりという子どもたちも通っています。そうした学校には毎週木曜日に訪問し、読書指導のアドバイスもしています。
さらに、クラス単位で小学生の本屋訪問を受け入れています。本屋さんがまるっきり初体験の子どももいるので、図書館との違いを説明するところからスタートしなくてはならないとか。「シリーズものの第1作が気に入ってもらえれば、続編も必ず読みたくなるもの。そういう経験をもとに小学生のうちに本好きになれるかどうかで、その後の読書力や学力の伸びが変わってくる。だからやりがいを感じます」と語ります。「僕は子どもの頃、両親から読書の楽しさを教えてもらいましたが、そういうチャンスがない子どももいますから、僕たちがその代わりになってあげるんです」。
店内のテーブルには絵本のキャラクターの塗り絵が用意されていて、子どもたちに大人気。
ちなみに取材の当日、オーナーのスージーさんは姿を見せず、息子のガブリエルさんに一任しました。ガブリエルさんによれば「今頃は、店の看板犬で重役でもあるローワンと散歩しながら、経営方針の話し合いをしているはず」とのこと。
店の一番奥にある児童書コーナーからの眺め。親子がお互いに目の届くところにいながら、自分の読みたい本が選べる作りです。
ガブリエルさんに将来の目標を聞いたところ、「仕事の面ですか、それとも個人的に?」と逆に質問されたので、両方とも答えてもらいました。「仕事の面では、優れた新刊書をいち早く紹介していくことはもちろん、店にずっと置いているロングセラーの本も読んで、店の本についての知識を深めていきたい。それから、イベントももっと開きたい。個人的には、僕はこの店で働くのが大好きだし、出版社の営業さんとのミーティングにももっと参加していきたい。あ、結局仕事のことばかりですね」と、早くも未来の書店経営者の気概を見せてくれました。「本は、想像力や感動に基づく商品ですから、本を売るには情熱が必要なんです」。
「何か読みたいな」という漠然とした気持ちを抱えて訪れれば、必ず欲しい本に出会えそうなお店。多くのお客さんに愛されています。
ダリッジ・ブックスは家族経営の親しみやすさを生かし、古き良き読書家の常連客を大切にするとともに、新しい読者を育て続けています。地元コミュニティーになくてはならない「町の本屋さん」の役割は、次世代に着実に受け継がれています。
[英国書店探訪 第17回 Dulwich Books 了]
Dulwich Books
6 Croxted Road, West Dulwich, London SE21 8SW
020 8670 1920
http://dulwichbooks.co.uk/
月〜土 9:30〜17:30
日 11:00〜16:00
創業:1985年
店舗面積:90㎡
本の冊数:6000点
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