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染谷拓郎 ぼくらがブックホテルをつくる理由はどこにある? 箱根本箱開業奔走記

染谷拓郎 ぼくらがブックホテルをつくる理由はどこにある? 箱根本箱開業奔走記
Vol.4 会社は生き物

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ぼくはブックホテルをつくるプロジェクトを担当しています。もともとは「あしかり」という日販の社員保養所だった物件を、滞在型のブックスペースに生まれ変わらせるべく、2015年から日夜奔走してきました。ホテルの名前は「箱根本箱」。念願のオープンは昨年の8月1日から。現在、有難いことに、本が好きなたくさんの方たちにお越し頂いています。この連載コラムでは「箱根本箱」ができるまでのぼくたちの歩みと戸惑いを記しながら、ブックホテルをつくることの意義や、新業態を模索している取次の内幕を、当事者の一人であるぼく個人の主観を通してお伝えしていきたいと考えています。
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2017年2月4日、その日はぼくの30歳の誕生日だった。朝起きてスマホを見ると一通のメールが届いていた。差出人は岩佐さん、送信時刻は2月3日23時1分。長いメールの末尾は「今回のお話は、大変申し訳ありませんが、白紙に戻させていただきたいと思います」と締められていた。頭が真っ白になったぼくは、メールの文面を何度も何度も読み返しながら、この1年のうちに起きたことを思い出していた。

「強羅本箱」(当時は「強羅本箱」と呼んでいたのだが、まぎらわしいので以下「箱根本箱」と表記する)の提案書が届いた2016年1月から行っていた業務は大きくみっつ。保養所あしかりを箱根本箱にリノベーションして、事業として成り立つかを判断するマーケティング業務。事業実現へむけて会社の決裁をとるための準備業務。そして自遊人さんと組んで企画をより詳細化し、条件面を整える交渉業務。このみっつの業務を、上司の富樫、先輩の石原と3人で進めていくことになった。

石原は、ぼくが入社してすぐに配属となったDVDの発送センターの一期上の先輩だった。当時、なにをやるにも斜に構えていたぼくだったが、石原から教えてもらう業務のひとつひとつはとても理路整然としていたので、すなおに学ぶことができた。たとえば、エクセルは一番左上のセルにカーソルを合わせてから保存しよう、ページ印刷設定をして相手がすぐ印刷できるように準備してから送付しよう、とか、よく考えてみると当たり前のことなのだが、いまでも基礎として身についている。

それから6年の月日を経て、石原がリノベーショングループに異動になったと知ったときには驚いた。新入社員のときの先輩後輩の関係が復活したのだ。彼は、6年のあいだに事業統括や経営戦略といった会社全体を俯瞰する業務を担当し、数字まわりに強い人材になっていた。事業計画の精度が求められる箱根本箱の案件において、まさに適材の人材だった。

ぼくたちは、自遊人からの提案書に書かれたデータを紐解くところからはじめた。ホテル事業の基本的なビジネスモデルを、専門書籍を読み進めながらまとめていき、自遊人のデータとのギャップを見つけていく。それを指摘するのではなく、平均的な数字と比べなぜ違うのかというヒヤリングを行う。すると、自遊人の事業が一般的なホテル事業とは、かけるエネルギーとコストがまったく違うことがわかってくる。広告宣伝や集客の考え方が強いことは自前のメディアを運営しているからこそだし、人件費が厚くなるのはホスピタリティを大切にするからだ、などなど。

ひとつひとつの試算をじっくり紐解いていく作業には、とても根気が要る。もっている資格といえば簿記三級くらいしかないぼくは、とうぜん会計には明るくない。富樫と石原の会話についていくため、会計の教本を何冊か買い込み大慌てで勉強をし、どうにかこうにか食らいついていった。

箱根の事業性を考えるうえでは、インターネットや関連書籍から情報を集め、また専門家へのヒヤリングなどもおこなって、強羅の山の上でホテルを開業するリスク、得られるリターンについても検討をしていった。取引先のツテを通じて、観光学を専門とする大学教授に話を聞きに行ったこともある。箱根という土地はそもそもどんな場所だったのか、なぜ宿泊施設が増えていったのかといった歴史的経緯をはじめとしたためになる話を聞くことでこのプロジェクトへの理解を深めることができた。また今回の企画を伝えた際にも、「コンセプトがしっかりしているほうが事業として成功しやすい。あまり箱根にはないモデルになるだろうからがんばって」という言葉をいただけたことも、うれしかった。

自遊人との打ち合わせをつづけながら、社内へのヒヤリングを進め、事業計画書をつくる。これを繰り返し、ようやく日販の経営会議に上程する日がやってきた。2016年9月のことだ。慣れないスーツを着て、その日を迎える。経営陣に向かって説明をするのは富樫さんの役目で、ぼくと石原さんはなにを聞かれても対応できるよう、PCの前で準備を進める。

なぜホテル事業をやるのか、自遊人とタッグを組むメリットとデメリットはなにか、事業性はあるのか——経営の目線からさまざまな指摘が入り、それに対して答えていく。一部検討し直す項目もあり、再度準備をして経営会議にふたたびチャレンジをしたのが2016年11月。最終的には無事に決裁が下り、その後の取締役会でも無事に話が通った。プロジェクトに正式な決裁が下りたのは12月のことだった。

この期間、休館中のあしかりは工事がはじまるのを待っている状況だった。休館中とはいえ施設のメンテナンスが必要なのだが、あしかり時代に運営を委託していた業者との契約も切れてしまっているため、工事がはじまるまでは社内の不動産管理部署が自分たちで管理することになっていた。使われなくなると建物は傷んでしまう。建物の保全は、いってみればリノベーション工事のための下地づくりだ。本決裁が下りる前からしっかりと管理をつづけてくれた不動産管理チームのメンバーには頭が上がらない。

なかでも一番お世話になったのが、最後の数年間、あしかりの面倒を見ていた不動産管理チームの佐々木だ。彼が、ある意味ぼくの師匠のような存在になった。佐々木は50代後半の課長職で、日販一筋で勤務されてきた人物だ。物流センターの立ち上げなども経験されるなど、経験豊富。ぼくたちはオビ=ワン・ケノービとルーク・スカイウォーカーのように(といったらちょっとカッコつけすぎだけれど)師弟関係を築いていった。

不動産管理チームが建物を管理するのは2017年3月いっぱい、4月からはぼくたちリノベーショングループだけで管理しなければならない。それまでのあいだに施設のさまざなことを学ばなければならなかった。館内にはたくさんの機器がある。火災報知器、受変電設備、ボイラー、冷温水発生器、受水槽など。どれもはじめて聞く単語ばかりで、最初はなにがなんだかよくわからなかった。

佐々木のあとについて、ひとつひとつやり方を学んでいく。お風呂の換気扇はスイッチを切らないこと。はい。冷暖房のときは、まずこのボタンを押して、少し時間を置いてからこっちのボタンを押すこと。はい。キーボックスはここ、マスターキーは3本あるから1本きみに預けよう。はい(まるでライト・セーバーをもらったかのような気持ちだ)。

あしかり時代に関連していた業者さんとの挨拶まわりにも同行させてもらった。小田原にある行政機関では、保健所、食品衛生課、温泉課など今後の計画を相談する。許認可の申請がたくさんあるため、それぞれがどうかかわっているのか、このときは把握できなかった(これでのちのち苦労することになる)。

また、あしかりは箱根ではめずらしく2種類の源泉を引いている。白濁泉と透明泉だ。そのため大涌谷の白濁泉の業者と、小田原の透明泉の業者、それぞれにも挨拶にうかがう。見渡す限り山、山、山の環境にぽつんと立つ木造オフィスで大涌谷温泉の状況を聞くことが、はじめのころはとても不思議な体験に感じられて、頭のなかではいつも海援隊の「思えば遠くに来たもんだ」が鳴っていた。

小田原でレンタカーを借り、箱根強羅につくまでの1時間、佐々木の話を聴くのが好きだった。「30歳のころ、どんな仕事をしていましたか」「これから日販はどうなると思いますか」「若い世代になにか伝えたいことはありますか」いつもきまって、ぼくが佐々木を質問攻めにした。ぼくの質問に、佐々木はいつも丁寧に答えてくれた。日販現社長と同期だったことも、この質問道中で知った。同期が社長というのは、いったいどんな気持ちがするものなのだろう。

佐々木との関係が深まるにつれ、DVDの配送センターで働いていたときには見えてこなかった、そして避け続けていた「会社組織」というものが、むかしより身近に感じられるようになっていった。もともとぼくがこだわっていた「個人性」と、思いを広く深く伝えるための「事業性」のバランスが、自分のなかで取れてきたからなのかもしれない。

2017年初頭、佐々木と2日間行動をともにしたことがある。強羅の旅館に泊まり、残務も済んだ夜、少し飲もうかということで、ぼくは佐々木さんの部屋に行った。発泡酒と柿ピー、チョコレートをテーブルに並べ、小さい音でテレビをつけながら乾杯をする。話題は少しずつこれからのあしかりの話へ。「箱根本箱をつくるときには、日販社員がよろこぶものにしないといけないよ。そのほうが絶対に広がりがあるはずだから」解体工事を見学するツアーや、工事を手伝うDIYメンバーを募集するなどのアイデアも出たが、もっと根っこで「応援したい」「一緒につくっている」という気持ちになってもらうにはどうしたらいいのか悩んでいたぼくに、佐々木の言葉は響いた。「会社は生き物だから、そう簡単にはいかないけれど、発信し続けたほうがいいね」佐々木がかけてくれた言葉を、ぼくはいまも覚えている。その言葉を信じて、ぼくはこうして文章を書いている。

さて、2017年2月の岩佐さんからの「白紙」メールを受け取ったのち、僕たちはすぐに岩佐さんと直接お会いする機会を持った。お互いにプロジェクトに賭ける想い強くあり、しかもそれが違う立場だからこそ、少しずつ食い違ってしまっていた。今回の問題の発端は、現地で働く「人」のことだ。今思えば、自遊人はそこで働く人たちの環境づくりに懸命だったことがわかる。労働条件についても、密に話し合ってきたが、僕たちは社内の基準に照らし合わせただけの回答に終始してしまい、大きな衝突が起きてしまった。その問題の要因をひとつひとつすり合わせるための時間は、経験したことがないくらいとても緊張するものだった。でも、本音でぶつかることで、わだかまりはなくなり、ふたたび僕たちはチームとして、プロジェクトに取り組むことができた。僕は、新しい事業を起こすときに、過去の基準にはない、未来の目線を想像することがどれだけ大切なことなのかを身をもって知ることになった。

そして、その3ヶ月後の2017年5月、ついに工事が着工した。がらんどうになった館内に重機が入り、コンクリートの壁が壊されていく。あしかりは、このとき旧あしかりとなった。ここから箱根本箱への道がいよいよはじまっていくことなるのだが、待っていたのは箱根のつづら坂のように険しい道のりだった。

佐々木は2019年3月いっぱいで定年退職を迎えた。開業直後に箱根本箱の様子を見に来てくれたのだが、まだ宿泊はしていない。箱根の新緑が鮮やかに山を彩る初夏の頃に、佐々木は再訪してくれるという。ぼくらが一緒につくった箱根本箱で、時間を気にすることなく本を読んでゆっくりしてほしい。ぼくもまたゆっくり話を聞きたいし、できるかぎり労をねぎらいたい。それをぼくはとてもたのしみにしている。

[ぼくらがブックホテルをつくる理由はどこにある?: Vol.4 了]


PROFILEプロフィール (50音順)

染谷拓郎(そめや・たくろう)

日本出版販売株式会社リノベーション推進部所属。 「人と本をつないでいく」をコンセプトとする事業開発チーム「YOURS BOOK STORE」のメンバー。書店のリノベーションや、野外読書活動「OUTDOOR READING」を通じ、人が本を手に取る機会や場所づくりにつとめている。ブックホテル「箱根本箱」では、事業主である日販グループの株式会社ASHIKARI取締役兼ディレクターを担当。