『Spectator(スペクテイター)』と『TO』。それぞれまったく異なる切り口ながらも、時代に流されない特異的な編集方針に熱い注目が注がれる二誌の編集長と、その制作に携わるメンバーが、昨年末に「これからの雑誌の作り方」というテーマでトークを繰り広げました。その模様を4回に渡ってお届けします。
★2013年12月23日、VACANT(東京・原宿)で行われたトークイベント(Spectator × TO「これからの雑誌の作り方」)のレポートです。
★『TO』編集長の川田洋平さんのロングインタビューはこちら。
【以下からの続きです】
TO × Spectator:これからの雑誌の作り方 1/4
TO × Spectator:これからの雑誌の作り方 2/4
TO × Spectator:これからの雑誌の作り方 3/4
ホール・アース・カタログの中に見られる“今”
川田:ホール・アース・カタログに感じる“今っぽさ”について、もう少し話してみたいですね。
草なぎ:今から遡って40年ほど前の本なんですけど、いまだに刺激的な本ですよね。
青野:たとえばソーシャルメディア・ネットワークのアイデアについても、ホール・アースはいち早く注目していましたからね。当時は「こんなことができたら良いな」と単なる理想や憧れだけだったけど、今になって理想に現実が追いついてきた感がある。
赤田:「エコロジー」の概念といったものが、まだこの頃はまったく根付いていなかった。「エコ」とか「公害」といった考え方が話題に上り始めたのが45年ほど前のことで、今となっては「レジ袋いりません」だとか、ナチュラルローソンだとか、そういう動きが日常に根付き始めているけれども、当時の日本には地球の資源が有限だという考え方が、なかなか浸透しなかったんです。
それこそ、45年前にホール・アース・カタログの誌上で言われだしたようなことが、今になって実現されているのかな、と思います。
草なぎ:編集のスタイルとしても面白いんですよね。当時、この本はかなりゆるく編集されていたみたいで、作る環境もすごく新しいというか、“今っぽい”というか……。「つまんないから、みんなでこの世の中変えていこうぜ」っていう話が盛り上がって、その流れで雑誌を作っていくみたいなスタイルですよね。
川田:そのスタンスは、すごくリスペクトしてます。
目黒区特集の中で、東急東横線沿いの情報に特化した地域雑誌『とうよこ沿線』を編集していた、岩田忠利さんという方に取材をしたのですが、その雑誌の編集部員は皆、東横沿線に住んでいる方々だったんです。職業も、年代もバラバラで、集まったネタを最終的に岩田さんが編集してまとめる。僕が欲しいのはまさにこの「住民の視点」で、単に客観的な視点だけでは絶対に見つけられない、そこにいる人たちだけが感じることのできる雰囲気みたいなものがあると思ってます。
ホール・アース・カタログではヒッピーが自分たちでレビューを投稿しているし、『ポンプ』(3/4参照)も全国の読者から情報を集めて載せている。ここにも大きなヒントがあると思っています。
草なぎ:ジョブズがホール・アース・カタログを好きだったというのもその裏付けになっていると思うんですが、今当たり前になっている物事を実践するのが、ホール・アース・カタログは相当早い。今ネットでは当たり前にみんながやっている「情報をフリーにする」といったようなことを、ホール・アース・カタログを創刊したスチュアート(・ブランド)さんはものすごく早い段階で先取りしていたりするから、面白いんですよね。
ちなみに、出たばかりの『Spectator』の「ホール・アース・カタログ特集」に〈前篇〉と添えてあることに僕は衝撃を受けたのですが(笑)、こんな特集の展開のしかたは初めてですよね? それぐらい思い入れがあるということだと思うんですけど。
青野:そうですね。後篇ではスチュアートさんをはじめ、ホール・アース・カタログに関わっていた何人かの編集者にインタビュー取材を試みたいと考えています。
川田:今回、ホール・アース・カタログの特集を組まれてみて、改めて思い直すようなことはありましたか?
草なぎ:そもそも、「地球というものを考える」といったような編集方針が『Spectator』にはあるんですか?
青野:ホール・アース・カタログが創刊された60年代の終わりは、アメリカとソ連が国の威信をかけて宇宙ロケットをバンバン打ち上げて競争していたり、その一方で核の脅威もあった。そういう状況のなかで生き抜くにはどうすればいいかということを一般の多くの人が考えていた時代だったんですね。
その傍らで「丸い地球の上で、人間はみんな同等じゃないか」という、地球規模で物事を見るという視点の転換も起こったわけですよね。ホール・アース・カタログの表紙の「黒い空に地球が浮かんでいるイメージ」には「地球はすごくデリケートで、か弱い存在だから大事にしなくちゃいけないよね」とか「企業が利益追求のために化石燃料を掘り起こしたり、公害を引き起こすのは良くないよね」といったメッセージが込められていたと思うんです。
草なぎ:ちょうどキューバ危機が終わって、ケネディが暗殺される頃ですもんね。緊張感のある時代です。
青野:地球規模で物事を捉え直すと、それまでの考え方や行動が変わっていくと思うんですね。たとえば、「石油を枯渇させるのは地球にとって良くないから通勤手段を自転車に切り替えたほうがいいのかな」とか「どっちの会社の商品が地球に害が少ないか」とかといったような日々の生活にかかわる選択や判断の新しい基準が生まれる。
日本でも2011年に震災があって、原発事故が起きて、土や水が汚染され、それをきっかけに「これって地球全体としてどうなの?」という疑問が多くの人たちの心のなかに芽生えはじめたんじゃないかと思うんです。たとえば放射能の拡散の度合いを示す数値を地形図に重ね合わせてみると、風や雲や山の地形が影響しているということがよくわかった。そこで初めて自分たちは地球の上に生きていて、すべては一つに繋がっているということが肌で感じられたというか。ホール・アースが創刊した当時のアメリカの若者が抱いていた感覚って、もしかしたら、こういうことかと思ったのが、今このタイミングでホール・アース・カタログの特集を組もうと決めたきっかけでもあります。
人と戯れるためのツールとしての雑誌
草なぎ:ここからは、会場の皆さんから質問を募ります。どなたか、いかがでしょうか。
質問者①:僕は、雑誌というものは“消えもの”で、「その時代を写し取り、その時代とともに消えていくものだ」という印象を持っています。だけど、川田さんの『TO』の場合、切り取り方が地区ごとじゃないですか。だから、将来23区目の最終号が出た時に、最初の足立区の号がバックナンバーとしてしか買えなくなってしまうのか、それとも23号全部が揃った状態を1つの完成形として捉えているのか、その辺りの川田さんの雑誌観についてお聞きしたいです。
川田:「23区全部で1つ」という意識はあります。ただ、僕は“雑誌観”といったものはあまり持っていなくて、すごく自分本位なんですよね。僕は何か自分の好きなこと、面白いと思うことについて、誰かとコミュニケーションしたい、戯れたいと思ってる。そのためのツールとして、雑誌を作ったと言ってもいいくらい。言い方が難しいのですが、そこは素直に、自分のため、自分の都合でやっているという側面があるんですよね。
質問者①:ありがとうございます。僕が『Spectator』が他の雑誌と違って面白いなと思うのは、本屋さんで見ると最新号だけじゃなくて、前の号も一緒に置いてあるという点で……こういうことが起こるというのは、雑誌がだんだん“消えもの”ではなくなってきているということなのでしょうか?
川田:色々な方向性の雑誌があっていいと僕は思います。『Spectator』のような雑誌がある一方で、週刊誌のような雑誌が扱うのは流れていく情報ですけど、僕はそれも好きだし読みますね。自分の雑誌に関しては、新しい号が出れば、その横にバックナンバーがあって、色んな区を見比べられるようになっていくのが理想です。
青野:僕も好きな雑誌は本棚にずっと置いてあって、例えば、ある時代の『宝島』という雑誌なんかは靴箱に揃えて大切にしまってあるんですけど、その一方で、パラパラっと見たらすぐに捨てちゃう雑誌もあります。
でも、自分にとっての雑誌は“取っておきたくなるもの”で、そういう雑誌を作りたいという気持ちがあるし、その関連性の中で過去の号も掘り起こしてもらえたらとも思います。文芸評論家の仲俣暁生さんが、ご著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社、2011年)のなかで『Spectator』を「手紙みたいな本」だと評してくださったことがあるんですけど、それを読んで、なるほど自分は「遠くにいる人に宛てた手紙」みたいな気分で雑誌を編集しているのかもと思いました。
質問者②:先ほど川田さんがおっしゃっていた「人と戯れたい」という話って、具体的にはどういうことですか?
川田:ありきたりな言い方かもしれませんが、東京の多様性に触れたいということだと思います。東京に住んでいるのに「東京って面白くないな」って思っていた時期が僕にはあって、それが『TO』を作る一つのきっかけでもありました。東京に住んでいる人には、それぞれの視点があって、それを共有するためには、結局、そこにいる人たちとコミュニケーションするしかない。「街を見る視点」について人から教えてもらうというか。
質問者②:読者との共犯関係のようなコミュニケーションというよりも、地元の人たちと戯れる、ということですね。
常に“New”な方法でできるんじゃないか
質問者③:『Spectator』は、あえてWebメディアでの情報公開をそんなにしていないように感じるのですが、そこには何か理由があるのでしょうか?
青野:半分は、単純にできていないというだけかも(笑)。Webでやりたいこともたくさんあります。音も流せるし、映像も流せるし。Webじゃないと表現できないこともたくさんある。
でもその一方で、自分のやりたいことは『Spectator』の中でやり尽くしているという感覚もありますね。自分が思っていること、伝えたいことを半年に一度、ひとつの媒体に詰め込んで出していくというサイクルが身体に染みついているので、そこまでWebにこだわりもないのかもしれません。
質問者③:ということは、青野さんが口コミで広がっていくものの方に信頼を置いているということではないということでしょうか?
青野:口コミでも広がっているとは思いますけど、特にこだわりはないです。
『Spectator』のFacebookページにも3,000人くらい「いいね!」してくれる人がいるし、「記事が何万人にリーチしました」みたいなデータも出るんだけれど、その数にリーチしたからと言って、その全員が興味を持ってくれるというわけではないので、あまり信頼を置いていません。逆に「口コミだから確実」ということもないと思いますしね。
質問者④:『Spectator』は、最新号のホール・アース・カタログ特集もそうですし、以前は農業などについても特集されたりしていて、古いものを取り上げるというか、温故知新というようなことを大事にされているようにも感じるのですが、そのあたりはどのようにお考えなんですか?
青野:古いから良いとか、昔の暮らしに戻るのが良いとかではなく、古い情報でも現代の目で見れば新しいんじゃないか? 面白いんじゃないかと思えるようなものを載せているつもりです。今もしくは、これから先でも読むに値するものというか。
昔の出来事を掘り下げることは回顧ではなく、それを学ぶことで未来に向かって進んでいけるという考えが常にあるんです。「もしかしたらこれが“New”なんじゃないか」とか「常に“New”な方法でできるんじゃないか」と考えるのを楽しんでいるというか。
赤田:ちなみに農業(アニュアル特集「OUTSIDE JOURNAL」)については、100年前の雑誌に「野外生活のすすめ」みたいな内容の文章を当時帝国ホテル支配人の方が書いていて、「アメリカの若者は夏になったら山の中でテントを張って生活している」とか……そういうのが、すごく新鮮な感じというか、今の目で見直してみて面白かったんです。
時代って繰り返されていくものだから、今見てもつながっている部分があると思っているんですけど、そういう部分を『Spectator』で、今に再生しているつもりなんですよね。
[TO × Spectator:これからの雑誌の作り方 了]
編集協力:隅田由貴子 [2013年12月23日 VACANT(東京・原宿)にて]
COMMENTSこの記事に対するコメント