現在、ぼくはブックホテルをつくるプロジェクトを担当しています。もともとは「あしかり」という日販の社員保養所だった物件を、滞在型のブックスペースに生まれ変わらせるべく、2015年から日夜奔走してきました。ホテルの名前は「箱根本箱」。オープンは今年の8月1日からです。この連載コラムでは「箱根本箱」ができるまでのぼくたちの歩みと戸惑いを記しながら、ブックホテルをつくることの意義や、新業態を模索している取次の内幕を、当事者の一人であるぼく個人の主観を通してお伝えしていきたいと考えています。
大学を卒業して入社した日本出版販売株式会社(通称「日販」)は、おもに本の流通をおこなう取次と呼ばれている会社(就職活動ではじめて知った)。本の流通だけじゃなく、リブロやあゆみBooksなどの書店がグループに入っていたり、オンライン書店「Honya Club.com」を運営したり、TSUTAYAを運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブと提携していたりと、さまざまな事業を展開しているらしかった。当時、ただただ本と映画と音楽が好きだった文化系の学生だったぼくは、漠然と「本とかかわる仕事っていいなぁ」と考えて、取次「日販」に入社してしまった。
取次の「と」の字も知らなかった入社したてのぼくは、配属希望の際、人事部に提出する配属希望書類だけでなく、意気揚々と新規事業の企画書を提出してしまった。企画書の内容は、アメリカの「Daytrotter」(2006年スタート。スタジオライブがダウンロードできるウェブサービス)とフランスの「Take away shows」(2006年スタート。ウェブで毎週更新される即興アコースティック)を掛け合わせ、それを日販が企画・運営・販売まで行う、という趣味全開なシロモノ。今なら、なぜ日販がそんなことをするのかがわからないでしょと、当時のぼくに注意してあげたいと思う。この企画書のせいなのか、入社早々出向としてグループ会社に勤務することとなった。ぼくは「MPD」というTSUTAYA向けの取次会社に出向し、物流センター勤務となった。
MPDでは毎日DVDをレンタル用に加工し、全国のTSUTAYAに出荷していた。茨城県の実家から埼玉県和光市の職場まで片道2時間半かけて通勤し、つぎつぎと商品を出荷する日々だった。当たり前のように利用しているレンタル商品が、どういう仕組みでレンタルショップに届いているのか、そこにはどんな人たちがかかわっているのか。そうしたことを知ることは新鮮でたのしかった。けれど、現場を知れば知るほどに、業界の仕組みやルーティーンが中心の業務などにとまどい、「昔からそうだから、そういうもの」という壁にぶつかることになった。それを変えたいと思っていたが、糸口が見つからず何も行動には移せず悶々としていた。
もやもやとした気持ちは膨らむ一方だったけれど、プライベートで学生の頃からつづけていた音楽活動に打ち込むことができた。やっていた音楽は「ペンギン・カフェ・オーケストラのように、あらゆるジャンルの要素を取り込んだ生演奏を一人でやる。しかも歌モノ」という無謀なコンセプトだったが、音楽をつくることで、心のバランスが保たれていた。が、自己表現としての限界を感じてくるとまた仕事のもやもやが気になりだした。毎日転職を考え、アパレル会社のアルバイトの面接を受け、古道具店のスタッフに応募し、伐採される木材を有効活用するベンチャーに申し込んだりした。しかしなぜか採用通知をもらえたことがあっても、どうしても辞退してしまう自分がいた。今度は、このまま辞めてしまったら、どこで働いても不満だけの男になってしまうかもしれないという恐れに苛まれた。
そんな日々のある晩、奇妙な夢を見た。そこは広いキャンプ場で、2つの本屋とその並びに珈琲とハーブティーを飲めるスタンドがあって、夕方と早朝に音楽の演奏がある。でも、音楽イベントじゃない。それは野外読書イベントで、参加者は好きなときに好きな場所で読書をたのしんでいた。この夢が人生を変えることになろうとは、目覚めたときには夢にも思わなかった。
ひと月後、たまたま野外音楽イベントのライブ出演者としてオファーをもらったぼくは、出演を引き受ける条件に、会場の隅で本を持ち出して野外貸本屋をやらせてくれないかと申し出てみた。黄色に色づいた大きなイチョウの木の下で、テーブルやソファを持ち出して本を並べる。見た夢に比べると随分規模は小さかったけれど、イベントがはじまるとたくさんの人が集まってくれた。みんな熱心に本をとり、思い思いにページを繰る。誰かが静かに本を読む姿はとてもきれいで、眺めているだけで幸せな気持ちになれた。この光景を見たとき、取次の本当の仕事は、本をお店に届けることだけじゃなくて、人の心に本を届けることなんだと理解した。
そう理解はしたものの、普段の仕事で成果をあげることもできずにいるままで、モチベーションがどうしても追いつかず、上司に辞表を提出した。そして2014年度いっぱいでの退社が決まった。そんな退社を2ヶ月後に控えた2015年2月、年に一度の日販全社での事業報告会に参加することとなり、そこでぼくの課外活動である野外ブックイベントについてプレゼンをさせてもらった。退社を決めていたぼくは、どう転んでも構わないと、すっかり開き直った心境でプレゼンに臨んだ。「取次の本当の仕事は、本をお店に届けることだけじゃなくて、人の心に本を届けること、その場所をつくることじゃないだろうか?」と想いを込めて。
なんとこのプレゼンが目にとまったようで、新設されるリノベーショングループに来ないかと声をかけてもらった。「とにかくまず会社を辞めてから次の進路を探そう」と考えていたところに降って湧いた異動話。辞表まで出していたためすごく悩んだが、転職するような気持ちで受理することを決めた。あのとき見た夢が、ぼくの人生を変えようとしている。
さて、ここで現在の出版業界をめぐる状況を少し説明しておきたい。出版業界の市場規模が1996年をピークに年々減少を続けていることは、DOTPLACEの読者であれば知らない人はいないと思うが、2017年の紙媒体の売り上げは約1.4兆円で、10年前の2007年と比べて6000億円(約4割)の減少だと言えば、それがどれほど危機的な状況にあるか、すぐにわかってもらえると思う。
本が売れなくなると、出版社も取次も書店も売上が下がる。その結果、経営が成り立たず廃業に追い込まれる出版社、取次、書店が増えてくる。書店をめぐる環境は象徴的で、ここ5年ほどのデータでは、新規開業した書店の数に対して閉店した店舗は3倍以上となっており、「書店ゼロ地域」も現れはじめている。日販も例外ではなく、年々売上が落ち込む状況を止められずにいる。
日販は2015年から3年間の中期経営計画で、書店の価値を高めるために「新空間の創造」と「出版流通の変革」という大きな目標を掲げ、専門部署「リノベーショングループ」(現リノベーション推進部)を設立することを決めた。大目的は本の読み方やあり方を刷新し、読書の新たなたのしみを提案すること。ぼくはこの部署の立ち上げメンバーとして声をかけられた。
リノベーショングループに異動してからは、それまでとはまったく違う毎日が待っていたが、理想ばかりを口にする自分の甘さをまたもや思い知ることになった──。
[ぼくらがブックホテルをつくる理由はどこにある?: Vol.1 了]
COMMENTSこの記事に対するコメント