COLUMN

越前敏弥 出版翻訳あれこれ、これから

越前敏弥 出版翻訳あれこれ、これから
第5回:出版翻訳の印税や契約について

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※本連載のバックナンバーはこちら

第5回 出版翻訳の印税や契約について

 

「出版翻訳あれこれ、これから」というタイトルで、翻訳出版にまつわることを思いつくままに書いているが、多くの人がいちばん興味のあるテーマは今回のものかもしれない。

 

ただ、印税の話というのは書きにくいし、あまり書きたくないというのが本音だ。

 

ひとつには、自分や同業者の収入の話などしたいわけがないという単純な理由がある。

 

ふだん固定給に近い形で収入を得ている人が、印税という特殊な賃金体系(と呼んでいいのかどうか)に興味を持つ気持ちはわからなくないが、印税というのは要は「単価×印税率×部数」という単純な数式で計算できるので(消費税や震災復興税などについて少し調整する必要があるが)、その3つの数値を具体的に示せば、その人の収入がだれにでもガラス張りのように知られてしまう。

 

また、実際に換算して出てくる金額が、多くの場合、一般の人が想像するよりもはるかに少ない額であるというのも、書き渋るもうひとつの理由である。

 

とはいえ、特にこれから翻訳出版の仕事にかかわりたい人などにとっては、みずからの将来にかかわる大事な問題なのだから、出版翻訳に長く携わってきた者として、この連載のどこかで言及したいと思っていたところ、つい最近、同業の先輩である原田勝さんが、ご自身のブログ「翻訳者の部屋から」でこの問題をくわしく採りあげていらっしゃった。8月21日付の「出版翻訳の契約」という記事だ。

 

非常に具体的でわかりやすく、ご自身とその周辺の話がくわしく書かれているので、記事内にリンクが張られている過去記事ふたつも含めて、ぜひゆっくり読んでもらいたい。

 

原田さんはYA(ヤングアダルト)や児童書を中心に仕事をなさっているので、ミステリー中心のわたしとは少し事情が異なる部分もあるが、大筋は同じである。

 

出版社と向き合う際の心構えなども書かれていて、翻訳者や学習者だけでなく、この問題に興味のあるすべての人にとっての必読記事だ。

 

原田さんは記事内で、印税率、初版刷り部数、支払い条件、契約書の有無の4項目に分けて説明していらっしゃるので、それに乗っかる形で恐縮だが、自分自身の話と、それぞれについて思うところを少し書いてみよう。

 

(1) 印税率
4%から8%だが、絵本の場合はたいがいもっと低い。この仕事をはじめたころ(18年前)は8%の版元が多かったが、いまは7%の版元のほうが多い気がする。

 

また、原著者へのアドバンス(前払い金)が通常より高い場合など、同じ版元でも今回は印税率を少しさげてもよいかと打診されることもあり、これにはじゅうぶん納得できる根拠があるときにかぎって、あくまでその作品だけの例外ということで応じることにしている。

 

同業者のためにも、スタンダードとなる印税率をさげたくない気持ちは強いが、版元に赤字を出させてまで我を張る気はないということだ。訳者の論理と版元の論理の両方を考慮して、ときには妥協せざるをえない場合もある。

 

(2) 初版刷り部数
自分の場合、単行本よりも文庫オリジナルで出る場合のほうが多いので、文庫を先に書くと、10,000部前後だと思う。18年前は20,000部前後だったから、ほぼ半減している。

 

単行本だと5,000部程度が多く、単価が文庫の倍程度だから、単行本と文庫のどちらが得ということはおそらくない。ノンフィクションの仕事をしている人から聞いた話でも、単価×初版部数はそう変わらず、これもどちらが有利ということはなさそうだ。

 

これまでに出た長編訳書は66作あるが(文庫化や新装版などを除き、上下に割れているものは合わせて1作と数えている)、重版したのはそのうち28作である。半分近くが重版というのは、業界の現状を考えるとずいぶん高打率(.424)だと思う。ただし、この10年は40分の14(.280)なので、かなり落ちている。

 

(3) 支払い条件
原田さんのお書きになっている例とほとんど同じだが、そのほかに、初版時に一定部数の印税を保証し、実売数がその部数を超えると超過分を数か月ごとに振りこんでくれる版元がある。

 

また、電子書籍の場合はダウンロード数に応じて(つまり、紙の場合の売り部数に応じて)3か月または6か月ごとにまとめて支給される。刷り部数ではなく売り部数に対してなので、一見すると紙より不利に感じられるが、電子の場合はいわゆる重版が存在しないかわりに、小刻みに売れたぶんが支給されるので、どちらが有利とは一概には言いがたい。

 

個人的には、長い目で見れば電子のほうが有利になることを期待しているが、いずれにせよ、紙から電子への(意外に)長い移行期にあたる現在が著訳者にとっていちばんの受難の時期だろう。

 

最近、ある大手版元で数十部単位の重版が技術的に可能になったらしく(これまではコストの関係で1,000部を切る重版などありえなかった)、何冊かがわずかながら重版した。これが一般的になれば業界全体に少し光明が見えるので、注目している。

 

(4) 契約書の有無
これは数えたことがないが、かつては大手の版元ほど契約書を交わさないのが一般的で、自分の場合は、交わした版元が半分以下なのはまちがいない(信じられない人も多いだろうが、事実だ)。

 

ただし、電子版の出現やマイナンバーの導入などにともなって、契約書をしっかり作成する版元は確実に増えている(当然と言えば当然だが)。

 

契約書を交わさない場合、はじめて仕事をする版元に対しては、印税率などの諸条件について、なるべく口約束や電話でなく、メールでやりとりをすることにしている。どのくらいの法的拘束力があるかはともかく、有形の証拠を残したいからだ。

 

だいたい、そんなところだろう。もう一度整理すると、単価×印税率×部数が基本公式で、あとはそこに数値を代入すれば、だれでも計算できる。したい人はすればいい。

 

翻訳者としては、この3つの要素のうち、まず単価についてはどうにもできない。

 

印税率については、理不尽な引きさげには抵抗すべきだが、現状よりあげていくのはきわめてむずかしい。

 

となると、残るひとつの要素である部数を増やすために、できる範囲で精いっぱい動くことが、いま翻訳者がいちばん注力すべきことだ。

 

初版部数を変えることは無理でも、重版率を高めるために何かできることはないか。個々の本のプロモーションにかかわるだけでなく、翻訳書全体が少しでも多く読まれるための仕掛けをどうにか作れないか。翻訳者が翻訳だけしていればよい幸福な時代は終わったと思っている。

 

この連載のうちあと3回は、翻訳書を新しい読者の目にふれさせるために、自分や近しい人たちがおこなっているいくつかの試みを紹介していくつもりだ。下に並べたコンクールやイベントもその一部である。

 

【第5回:出版翻訳の印税や契約について 了】

 
【9月、10月のお薦めイベント】

  • 読書探偵作文コンクール
    小学生に楽しみながら翻訳書を読んでもらい、自由な形式で作文を書いてもらうコンクール(感想文とはかぎらない)。参加費無料で、全員に選考委員コメント返送。締め切りは9月23日消印有効。
  • 最終選考委員:越前敏弥、ないとうふみこ、宮坂宏美

 

 

 


PROFILEプロフィール (50音順)

越前敏弥(えちぜん・としや)

文芸翻訳者。1961年生まれ。東京大学文学部国文科卒。訳書『インフェルノ』『ダ・ヴィンチ・コード』『Xの悲劇』『ニック・メイソンの第二の人生』(以上KADOKAWA)、『生か、死か』『解錠師』『災厄の町』(以上早川書房)、『夜の真義を』(文藝春秋)など多数。著書『翻訳百景』(KADOKAWA)『越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文』(ディスカヴァー)など。朝日カルチャーセンター新宿教室、中之島教室で翻訳講座を担当。公式ブログ「翻訳百景」。 http://techizen.cocolog-nifty.com/


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